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暁降ちを望む  作者: コウ
最高の
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 フックというパンチは良いものだ。宮村などは思い切り叩き込むストレート(特に右が)好きなのだろうが、真田はフックが一番好きかもしれない。

 何せ、正面に居ながらパンチは比較的、横の方からパンチが打ち込まれるのだ。少しばかり出が遅くなってしまうきらいがあるが、ボクシングのルールに縛られない、足でも投げでも体当たりでも凶器でも環境利用でも、もちろん魔法でも。攻撃の選択肢が無限大と言って良い状況下においては他に警戒する行動があまりに多い、その隙を突ければ上等過ぎる奇襲だろう。


 仕切り直した最初の一発は、もちろんと言うべきか左フック。高速接近、直後のフック。注意を向けているのとは違う方向に生まれるのが隙だが、これはそんな話ではない。接近して来たと認識している、進行形の状態に対してパンチを叩き込もうとしている。注意も隙もあったもんじゃない。


 入るか? あまり期待していないながらもそう考えて左拳に力を込める。腕の熱が増して、そこに青い炎が発生する――が、やはり当たらない。虚を突かれはしたが、叶は咄嗟に頭を後ろに反らす最小限の動きでもって回避する。薄皮と呼んでも差し支えないような炎だからこそ、それで問題無い。


(そりゃ、期待してなかったけどさ……)


 頭と共に体重も後ろに傾けてそのまま後方のスペースに一歩退避する叶。想定通りでも気に入らないものは仕方がない。何とかして攻撃を当てたい、その気持ちが前に出していた左足をザザッともう一歩分スライドさせる。振り切った左手を戻すように、それでいて横ではなく前に攻撃するように。一歩分だけ遠くに左の裏拳を叩き込む。


「っとぉ……」


 今度の攻撃は確実に見えていたらしい。声から余裕が目に見えてくるようだ。またしても後方を有効活用するように右足を引き、半身になるようにしながら回避。叶の眼前を拳が通る。

 左腕を開くように振れば、拳は叶の顔から離れて行く。そのスピードもかなりのもの。つまり勢いもまたかなりのものだ。その勢いを利用して右の乱暴なパンチが叶の後頭部を襲う。完全なる死角、とは言え勢い任せのパンチだけあって見えなくともその軌道はイメージ出来ただろう。体を前に屈める、ダッキングで鮮やかに避けられてしまう。そして踊るようなステップでさらに一歩下がって正面を向く。


 まったくもって当たる気がしない。勘の良さ、想像力、反射神経、思考速度、決断力。もう訳が分からないほどありとあらゆる能力が高すぎる。いくらでもあったチャンスがどうも活かし切れない。


(やっぱり、一押しか……どうする。偶然の何かが起きるまで攻めるか? それとも何か使える物が……)


 その場に存在する何かを利用して一押しを生み出すのがより積極的だろう。ただ、使える何かが存在しているかどうかも偶然だ。何も無い可能性もある、どころかその方が高い。

 ジャブもどきを連打、そして当然のように捌かれる。叶の手に触れた瞬間にすぐ引き戻す事で手を掴まれる可能性を極力排除する。手を引くタイミングは相手に触れるよりも少し早く、それがコツだ。


 こうして攻防を続けていると他に目を向ける余裕が少しだけ生まれてくる。もちろん他所を凝視する事は死を意味するだろうが、一瞬だけチラリと周囲を見る事くらいは許されるだろう。視界の端にでも何か使える物が映れば、それを利用して戦いたい。いや、むしろ何か映れ! そう言いたい気持ちで素早く確認。


 転がる空き缶。踏ませられるだろうか、いや、難しい。

 大きな血溜まり。足を滑らせるか、いや、それも出来そうにない。

 僅かに闇が深く見える微かな地面のへこみ。使い道はあるか、いや、まったく無い。


 正直な話、打つ手なしと言った所だ。


(――ん? アレって、まさか……っ!)


