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暁降ちを望む  作者: コウ
金欠ペネトレイト
173/333

「ああ、金が無いんだった」


 ポツリと宮村がそんな事を口にしたのは、歩き始めてからおよそ三十分。自動販売機を目の前にした時だった。喉が渇いたのだろうが、財布の中身を探るまでもなく断言できるほど所持金を把握している辺り、本格的に金は無いと見える。


「あー、何飲みます?」

「え、マジ? あや、でもそれは……」

「良いですよ、僕が何か飲むついでですから」

「……じゃあスポドリ」

「相場はジュース的なのだと思ってました」


 すぐに遠慮を始めた宮村に対して重ねて勧めるとすぐに意思を翻す。欲望に忠実になる事が出来るのは時に良い事だ。人に何かを奢るなど絶対に御免だと考える真田が珍しく、お近付きのしるしとばかりに奢ろうと決めたのだ。気の迷い、魔が差したとも言うが。それでもその気持ちを無下にされるよりよほど良い。

 烏龍茶のボタンとスポーツドリンクのボタンを連続して押す。自分で言っておいて相場も何もあったものじゃない。


「バイト代、全部が家に入ってるんですか?」


 烏龍茶で喉を潤し、ついでに油も落とす。少しくらいは声が出しにくくなったかもしれないが、さして問題も無く疑問を発する。宮村は学校にも来なくなるほどバイトをしていたはずだが金が無いと言う。その金はどこに行ったのだろう。入院している弟に掛かる金で家計が圧迫されているのだから、行く先はそこだけだろうと予想は出来るが。


「そのつもりで渡すけど、半分は突き返される。まぁ、ろくに学校も行かずに稼いだ金、プライドなんかもあるだろうし半分受け取ってくれるだけで御の字だわな」

「学校に行ってないのは歓迎されないでしょうね」

「まーな。だから、バイト辞めたった。ほとんど」

「は?」


 これは流石に寝耳に水。よもやバイトを辞めているなどとは思わなかった。確かに続けて登校しているとは思ったが、それほどまでに極端な行動に出ていたとは。


「全部辞めたんじゃねぇけどな。特に世話になった所はもう少し続ける事にした」


 それにしてもである。


「こっからはバイト減らしたとか言って、半分って事にして全部渡す。急に減ったら不自然だから、今残ってる金を足して良い感じに渡す額を調整してな。良い考えだろ、財布の中はスッカラカンだ」

「何でまたそんな事を」

「決まってんだろ? せっかくだからお前と学校通おうと思ったんだよ」


 そう言われると、真田には返す言葉も無い。宮村がとんでもない事をしたと思ったが、その理由に自分が関係しているとなるとそれ以上何が言えよう。感謝をするのも何となく違う気がする。真田に出来る事はきっと、感謝を表には出さないまま、しかし宮村の気持ちにはしっかりと応える事だ。


 真田家の事情と宮村家の事情は大きく違う。真田は生きる上でまだ金銭的な苦境に立ったことは無い。むしろその点においては恵まれていると言っても良いだろう。権利を勝ち取り、金については気にする事も無く平然と学校に通っている。だからこそ、一つだけどうしても聞きたい疑問があった。失礼かもしれないが、それでも気になる事。


「でも、ウチって私立じゃないですか。聞いて良いのか分かりませんけど、そんな事になった段階で辞めたり転校とか考えなかったんですか?」

「考えたっちゃ考えたけど……俺って頭アレだし。そんで学校は辞めるなってさ。絶対に卒業しろって。どんな道を選んでも面倒は見てやる、遠慮せず通えって」


 そう話す宮村はどこか遠い目をしている。迷惑を掛けている、そんな自覚と後ろ向きな自信が彼にはあった。今の学校に通い続ける彼には常に私立の学費が立ちはだかる。自分がしっかりしていればと、常にそんな気持ちは抱えていた。


 景山高校は全体的にレベルが高い訳ではない。だが、校風など環境は悪くない事もあって優秀な生徒が進学先に選ぶ事もあり、平均点が強引に引き上げられるのだ。一部のトップエースによって高評価を受けるが、それ以外は有象無象。そんな状態が続いて十数年、その実情は広く知れ渡っており、一部の目的を持った成績優秀者以外の進学が増えるという事も無く、変わらぬ偏差値詐欺の様相が伝統として今もなお続いている。

 同じクラスの雪野などは風の噂によれば成績は突出していると言っても良いらしい。この表向きはそこそこの偏差値を誇る学校で勉強嫌いの真田が中位あたりを維持できるのも、歪な成績分布のおかげと言えるだろう。


 つまり、成績上位層の雪野とクラスが同じだからと言って宮村の成績が良い訳ではないのだ。真田はその成績を把握してはいないが、口振りから察するに景山高校の本来のレベルに引っ掛かって合格した方なのだと思われる。そして中学時代の暴力事件と退部。もはやどうしようもない。学校を辞める事を許されない宮村には罪悪感を抱えながら通い続ける他に選択肢が無いのだ。


