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暁降ちを望む  作者: コウ
分からない
182/333

 真田 優介は沈黙していた。


 静かに、そして動く事も無く椅子に座っている。言うなればお客様である真田には何かしらの動きは求められていない。そして真田もまた積極的に動く事は出来ない。両者の気持ちの完全一致である。

 その内に全ての支度が整う。何の支度なのかと問われたならば、その答えは至極簡単。


「いただきます」


 三つの声が揃う。完璧に、ではなくその内の一つはやや遅れて発せられたものであったが。時刻は十九時を少し回った所、そう、夕食時だ。食卓では里芋の煮物やトマトサラダ、胡瓜の浅漬けが脇を固め、汁物としてなめこ汁。そしてハンバーグと豚肉の生姜焼きが並んでいる。主菜が二つの重量打線。それは良い。それは別に良いのだ。

 問題として取り上げるほどではないが、まるで避けたかのように食卓には鶏肉が存在していない。牛や豚が嫌いなのではない。むしろ好きだ。しかし、その中でやはり鶏肉なのだ。美味い、安い。素晴らしい。


 問題ではない。問題ではないのだが、何故、鶏肉は無いのか。そんな疑問はある。鶏肉が好きだと言った事は無いのだが、ここまで揃えるならば鶏が居ても良いのではないか。


「どう? 優介君、美味しい?」

「あ、はい……その、美味しいです」


 もちろん肯定の返事以外は返せない。そもそも文句など付けようがない。間違いなく美味しいのだから。二つの主菜はもちろんの事、里芋がまた美味い。煮崩れも無く、味もしっかりと染みていて手が止まらなくなるほど。


 なのだが、真田がその感想を口に出せるような人間ならばこんな空気にはなっていない。この性格には本当に何も得が無い。食卓の会話は途切れ、その間を点けっぱなしのテレビの中からタレントの賑やかなフリートークが埋めている。普段から食事中もテレビを点ける習慣のある真田だが、これほどその存在に感謝した事も無い。耳を傾けていればちょこちょこと笑い所があり、その度に少し空気が和やかになる。これは良いものだ。

 空気は間違いなく誤魔化せている。だが、少し冷静になってみれば会話が無い事実にも気付いてしまう。そうなると普通の沈黙よりもテレビが誤魔化す沈黙の方が深刻に思えてくる。まあ、そんな事を考えたのかどうかは知った事ではないが、伯母が口を開いた。食卓を彩ると言うほどでもない会話の始まり。


「そう言えば優介君は明日、何時に起きるの?」

「明日、ですか……そう、ですね、六時……半? くらいですかね」

「じゃあ七時に降りて来てね、朝ご飯を用意するから」

「はあ……ありがとうございます」


 会話の他人感が凄い。何かと言えば旅館に近い。


「…………」

「…………」

「…………」


 そして再び訪れた沈黙が居た堪れない。


 逆に考えてみると良い。会話が無いから空気が悪くなるのではない。会話の後に一気に沈黙が生まれるから空気が悪くなるのだ。即ち、会話が最初から無ければ空気など悪くなりようがない。テレビの声はまだ賑やかに聞こえている。


 こんな時は役割を演じるのが得策だろう。この場で最も手軽に演じる事が出来る役割、それはもちろん『よく食べる人』である。食べるスピードを上げる。さも美味しそうに(実際美味しい)食べる姿を見せれば会話を振ろうとも思わないだろう。せいぜい「美味しい?」ともう一度聞いてくるくらいだ。それに対してもこの状態ならば無言で頷けば対処できる。無敵状態だ。


 黙々と食べている事によって真田に話し掛けようとする空気ではなくなったのだろう、自然と「そう言えば野球は?」「負けてたわよ」「じゃあ観なくて良いか……」などと言った細やかな会話が交わされている。とても良い傾向。


「ごちふぉうふぁまでした」

「はい、お粗末様でした」


 口に詰め込んだハンバーグと白米を飲み込み、お茶で流す。そして茶碗と皿を手にして席を立ってしまえばもはや声など掛けられまい。……実際は「そのままでも良いのに」などと言われたが、それは無視しても違和感はさほど生まれない範疇だ。

 シンクにある水を溜めた桶に食器を浸ける。この行為によって立ち上がる理由が生まれた。立ち上がってしまえば、もう一度座れと言われる事も無いだろう、部屋に戻るための完璧な流れだ。


 別に普通に一声掛けて席を立てばいいのだが、どうしてこんなに頭を働かせているのだろう。その理由はもはや誰にも分かりはしない。とても無駄な体力を使ったような気がする。とは言え、そんな体力は部屋に戻って一息つけば簡単に回復できる程度のものだ。このまま自然に、流れるように、静かに自陣、部屋へと退却する。


「あ、お風呂が沸いてるから入っちゃってね?」

「は、はーい……」


 退却する背中を見事に撃ち抜かれたのはご愛嬌。



 そんなこんなで風呂上り。アパートから持って来た部屋着に身を包み、前髪を上げて視界を広く取る。


(やっぱ髪切った方が良いかなぁ……や、でもまだバリバリ目ぇ泳ぐしなぁ……)


 悩み所である。せめて普通に目が出ていた方が生活もしやすい、印象も変わると良い事ばかりだと分かってはいるが、今すぐに目を出すと親しくない相手と相対した時にほぼ常に目があちこちに動き続けている超・挙動不審な人間だとバレてしまう。『暗そうな人』から一気に『不審者』にまで印象が変わる事を考えると、これはリスクが大きいと言わざるを得ない。


(はい保留。この話は一旦、無かった事に……)


