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暁降ちを望む  作者: コウ
金欠ペネトレイト
178/333

「あー……何だ。その、母さん?」

「ん? どうかした?」


 少し遅めの夕食の後、洗い物をしている母親の横に近付いて、宮村は控えめに声を掛けた。家族しか居ない家の中とは思えない妙な緊張感が立ち込める。父親は帰りが遅くなるらしい。弟は……今頃は何をしているだろう。今、この家に居るのは宮村とその母親の二人だけ。その二人の間に緊張感が走るのだから、この家のどこにも逃げ場は無い。


 宮村は大いに言葉に詰まっていた。何を言うかは決まっている。どのように言うかは、ずっと決めかねている。しかし、これほどまじまじと母親の姿を見る機会は近頃はあまり無かった。よく見ると思っていたよりも老けている。短い髪には探すまでもなく白髪が見付かる。身長はいつの間にか追い抜いている。子供の頃に見た姿とはまるで違う。それだけ時間が経っているという事だ。自分の親が小さく見えた時、自分は子供ではなくなっている。


 そう、もう子供じゃない。その想いが、宮村の口を再び開かせる。


「俺さ……言われた通り、高校はちゃんと卒業する、っつーか、卒業したい。だから、それまでは悪いけど、迷惑かける」

「?」


 改まって真面目な顔をして話し始めたのだから流石に母親も不思議そうだ。濡れた手を拭いて、宮村の方へと向き直る。


「でも、そっからは、もう良い。俺は家を出るよ。自分で何とかして一人で生きる」

「はぁ? 急に何を言って――」

「俺は! ……大丈夫だから。だから……俺に、それ以上の金は要らない。それ以上に金を掛ける必要は無い」


 金は要らない。だから何だと言うのか。その根本的な核の部分は言っていない。だが、それでも言いたい事は間違いなく伝わったようだった。小さく口を開けて「あ……」と発しただけで顔を伏せてしまう。


 問答を必要とはしなかった。これは相談ではなく、決めた事なのだ。それを貫く。何を言われようと、この気持ちが変わる事は無いだろう。そう思って背を向けて自分の部屋に戻ろうとしたその時、恐らくは自分に向けられたのであろう小さな言葉が聞こえてきた。


「……ごめん……ごめんね……」

「――っ、そんなの……」


 そんなのはこっちの台詞だ。この一言がどうしても言えなかった。止める事も無く、ただ謝罪の言葉を口にした。それだけで、どれだけ苦しんでいたのかがよく分かる。これは迷惑を掛けた事に対する償いであったり、そのようなものではない。断じて違う。これは自分の強い意思なのだ。


 やらなければならない事ではない。誰かに悲しい思いをさせる事があるかもしれない、それでもエゴを貫き通す。これは、彼にとっての心からやりたい事だった。





「お前さぁ、何か俺に気付かせようとか、そーゆー事をしてたワケ?」


 昨夜の事。真田が銃をポケットの中に入れて隠した事でなんとか冷静になった宮村は、唐突にこのような問いをぶつけた。

 思い切り不法侵入であるため、防犯カメラか何かに映ったら大問題。そう考えて逃げて行った男と同じように飛び降りからの壁蹴りで必死になって下に到達してからの事だ。どうでも良い事だが、真田よりも宮村の方が怖がっていた事は少しだけ奇妙な光景であった。真田は似たような事をしたばかりだったので変に度胸が付いていたのだろう。万能感、再び。


 何はともあれ質問に戻って。宮村に対する真田の答えは非常にシンプルだった。


「馬鹿なんですか?」


 バッサリ両断である。最上大業物である。


「馬鹿って、お前……何か良い感じの事を言ったじゃねぇかよ、やりたいようにやれとか!」

「僕は宮村君に委ねただけですよ。勝手に深読みして納得しないでくださいよ!」

「俺のほのかな感謝返せよっ!」


 返せと言われても、実際に真田にはそのような意図は無かったのだから仕方がない。

 宮村の中ではこの戦いが何かに繋がったのだろう。それは真田にはよく分からない。別に何かを意識した訳でもない発言から自分の中での成長ないし意識改革に繋がったのならば、それは真田が上手い何かを言ったのではなく、宮村が凄かったのだ。遠い先にあるゴールを提示されただけで、ちょっとした足掛かりから道筋を見付ける事が出来た。どんな時でも前に進むための活力を周囲から得る、そんな優れた力を持っている。