「ふぅん……」


 そんなほとんど吐息と変わらないような真田の返事は無関心なように聞こえるだろうか。しかし宮村は気にしたような様子も見せずにスポーツドリンクを飲んでいる。他者は自分語りにそこまでの興味を持たない、あるいは興味が長く続かない。それを理解している風だった。

 だが、真田の気の無い返事は興味を失ったからではない。むしろその逆、宮村の言葉から深く考え込み始めたからである。


「……多分なんですけどね?」

「あ?」

「お金は、あると思うんですよ。下手すりゃ……と言うか上手くいけばと言うか、結構大金」

「ど、どーゆーことだよ」


 宮村は露骨なまでに動揺している。いきなり前提から覆すような事を突然言われたのだから、それも仕方のない事。次はその口から一体どのような言葉が出てくるのだろうと考えると、心臓が激しく高鳴り、一気に体温が上昇する。袖を捲り上げて話の続きに身構える。まだ半分ほど中身の残ったペットボトルがあまり愉快ではない音を立てながら歪む。冷静を保つよう抑えてはいるが、腕輪による補正が僅かに込められた力を増幅させている。完璧に冷静ではいられていない証拠だ。


「お金はあるけど、自分で大事に宝箱に収めたもんだから取り出せない……」

「宝箱?」


 この言い回しには宮村も首を傾げるばかり。有り体に言えば、真田は躊躇っていた。あくまで推測、可能性の話でしかない。仮に推測が正しかったならば、その時は宮村に選択を迫る事になる。未だ浅い付き合いがそれを許すだろうか。そう考えた時、どうしても言い方は遠回りした曖昧な表現になってしまう。


「宝箱を開ける魔法の言葉が無い訳じゃないんですよ」

「それは?」

「そうですね……『俺は卒業したら家を出て働く』とか『卒業したら一人で生きる』とか、ですかね」


 キョトンと、そんな音が聞こえてきそうな表情が真田に向けられる。身構えていたらその斜め後ろから殴りかかられたような、そんな妙な気分。「何だそりゃ」あるいは「どういう意味だ」など、疑問の言葉が浮かび上がっては消える。問い掛けるよりも続きを待った方が早い。


「あー……どんな道を選んでも面倒見てくれるんですよね? つまり、どんな道を選んでも面倒を見てやれるよう準備をしてる……音大とかなら分かりませんけど、私立の大学も視野に入れて準備をしてるんじゃないか、ずっとずっと昔から」

「俺の、学費……?」

「貯金か学資保険かで額は変わるでしょうけど、お金自体は貯めてる可能性があります。面倒を見るって言ったのも大変な時期になってからですよね? なら、聖域は確かに存在する」


 これは推測だ。しかも頭には希望的や楽観的という言葉が付いて回る。だが、絶対にありえないかと問われたら、そんな事は無いと断言できる。


「そっか、俺のための金……」

「でも、その宝箱に入った埋蔵金が実在したとして、それは宮村君の事を想ってくれた気持ちに背を向ける事になりますね。宮村君の幸せのために、宮村君に使うためのお金なんですから」

「っ……」


 二人揃って口を閉ざす。宮村は自分の目の前に現れた選択について思い悩み、そして真田はさらに続けようとした言葉を飲み込んで。

 たとえ金が手に入ったとしても、それによって弟が治るのではない。金があれば解決する話ではないのだ。宮村は一人で生き、そして弟は……そのようなパターンの可能性もある。もちろんそれを口にはしない。自分で悩み、その中で気付き、そしてさらに深く悩むべきだ。そこからしか納得する答えは生まれてこない。


「なあ、真田。俺、どうしたら……」


 それでも宮村が戸惑いを口にするのは当然だろう。仕方がない。彼も分かってはいるはずなのだ。誰かに背中を押してもらう事すら許されない、全ては自分で決めなければならないという事を。それでも急な話で頭が回らないと思わず助けを求めてしまう。崖から落ちそうな時に助けを求めて伸ばした手、それを払い除けて突き落す事で自力で何とかしなければならないと改めて知らしめる。それが真田の仕事だ。


「それは――」


 口を開いて助けを断ち切ろうとする。だが、それは叶わなかった。真田の言葉はそこで途切れてしまったのだ。


 何故だか脇腹が熱い。炎を纏っているよりも遥かに高い熱が、一つの点を中心に広がっている。目の前では宮村が驚きに目を見開く。何かが起こっている、それは明白だった。そうして、その熱が痛みである事に気付く。熱と間違えるほどに強烈なダメージ。


誰も居ない、気配は無い、音も無い。


「敵……どこ、から……っ」


 急転直下、怪我の治療に意識を向ける事も出来ない。腹部から滴る血液。見えない敵からの一撃に、ここで真田は膝をついてしまった。

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