 後ろ向きに検討するという意味での保留。「行けたら行く」という口約束と同じような意味合いだ。この髪型からイメージを変える事が出来るのはいつの事だろう。中身を変えねばならないのだから、遥か先の話。


 テレビを点けて、ゴロリとベッドに転がる。する事は何も無い。このままいつでも眠ってしまえる状態。


(あー……外、は……出なくて良いか……めんどい)


 一応でも索敵をしようかと考えたが、こんな所でもそんな事をすると考えると普段の三倍は面倒に思える。しかも一人。夜中の外出が二人にバレてはいけない。これだけの関門があるのだから、滞在している間くらいは魔法使いを休んでも良いのではないだろうか。いや、良いに決まっている。一人だからやりたい放題である。


 気掛かりである事柄について、やらなくて大丈夫だろうと判断して止める。その瞬間の心の晴れやかさと言ったら例えようがない。この解放感は癖になる。のんびりと携帯電話でも触ろうと手を伸ばすと、チカチカと点滅してメールが届いている事を伝えている。


「ん……何だ?」


 定期的に届くメールマガジンを除くと、届いていたメールは三件。これは真田からしてみれば信じられないほど多い。何事かと思うほどだ。


『ゆーすけがいないと寂しいよー

 帰ってくるのいつ?』


 送信者は見なくても分かる。吉井だ。送られてきたのは夕方頃らしい。質問こそ投げかけているが、内容は無いに等しい。電話は苦手だが、メールなら歓迎という訳ではない。他者と連絡を取る事が出来る手段は全て得意ではないのだ。そう主張してもこれを送ってくるのだから困ったもの。そして、それも悪い事ではないかと思い始めるようになったのも困りものだ。


『もう少しこっちに居ます。みんなから解放されて、せいぜい羽を伸ばしたいと思います』


 などと悪ぶって返してしまう悪い癖。ここで早めに帰りたいとも言えない真田である。その気持ちはあるが、やはり一人で暮らしている分だけ、帰った時にはある程度の期間は滞在した方が良いだろう。大切には思ってくれているのに、そもそも一緒に暮らした期間が短いのだ。


 次のメールは夕食の前辺りだ。送信者は雪野。他人期、友好期、敵対期を経ての第二友好期に入った今、随分と気楽に接する事が出来るようになった気がする。教室で大いに緊張しながらノートを提出するために声を掛けた日が遠い過去のようだ。


『こんばんは。

 ちゃんとご実家に着いた? 夏休みの課題は終わってる? 私は今日、香澄とマリアちゃんの面倒を見て大変。篁さんが休み明け提出のレポートの追い込みだからって私に頼らなくっても良いのに。

 でもちゃんと終わらせようとしてるんだから文句ばかりは言えないわね。真田君も、前みたいに問題集の答えを写したりしないでちゃんと終わらせてね。』


 この真面目さがが形を持って襲い掛かってくるような文面はどうだ。まるで女友達とメールをしているようではないか。実際に女友達とメールをしている訳なのだが。そして女友達という言葉から真面目系を真っ先にイメージしたのはこの時の真田の趣向なのだろうか。


『まだ終わってませんが、答えが無いタイプの課題は真っ先に終わらせました。なのでいざという時は何とでもなります

 面倒を見るの、大変でしょうけど頑張ってください。でも、宮村君に頼まれても面倒を見ないで大丈夫です。後悔させてやりましょう』


 悪しき正義の企みである。恐らく、夏休みを満喫しているだろう宮村には自力で頑張る気持ちを持ってもらわねばならない。自力だから不良のレッテルというものは剥がれていくのだ。もっとも雪野が頼み込まれた時に断りきれない可能性もあるのだが。基本的に真面目だが良い人なのだ。答えを写した課題を受け取ってくれるほどに。


 最後の一通はつい先程、日下から送られてきたものだった。彼から連絡があるのも珍しい。今まで連絡を取った事は無かった。直接会って話すか、あるいはほぼ毎日顔を合わせる事になる宮村を通して間接的に連絡された事しかない。連絡が苦手だと知って遠慮しているのか、それとも嫌われているのか。後者ではない。と、思いたい。かつての真田なら迷わず後者だと断定していただろう、そう考えると成長だ。


『こんばんは、日下です。今夜、宮村先輩と索敵に出ます。真田先輩が帰ってくるまでは俺が付き合いますね。大丈夫です、何かあっても頑張りますから、ちゃんと全員揃って待ってます!』


 良い子である。思わず胸が熱くなった。これは嫌われてない。少しでも疑った事を恥じたい。


 しかし彼もまた真面目だ。なんやかんやで組む事になったチームを大切に思っている。それだけに、宮村の誘いを断って一人で索敵に行かせた経験が心を苛む。日下の悪意なき一撃。


『ありがとう。日下君の事、頼りにしてる。一人は危ないからね、やっぱり。今度は三人でも良いかも

 あと、今度から普通に連絡してきても良いからね』


 帰ったら少し面倒でも付き合う事にしよう。そして、改めて今夜からは外出しない事にしよう。そんな決意を固める。


 メールチェックを終えて携帯を置く。眠くはない。寝るにはまだまだ早い時間だ。何もしないで良い、ただ怠惰に過ごす時間。こんな時間はふと、言い知れぬ不安に襲われる事がある。将来、現在、あるいは人間関係。果たしてこれで良いのかと。


 だが、不思議と今は不安が無い。見えない将来も、正しさの分からない現在も、そして何より人間関係も、どこにも不安などありはしない。もう一度、携帯を手にしてメールを読み返す。仲間が居る事は心強い。そんな当たり前に気付く事が出来た。


 最初は気分の重かった帰省だが、今夜は今までで一番よく眠れるような、そんな気がした。

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