「まあ、でも……一応、言っとく。――ありがとな」

「身に覚えのない感謝って何かもう怖いんですよねぇ……何だよ! って思います」

「んな言い方する事はねぇだろ……」


 感謝の言葉を受け取ろうともしない態度には苦笑するばかり。基本的には真っ直ぐな宮村に対抗しているかのような真田の偏屈ぶりだ。

 変わりたいと願っている男がたったの一歩を踏み出すのにも苦労しているのに比べて宮村の成長速度ときたら。性格の違いというものはこんな所にも表れるのだろう。


「もう何か、目の前がパッと明るくなって気分だ! 気分爽快っつーの? 新しい朝ってのが来るな、こりゃ」

「おっと、そんな宮村君に良いお話が」

「あ?」

「いやー、考えてみたら三日坊主になりそうだったんですよねぇ。仲間が居れば話も変わるってもんですよ」


 そう言いながら、真田はニヤニヤとあまり良くない笑みを浮かべていた。





 自分の部屋というものは大体において最も安心できる場所だったりする。自分にとっての聖域だ。だが、こうして帰ってきた宮村の部屋は少し寒々しくて落ち着かない。その部屋は少し広かった。弟と二人、同じ部屋だったのだ。

 いい加減に部屋を別々にした方が良いかもしれない。そんな話題が食卓に上っていた時の事であった。二人で使った広めの部屋の住人は一人になった。それ以来、帰る度にこの部屋からは薄ら寒さを感じる。


 これから先がどうなるのか、自分はいつまでこの寒さを感じるのだろうか。そんな事をよく考えていた。しかし、そんな日々も終わる。いつまで、という問いに対して、とりあえず終わりは見えた。その終わりに向かって全力で走って行くだけだ。そう思えば、迷わず悩まず、足を止めずにいられる。


「さて、と」


 電気を点けて、自分の学習机に向かう。ここ何年もずっと使っていなかったが、こうして改まって座ってみると不思議とフィットして落ち着く。逆に言えば、昔は感じていた大きさのようなものを感じないのだ。すっかり体も大きくなって、そんな所からも子供ではいられない事を思い知らされる。


 おもむろに一冊のノートを広げる。かなり前に買い置きしておいた新品だ。何も書かれていない最初のページ。シャープペンシルを手にして、そのページに向き合い頭を悩ませる。


 これが真田の言う所の『良いお話』だった。真田と同じように日々を記録してみる事。これからの毎日が新しく思えるようになったのなら、その毎日を書き残してみるのは良いのではないか。見た物、聞いた事、感じた何か。それらを振り返ってまったく新しい世界を見つめる。宮村にとっても良い経験になり、同じ事をしていると思うと対抗心で真田も三日坊主では終わらなくなるかもしれない。一石二鳥というものである。


 宮村が一応ではあるが素直に受け入れた事には真田も少し驚いたが。


(しっかし、まあ……何て書いたら良いもんか)


 昔から勉強は好きではない。そして人並みに作文や感想文なんかも嫌いだった。こうして文章を書こうにも、その書き出しにどうしても困る。スタートダッシュさえ出来たならば後はもう勢いで何とか書けそうではあるのだが、勢いに乗れるスタートの切り方が思い付かない。


(何か、それっぽい感じで書き始めりゃいっか! 後で読んだ時に頭抱えりゃ良いんだ!)


 そんな具合に開き直ってペンを走らせる。今の所は誰かに見せる予定は無い。少しくらい気取って書き始めても恥ずかしいのは後の自分だけ。そう思えば気楽なもの。


 お世辞にも特別に上手とは言えない字。まず何よりも最初に書きたいと思ったのは、ここ数日を通して心の底から沸き上がった気持ちだ。



『真田優介は変人だった』



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