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「ふむ、なかなか重いね」
齢五十も近いと言っていたその男は、扉を手に持っていた。古びた扉の想像以上の重量に対して暢気に感想を言っている姿に思わず真田が駆け寄る。
「な……何してるんですか!」
「うん? 開かなかったからね、ガタガタとやっていたら鍵が外れて扉も外れたんだ。私は運が良いな」
「運……良いんですかね、それ」
両手に抱えた扉を少し考えてからもう一方の扉に立て掛けるようにして置くと、麻生は何の躊躇いも無く店の中へと足を踏み入れた。
「流石に埃っぽい。これはアレルギー持ちにとっては地獄だろうな」
「いや、埃とかじゃなくて……その、何で入っちゃうんですか」
「何でって、気になるだろう? 行きたかったのに潰れていたんだ、内装くらいは知っておきたいと思うじゃないか」
至極当然の事だと言わんばかりの口ぶりだ。まともな人物だと思っていたのだが、少し認識を誤ってい
たようだった。この麻生という男は間違いなく変わっている。もちろんそれによって尊敬できる大人という評価を撤回するつもりなど無いのだが、それでも少し複雑ではあった。
この店が今現在、誰の持ち物であるのか。これは不法侵入なのではないかと様々な思いが巡る。
積極的に関わりたくない真田は片側が開けっ放しになってしまった扉から中を控えめに覗き込む程度に止めておいた。いざという時に「自分は間違いなく足は踏み入れていない」と主張するためである。常に逃げ道は用意しておく、真田の後ろ向きな慎重さ故の考え方だ。
わざわざ侵入して確かめるまでも無く、内部は特に変わらない普通の定食屋と言った様子であった。四人掛けのテーブルが三つとカウンター席。どうやら中は営業当時のままのようだ。壁には焼き魚定食であるなどのメニューや、細かな内容はよく分からないが、東京オリンピックの記事が載っているらしいボロボロの新聞の切り抜きが貼られている。東京オリンピックと言えば五十年ほど前だっただろうか。まだこの辺りも賑わっていた時代だ。
「ほう……見たまえよ、平凡パンチだ。いや懐かしい……」
置かれている雑誌も当時のままらしい。平凡パンチなど名前しか知らないが、今はもう休刊状態のはずだ。それが置かれているという事は、とりあえず休刊後まで営業はしてなかったのだと思われる。
「こういった場所を見るのはなかなか面白いものだね。私は少し厨房の方まで行ってみよう」
そう言って麻生はズンズンと奥に足を踏み入れる。当時の空気を残し過ぎたこの店が中年の好奇心を刺激しているようだ。身に着けている立派なスーツが汚れるのもお構いなしと言った様子だった。
(流石に、これは着いて行けないなぁ……)
正直な気持ちとしてはもう帰りたいと思っていたのだが、このまま置いて帰るのも忍びない。暗い中を麻生一人で帰るのはまず不可能だと思っている事もある。真田は小さく咳をしながら後ろ歩きで下がる。電柱にもたれ掛かって手にしていた鞄を地面に置き、気が済むまで待っていようと決めた。
戦闘や面談や道案内と色々な事が重なり、かなり久々なように感じる一人の時間に思わず溜息がこぼれる。人と一緒にいる事による疲労はしっかりと溜まっていたようだった。夜の空気が肺に飛び込み、手首が疼く。腕輪に違和感は無かったが、ふと意識を向けてしまうとやはり少し気になる。
腕輪を気にすると真田の心は少しだけ、いわゆる《魔法使い》になる。暗闇の中でどこからか魔法が飛んでくるのではないかと不安になるのだ。左右に目を動かして確認をするも、当然の事ながら何も見えない。それだけ暗い。文字通り、一寸先は闇と言った状況だ。
「まぁ、そうそう毎日襲われる事は無いか……」
呟く声は暗闇に消える。だが、往々にして悪い予感というものは当たってしまうものだ。