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暁降ちを望む  作者: コウ
分からない
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 その日の目覚めは快適だった。


 真田は枕が変わると眠れないであるとか、そのような繊細なタイプではない。それどころか、精神状況が悪くなかった事もあって安眠と言っても良いような熟睡具合だった。しかし、それでもこのアウェイと言える環境下でここまで疲れを吹き飛ばす事が出来るとは思わなかった。自分で思っていたよりも図太かったのかもしれない。


 時刻は午前六時半、夏の朝は明るい。カーテンを開け放しにしてある窓からは朝日が差し込む。携帯電話のアラームを止めれば途端に頭が回転を始めた。


(七時に降りれば良いんだっけ。じゃあ着替えて、テレビ点けて…………いや、別に時間合わせて降りる事も無いか……)


 ゆっくりダラダラと服を着替える。夏でも変わらず長袖だ。腕輪を外す事は出来ないが、もう少し奥まで深くはめ込む事は出来る。そうして長袖を着れば腕輪の存在を隠す事が可能だ。その長袖がワイシャツのような袖が留められる物ならば完璧だ。外からは僅かほども見えはしない。これである程度は安心。


(ん、指が……)


 左手の指に違和感。以前、叶との戦闘の中で折った指だ。昨日はその指について誰にも触れられなかった。何故ならそう、その指には包帯など影も形も無いからだ。腕輪の力で即時回復とはいかない骨折だったが、どうも自然回復力まで増しているようだ。すっかりくっついて普通に生活を送れている。医師も引いていた。

 とは言え、腕輪の力で治したように怪我など無かったとばかりに元通り、とはいかなかった。あくまで自然に回復する速度を高めただけだ。まだ何となく違和感が残る。すぐに治ったので面倒な事はしないで良いだろうと思っていたが、少し真面目にリハビリをした方が良いかもしれない。


(まあ、良し。改めて左手で良かったと思おう)


 包帯を巻いていた時のように不自由ではないのだから、利き手でなければ多少の違和感は許容範囲内という事にしておく。その内にいつも通りに動き始めるだろう。動き始めたところで左手の指を繊細に扱う機会も少ないが。


 着替えを終えて、首を大きく一回転。反対方向にもう一回転。起きてからまだ時間はほとんど経過していない。朝食までは三十分弱。いちいち時計を気にしながら落ち着かずに待つよりは、少し微妙な空気でも自分の図太さを信じて先に降りて待った方が楽に違いない。そう考えて部屋を出る。しかし足取りは遅い。少しでも微妙な空気の中に居る時間を短くしたいという気持ちも存在しているのだ。複雑な心なのだ。


「あら、おはよう。早いのね」

「あー……はい、まあ……」


 そんな抵抗も実を結ばず、すぐに食卓に到着。台所でパタパタと動き回る伯母からの挨拶に曖昧に返す。


 遠慮がちにその様子を窺いながら冷蔵庫に手を伸ばす。実家ではあるが、それ以上に人の家だ。この冷蔵庫を開けて良いものかと躊躇する。とは言え既に扉に手を掛けておいて引っ込める事も出来ないが。ゆっくり静かに開けて中を覗き込む目的はたった一つ。


(……! 無い……野菜ジュース……ッ!)


 起き抜けのお供、野菜ジュース。初めて知った事実、野菜ジュースは全ての家庭が常備しているものではなかった。これはもうカルチャーショックである。世の中の大概の人は朝に野菜ジュースを飲むのだと思っていた……と言うと流石に嘘になるが、とりあえず家には置いてあるものだとばかり思っていた。


「どうかした?」

「ああ、いえ、別に……」


「そう? あ、お茶を出しておいてもらえる?」

「はあ……」


 冷たい麦茶の入ったポットをテーブルに置く。食事をするにはもちろんこれで良いのだが、野菜ジュースは別に食事中に飲むために欲しているのではない。これは一人暮らしをするより前から続く習慣なのだ、朝に飲まなければ調子が出ないのだ。すっかり体がそんな風になってしまっている。気分は良いが調子は上がらない、そんな状態。


(まあ、別に外に出るワケでもないから良いんだけど)


 既にテーブルに置かれていたコップに麦茶を注ぎ、椅子に座って一口。テレビを見てみると、真田が普段、朝に観ている所とは違う局。だからと言ってどうと言う事は無い。映画の試写会で俳優が挨拶をしただの独占インタビューをしただのといった芸能ニュース。内容が他と大きく変わるほどではない。が、少しだけ空気感が落ち着かない。


(でも何か、それにしても感じが違うような……こんなのやってたっけ)


 普段は他局にチャンネルを合わせているので観てはいないが、それでもどんな番組を放送しているかは分かる。だが、今放送しているのは知識として知っている番組とは少し違う、そんな気がした。ローカル番組と言う訳でもなさそうだ。何事だろうと考え込む真田だったが、その考え事は目の前に味噌汁の入った器を置かれた事で中断される。


「はい。まだ早いけど、朝ご飯にしちゃおっか」

「ああ、はい……」


 テーブルにまた新たにいくつか食器が置かれる。白米、焼き鮭、漬物、里芋の煮物、玉子焼き、そして納豆のパック。昨日の夕飯からの続投組もいるが、自分ではこれだけ用意する事はしない、出来ないだろう。ただ、並んだそれは二人分だ。