 真田の視界。凄まじい速度でぐるりと見渡したその視界の端の端、それは入り込んだ。存在感で言えば極めて薄い。それでも確かに、それは存在している。


 このまま真っ直ぐに押しては辿り着かない。少しだけ左に、角度を変えれば……


「しゃあっ!」

「っ!」


 ジャブを止めた左手を一度下げ、すぐさま素早く振り上げる。指を弾いて、相手の右手側に青い火の粉が飛ぶ。もちろんろくな効果は得られないだろう。だがほんの少しでも注意を向けさせられればそれで良い。その瞬間、真田の体は相手の左手側前方に。真横に回り込んではいけない、あくまで斜め前。その位置に立つ事が重要。その位置から後ろに押し込む事が重要。

 そのまま真っ直ぐ下がって行け。そんな気持ちの入った右ストレート。だがそれはスイ、と右手側に体を傾けて避けられてしまう。


(そっちにブレてくれるなよ!)


 元通りのルートに乗せるため左フックを見せる事で軌道を修正する。目論見通り、叶は目的のポイントに至るまでの一本道に体を戻しながら、さらに後退までさせる事に成功する。そう、真田は今、相手の後退をもチャンスに変えている。

 相手の動きに合わせて体が勝手に反応する。その場その場でより効果的な攻撃を仕掛けて、絶えず攻め立てる。これだけ攻められれば叶も足を止める事は出来ない。前から横から上から、止まらぬ拳のつるべ打ち。弾いて躱して、全力の防御によってダメージは一切負っていないが、防がれてもなお前に出ようとする真田の圧力を正面から受け止める事は出来ない。だからその圧力は吸収するように後退する。


 真田が右ストレートと共に左足を一歩前に出せば、叶は顔を動かして回避しながら右足を一歩後ろに下げる。真田がもう一歩、右足を出そうとする素振りを見せれば、叶も一定の距離を保とうと左足を先んじて下げる。不思議なもので、まるで心の通じ合った二人のダンスのようだ。


 当然だが打ち合わせなどしていない。今現在も言葉を交わしてはいない。非常に高いレベルにいる二人だからこそ生まれる一糸乱れぬ攻防だった。叶は強い。格闘技の経験があるというほどではないが、体の使い方、自分のリーチやスピードなどをよく知っている。前述したような能力の高さも相まって、最強という呼び名が伊達ではない事を何度となく思い知らされる。


 二人とも高いレベルにいるとは記したが、真田は強くない。格闘技の経験はもちろん無く、自分の体がどれだけ動くのかも分かったものではない。成長して体が出来上がって数年、その間に真面目に体を動かしたのは戦っている時だけ。つまりここ最近の異常事態の時だけ。冷静に自分の瞬発力や腕力などを計測していればそのデータを基にして考えながら戦えたかもしれないが、少し面倒臭がった。主観的にも客観的にも、真田は決して強いとは言えない。


 だが、対抗心はある。それは目の前の不愉快な相手に対するものか、それともこれまでの人生における抑圧された精神が実戦の場で解放されて妙な負けん気になっているのか。強敵を前にして真田の力はかなり強引に引き上げられている。相手が強いからこそ、真田は今もなお強くなり続けているのだ。最強という肩書に手を掛けるほど。

 訓練ではなく、実戦でもなく。強者との戦いの中で真田の力は磨かれる。


 強い者と強くなっている者、二人のダンスはそう長くは続かない。最後の地はすぐそこに。真田は強くなった。そして仲間が叶の強さを抑えた。間違いなく、これは全員の成果だ。


 真田の左足に合わせて叶の右足が動く。そしてとうとう、叶の右足がそれを踏み締める。


 思えば敵の能力は凶悪で、それでなくとも魔法というものはそもそもからして強力で。一撃でも受ければ致命傷になりかねない。この戦いは激戦でありながら、意外なほどに血が流れていないのだ。

 戦いの中で大きなダメージを負い、血を流したのは真田くらいのものだ。そして、その本人がある事を不審に思う。



 あんな血溜まりになるほど自分は血を吐いたのか?



