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「――っ!」
突然、右手の腕輪に締め付けられるような感覚。それはまるで魔法使いが現れた事を真田に教えるようだった。
今度は左右に首を振るようにして敵の姿を探す。道は左右に伸びていて、どちらからも敵が来る可能性はある。
(ここで戦いになったら……)
そこで真田の目は店の方に向いた。つい先程、魔法は誰にも知られるべきではないと考えたばかりだ。脳裏には麻生の姿が浮かぶ。知られないため、巻き込まないためにはこの場で戦うべきではない。しかし、麻生を置いて移動するのも憚られる。考え込んだのは真田にとってほんの数秒のつもりだった。だが、状況はその数秒で大きく変わる。
神経が過敏になっている今、どんな小さな事にも反応してしまう。そんな中においては必要ではないと思った要素は無視するべきだと判断した。
だから、左側から吹いてきた強い風に長い前髪を揺らされても、それがただの強風であると無視した。その判断が大きな間違いであるとも気付かずに。
「…………ぅがっ……!」
唐突にドゴッと言ったような鈍い音が体の中に響く。左の脇腹に鈍痛。その後に激痛。恐る恐る脇腹を見るが、もちろん何も無い。しかし地面を見ると、そこには何かが落ちていた。
「これ、石……」
拳ほどのサイズの石がそこにある。それが脇腹に向かって飛んで来たようだった。状況は分からない。魔法とは、それを一度しか目の当たりにした事が無い真田にとって未だに理解の範疇を容易に超えてくるものだ。もう既に、この段階で真田は魔法による攻撃が始まっていると確信している。
しかし、それでもこの痛みは耐え難い。非常事態だと言うのに脇腹を両手で押さえ、体をくの字に折る。肋骨も折れただろうか。これまで味わった事の無い痛みだ。思わず固く目を閉じ、そこから涙がこぼれる。
それでも気合を入れて目を開き、敵が居ると思われる左側を見たのは立派だった。そうしなければ確実に負けていただろう。闇に慣れてきた目に飛び込んだのは再び飛んで来た石だ。今度は体を折った事によって位置が低くなった顔に向かって飛来する。
(あ……ぶ……ない……っ!)
その時、石は飛ぶ速度を緩めた。体育の授業中と同じだ。腕輪による動体視力の補正。しかし、今の体勢では回避行動ができない。防御しようにも両手は脇腹。確実に当たる、そう思った真田の行動は一つだった。
回避しようとは思わない。ただただ痛みに任せてその場に倒れたのだ。それこそが現状可能な唯一だった。頭上を石が通り過ぎる。その風を切るスピードに慄く。あんな物が当たっていたら頭が割れてしまうに違いない。
倒れてからの行動は素早かった。死の恐怖を感じた事によってアドレナリンか何かが分泌されたのだろうか、痛みなどもはや忘れつつある。患部を押さえていた手を離し、右手を地面について立ち上がる。左手は右手首、腕輪に触れている。自分の中に確かに生まれた《魔法のスイッチ》を完全に入れたその時、右手全体を覆うように炎が現れた。
そのまま夜の闇に手を突き出す。赤い魔法の炎が少しだけ明るく辺りを照らした。
「おっとそうか、魔法使われると見えるんだな」
聞こえてきたのは若い男の声。炎に照らされて腰から下がボンヤリと見える。暗い色の細身のデニム、動きやすいようにかスニーカー。どうやら鞄を持っているようだ。
そうして観察をしていると相手の男はこちらに歩み寄って来た。そうするとその姿はよりハッキリと目に映る。ライダースジャケットにショルダーバッグを掛けた男の顔立ちは、何と表現すれば良いのか、よくいる安いホストと言ったような顔だ。
本当のイケメンと言うのは男が見ても格好良いものだと思っているが、この男は本当に微妙だ。必死に格好を付けているようだが、よく見れば頬骨が出ていたりパーツの配置バランスも目が離れ気味だったりと良くはない。
「ちぇっ、できればさっき潰しときたかったんだけどな……お前さ、結構ヤバいじゃん」
「ヤバい……?」
「そうそう、《海坊主》。お前アレ倒しちゃったろ? 学校で。高校かな? それ見てたんだよねー」
ざらつくような高い声と見た目からの予想を裏切らない軽い口調で言われた内容には気になる事が含まれている。突然出てきた妖怪の名前と、見ていたという言葉の真意。
「《海坊主》……って、もしかして昨日の」
「そ、知らない? あの坊主頭、結構強かったんだぜ? それをドカーンって倒しちゃってさぁ。超驚いた。でもさ、お前って魔法慣れしてないみたいだったから」
「た、倒しておこう、と……」
「そゆこと」
相手の言葉を信じるに足る理由が見付かった。《海坊主》と言う呼び方は恐らく、坊主頭と水の魔法からだろう。なるほど特徴をしっかりと捉えている。戦った学校と言う場所、そして魔法に慣れていない様子。これはその様子を実際に見ていないと分からない事だと判断した。
「その、見てたん、ですか……?」
「おう、結構いるんだぜ? 他の奴の戦い見てるの。前情報とか何も無しで戦ったりしたら危ねぇし、そもそも腕輪隠してたりするし。お前みたいにさ。昨日、《海坊主》があの辺をうろついてるって聞いて見に行ったら何か鬼ごっこしててさ、面白かったなぁ」
今日は一度も腕輪を出していない。朝、家で着替える時も一応カーテンを閉めた。この時期は制服も長袖であるから可能な限り深く腕輪を着けて見えないようにした。体育の前は必死に隠して着替えたし、授業の後は誰よりも早く着替えた。それでも魔法使いと知られているというのは、つまりそういう事だ。