「……?」

「ん? ああ、今日はお仕事よ。いつもは土曜はお休みなんだけど、昨日休んだ代わりに」


「そう、ですか……ああ、土曜日……」


 曜日感覚が完全に狂っていた。どうもこの家ではチャンネルが合わない。普段観ない番組ばかりで、テレビで曜日感覚を正す事が出来ないのだ。つまり、今流れている観慣れない番組は土曜の朝の番組と言う事だ。観慣れない訳である。


「いただきます」

「……きます」


 小さな声で言いながら合掌をすれば、後は微妙な沈黙が流れるだけ。テレビの音に紛れて食器の音が聞こえてくる重苦しい空間だ。昨日の夕飯の時よりも辛い空気。味もよく分からない。ただ何故こんなにも空気が重いのか、その理由はすぐに分かった。


(そうか……二人だけか……)


 昨日は伯父と伯母の二人が揃っていたから、その二人の間の会話もあって空気が幾分マシになっていたのだ。一対一になるだけでこれほど違うとは。あちらは様子を窺っているようだが、こちらは心を閉ざしている。心を閉ざしていると悟られるとお互いに牽制し合いながら会話が始まらない謎の時間が流れる。誰かに助けてほしいが、そんな救世主は絶対に現れる事は無い。即ち、ここで出来る事は可能な限り急いで朝食を片付けて部屋に引っ込む事だけだ。この帰省の間だけで早食いの技術が身についてしまうのではないだろうか。それは愉快なような微妙なような、少し複雑な想像だ。


(わざわざ休みに仕事するくらいなら休まなきゃ良いのに……)


 決して口には出さない恨み節。分からないのではない、分かっていない訳ではないのだ。わざわざ平日に休んだ理由は分かり切っている。それが少し気に入らないだけなのだ。きっとこれは子供の癇癪、ワガママと呼ばれるものだ。しかし、だからと言って無視できるものではない。ワガママとはつまり強い感情でもあるのだから。完全に抑え付ける事は絶対に出来ない。


「あれ、もう食べたの? おかわりは?」

「あ、大丈夫です。はい。ご馳走様でした……」


「お粗末様。歯、ちゃーんと磨いてね」

「…………はい」




『――と、いうワケなんだよ』

「はあ、それであのメールを……」


 何も言えないモヤモヤとした気分を抱えた状態ながら、言われるがままに歯を磨いて部屋に戻ってみれば、まるでそれを見計らっていたかのようなタイミングで携帯電話が鳴り始めたのだった。時刻は朝の七時。いくら何でもこんな時間に電話とは、苦手云々を抜きにしても抵抗がある。そう思いながら画面を見てみれば、そこには『宮村 暁』の表示が。

 渋々ではありつつも電話に出ると宮村は挨拶もそこそこに昨夜の日下との会話を説明した。そして今に至る。どう考えても行けるはずのない場所に居る真田にまで集合を掛けるほど焦っていたという事は何となく理解した。


 別に焦るような事ではないのだが、心配になる気持ちは分からないでもない。誰かに狙われているという事は、それが可能性であろうと大きなストレスだ。


「それで、午後から会議をする、と」

『おう。つっても、どんだけ集まるか分かんねぇけど』


「集まるんじゃないですか? 基本、片っ端から時間はあるでしょうし」


 あんまりな言い草である。が、事実だ。一人は集合場所に常駐しており、大半が夏休み。一人は隠居生活、一人はフリーターとは名ばかりの現在無職。世間的には休日である土曜日だという事を無視しても容易く集まる事が可能なメンバーだ。何か時間を潰すネタになりそうな事があればとりあえず顔を出す事だろう。


『そんで、電話越しでもお前も参加しないかと思ってな』

「はあ……」


 余計な気を回してくれる。そう思いつつ、それを脳内のブレーキを駆使して口にしないようにしただけ状況には余裕がある。


「本気でそのー……情報屋? 見付けるんですか?」

『だって、そうしねぇと危ないだろ?』


「そうですかねぇ」


 真田は極めて呑気だった。一切の危機感を感じさせない声で何となく返事をする。もちろん心配を少しもしていない訳ではないのだが。


「とにかく、僕は遠慮しておきます。直でもいつ口を挟めば良いか分かんないのに、電話越しとか無理ゲーってヤツですよ」

『何だそりゃ。頭数は多い方が良いんだけど……まっ、しゃあねぇか。悪かったな。そんじゃ、早く帰って来いよ? お前がいねぇと、その内に吉井とマリアがうるさくなる』


「ううん、帰りたくない……じゃ、それでは」

『おう、そんじゃな』


 電話が切れる。気分の良かった朝だったが、精神的な疲労が激しい。このまま布団に潜って眠ってしまえたらどれだけ幸せだろう。別にいくら寝ても非難される訳でも何か用事がある訳でもないが、最低限の生活リズムくらいはキープしておきたい。だとすると、テレビを観るか本を読むか、それともゲームでもするか。あるいは考え事にでも耽るか。


「情報屋、ねぇ……どうなる事か」


 考え事のネタなら尽きない。何より、今まさにそのネタが増えたばかりだ。情報屋の正体、所在を突き止めようとする仲間達。真田が考えるのはその後の事だ。その情報屋の正体を突き止める事に成功したとして、その後にどのような行動を取るべきか。それを先回りして考えておくのも良いだろう。


 ベッドに座り直して目を閉じる。考えている事がまったく同じではない。だが、この考え事は間違いなく仲間達と同じ方向を向いている。


 紅茶とコーヒーとオレンジジュース、その香りが鼻腔をくすぐったような、そんな気がした。

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