 そこは間違いなく、真田が腹部を蹴られた真田が血を吐き出した場所だ。だから血があるのは変な事ではない。ただ、何故あれほどまでに大きいのか。怪我は治せても血が戻る訳ではない。あれほど血を吐いたなら、それはかなりの大事だ。パフォーマンスに多大な影響を与えるほど。

 けれど真田はそこまでの影響を受けてはいない。何故か。そこまでの量の血を吐いていないからだ。ならば、それは何なのか。夜の闇に、真実は隠される。


 それは、血を薄く延ばした――大きな、水溜まり。


「――っ!?」


 叶が一歩下がってから体勢を立て直そうとした瞬間、魔力が膨れ上がる。叶のものではなく、もちろん真田のものでもない。そう、ここに居ないはずの、ここに居ないと思っていた男の魔力。叶の右足は凍り、地面と一体化を果たす。

 その男は堂々と姿を現し、薄く笑って手を振り去って行く。後に残るのは本当に二人だけ。


 片や、完全なる意識の外からの攻撃に何も考えられず、何も行動できない無の男。

 片や、最後の一押しを求め、狙い、そして手に入れた男。


「あ……あっ?」


 瞬時に意識を覚醒させた叶は立派なものだ。咄嗟に顔面をガードしたその判断の迅速さも。けれどその視界に真田の姿はもう無い。もう叶の目には映らない。ほとんどの攻撃で顔面を狙い続けた、これが最後のコンビネーション。


 比較すると、真田はリーチが短い。

 比較すると、真田は力が弱い。

 比較すると、真田は体が小さい。

 比較すると、真田は回転が小さく速い。


 そう、宮村と比較すると、真田は力が弱いがスピードには勝る。


 それは衝撃だった。あの衝撃を、真田は決して忘れはしないだろう。何度だってそれを頭の中で鮮明に思い描く事が出来る。

 鮮明に描けるなら、それは、出来る。


「おおぉぉぉっ!」


 真田の体は叶のすぐ近く、もっと言えば懐。小さな体が素早く鋭く回転する。真田の視界に映るのは、もはや無防備な叶の顎だけ。

 踏み込まれた左足、低くなった姿勢、そして唸る左拳。


「さな、だ……っ」


 ガードの手がダラリと落ちる。その手は真田に触れようとして、それより先に魔力圏が触れて真田の腕輪を無効化する。

 それでも、その速さは、勢いは消えはしない。


(全部全部、この一撃のためにあった、ような気がする。本当に……最高の仲間ですよ、みなさん)


「っらああぁぁぁあ!」


 天を衝く拳。魔力も持たないただの男の拳が、ついに難攻不落の急所を砕く。跳ね上がる頭、砕く感触と砕けた感触が同時に体の芯に響く。それはきっと勝利を知らせる鐘の音だ。


 叶の体が揺れる。まだ終わっていない。魔法使いの戦いは、腕輪を潰すその時まで続く。仲間になれる気はしない。ならば、決着はとことんまで。

 真田の両腕を青い炎が包み込む。その炎は、真田の熱く滾る意思の結晶。


 もはや何者も守らぬ叶の胸に、真田の拳が吸い込まれるように叩き付けられる。小さな青い炎はその瞬間、獲物を逃がさぬ灼熱の牙となって叶に喰らいつく。叶の胸に青い炎が灯される。それは燃え広がる事はない。ただひたすら、そこに留まり地獄のような責め苦を与え続ける意地の炎。


「ぃぎゃあああぁぁぁぁぁぁ!」


 響き渡るは痛みの叫び、そしてそれは歓びの響き。この声を響かせるその時を待ちわびていた。この声を何度も響かせれば良い。何度も何度でも。

 肩にも、腕にも、腹にも、また胸にも。叶の体にいくつもの炎が刻まれて、絶えず蝕み続ける。その目は何も見ていないが、そこにはきっと自分に勝った男の姿が確かに映っているはずだ。


 その視界をも真田は遮る。拳を開き、燃えるその手で叶の顔を掴む。これはお返しだ。こうでもしてやらないと、気が済まない。


「燃ぉえろぉぉぉぉぉぉ!」


 それは少し性質の違う、燃え広がる炎だった。顔から始動したそれは、胸に灯った炎、肩に灯った炎、腹に灯った炎と合流しながら徐々に叶の全身を覆い尽くす。連鎖式、最大最高火力の炎。

 一つの巨大な青い火の玉となった叶を渾身の力で遠く向こうの壁まで押し飛ばす。抵抗の力は無い。しかし砂埃を巻き上げて、壁に強く叩き付けられて、それでもなお叶は立っている。


 真田が魔法を停止させると、叶の炎も消える。この時ばかりは自分から離れた炎を消す事くらいは出来るようだ。間違いなく真田が炎を消した。その事は感覚で何となく分かる。それはつまり、叶は今、魔法を発動していないという事だ。正確には発動する事が出来ないのか。意識は飛びかけている。まだギリギリで意識を保っているとも言える。凄まじい精神力だ。これほど強力な魔法使いだった事も頷ける。

 ガクガクと震える足で、壁に寄り掛かりながら立っている叶の目の前へと、真田はゆっくり歩みを進める。その足はしっかりと大地を踏み締める。疲労は隠し切れるものではない。それでも耐え切れるものではある。その先に待っているものがあれば、耐え難い疲労も耐えてみせる。


「さ……だ、ゆ……す、け……」


 意識を保ち、命を保ち。今もまだ真田の名を呼び続ける。最後までその意思は負けてはいない。


「…………」


 言葉を発する事も出来ない。何か思う事はあったが、それら全てを飲み込んで、小さく頭を下げた。

 感謝であるとか、そんなものではない。断じて違う。だが、本当に何となく頭が下がった。この精神の強さは見習うものがあるかもしれない。歪んでいても、間違っているように思えても、それでもこの男は真田の敵、叶 正治であり続ける。


 腕輪を手に入れてから、真田の人生は大きく動いた。それからの日々を楽しいと思っている、充実している。しかし、心の奥底には魔法に振り回される人間であるという意識があったのかもしれない。魔法によって良い事も悪い事も起きて、それを魔法を使ってどうにかする。敢えて言葉にするならただの《魔法を使う人》だ。


 それが一度、殺人者となりかけた。魔法と憎しみを振るい、敵を殺す。それもあるいは在り方なのかもしれないが、それでは駄目なのだ。それで仲間に顔向けが出来るのだろうか。自分はそれを認められない。それは分かった。


 そして今、真田は《魔法使い》になった。魔法を使えれば魔法使いではない。魔法使いとは、もっと難しいものだ。難しいが、悪くないものだ。

 それを理解するきっかけとなった事に対して頭を下げた。感謝のつもりは本当に無い。苛立ちのような負の感情と混ざり合って無となった。無という複雑極まりない感情によって頭を下げたなら、後はもう思い残す事は無い。


「……いきます」


 指の一本一本を確かめるようにゆっくりと拳を作り、そこに意識を集中させる。魔法を使うのではない。ただそこに、自分の意思というものを乗せたかった。


 全部終わったら、早く店に帰ろうと思った。無性に仲間達の顔を見たくなってきた。きっと真田が帰るのを待っている。店の中から暗い通りへ光が漏れる。以前にも見たような光景だ。けれど、その時よりも少しだけ前向きな気持ちでその暖かな光と向き合えるような、そんな気がする。


 右腕を思い切り引き絞って、その拳が消えたと見紛う速さで、叶の胸に突き刺さる。


 疲労と緊張と恐怖と高揚。耳が痛くなるような心臓の音に紛れて、軽く弾けるような音が確かにその耳には届くのであった。

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