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「行きます!」
「……っ! お前、クソッ!」
真田は変わらずひたすらに前進、前進。その行動からは何かが変わったような様子はあまり見られない。ただ、間違いなく変わった要素も確かに存在している。そして、その要素は確かに叶を先程までよりもグッと押し込んでいる。
一つは、真田の腕が炎に包まれていない点。魔法の発動が分かりやすかった大きな炎は影も形も無い。傍から見れば魔法使いには見えないようなその姿は、不可視の魔力圏を武器に戦う叶と似ているとも言えるだろう。
そしてもう一つ、それは叶との距離だ。あまりに近い、これまでのように距離を詰めながらも炎を武器に少し離れての戦闘とはまた違う。手を伸ばさずとも届く、吐息も届かんばかりの至近距離。ただの人間二人の殴り合いと言った様相である。
「ぐぅ……当たら……ねぇ!」
苦々しく言葉を発する叶の表情を真田が窺い知る事はない。何故ならば、真田はこの至近距離において相手の顔を一切見ていないためだ。目は常に、相手の両手を素早く行き来して追う。
この距離において、いとも容易く視界から外れてしまう手の動きを追う事は極めて難しい。ただでさえ高速で動く手が視界の端と端に存在する事もざらにあるのだ。基本は目で追いながらも気配や魔力、何よりも想像力で補わなければやってられない。気を抜けば見失うのは一瞬だ。ほんの僅かな間でも油断すればいつでも魔力圏に入って魔力を無効化される状況、それでも真田は後退する意思を見せない。
叶の一挙手一投足がそれだけで致命的になりかねない。少しの動きに対しても大袈裟なほどに回避する。体を折り、捻り、反らし、屈み――およそ真田の戦い方とは思えないような、本能を剥き出しにした奔放な回避法だ。
(あ、しゃがんだ……このまま立ち上がりざまにボディに一発入らないかなぁ。でも防がれたら、その時はどっちかの手が下がるから、そっちを狙えるかな?)
回避は本能全開だった。何も考えず、ひたすら相手の動きに反応する。それでいて、攻撃はしっかりと頭を回していた。相手の行動だけでなく、操りきれない自分の行動にまで合わせて攻撃の手を考える。
真田は思考する。真田は反応する。全力で考えるのではない。何も考えないのではない。無理をするのではない。欲張るのではない。思考しようともせず、反応しようともしない。それでも思考し、反応する。極めて自然体。真田の出来る事を自然に何でも行なう。彼の戦い方の、きっとこれが完成形、なのかもしれない。
「あがっ……あ、足ぃぃぃぃい!」
捕らえようと仕掛けてきた腕を、まるでどこかの映画のようにダイナミックに体を反らして回避を行なった真田は、そのまま右足を上げて叶の脇腹に蹴りを叩き込む。今回の戦いは刀とボクシング、そして残る真田は戦いに参加しなかったため、蹴りは相手の頭に無い奇襲と言っても良い。
「オッシャア!」
上半身を起こす勢いのまま足を真っ直ぐに下ろす。地面を揺らさんばかりの強い踏み込み、そこから生まれるのはノーモーションとは程遠い、体重の全てを掛けるような全身を使った左ストレート。
「おおおっ! ぐっ!」
そのパンチを脅威に感じたか、叶はそれを両手で防ごうとする。咄嗟の行動であったためだろう、そこに真田の腕を掴もうとするような意思は無かったように思われる。
真田のパンチはとにかく速く、攻撃的であった。唸る拳が通過した空間には青い炎の軌跡が残る。真田の炎は大きな赤い炎から、力を凝縮させた、小さく熱い、青い炎に変化している。腕は包まず、しかしその攻撃には常に伴なわれる青い炎。
もちろん無効化される事に変わりはない。けれどその渾身の力を込めたパンチの勢いは死なない。加速をした拳は防御のために向けられた手に直撃し、そして力任せに弾き飛ばす。
その拳は強い。間違いなく、強い。そこには真田の強い意思を静かに、それでいて限りなく熱く燃やした青い炎が宿っているのだから。それは確実に叶にも伝わった事だろう。凶悪なまでの魔力として。無効化しても、ただのパンチだったとしても、そこに込められた魔力が分からないはずがない。
邪魔をするなら燃やして通る。約束のため、自分自身の意思のため、燃え盛る想いが青く染まる。その力は防御不能、覚悟不要。当たれば必殺、防御すら焼き尽くし、どれだけ覚悟を決めても耐え難い。
「――っ! っ!?」
攻撃は直撃こそしなかったが、防御のために出した手は弾かれた。それだけ強烈な攻撃で、叶も思わず後ろに倒れてしまいそうになる。もちろんそれで簡単に倒れるような相手ではない。踏み止まるように一歩、後方に足を出して体を支えると、その足で地を蹴り後ろへ飛んで真田から距離を取った――つもりであった。
距離は変わらない。同じタイミングで真田もまた前進したのだ。至近距離からのさらなる前進、そこに希望は無い。それでも真田は敢行する。
(危ないって思ったんでしょう? ちょっと体勢を立て直したかったんでしょう? ――読めますよ)
攻撃を受けて相手は後退を選ぶ。読めてはいても大きな賭けである。それを実行可能にしたのは真田の本能の部分だろう。頭で考えて、本能がそれを後押しする。真田は確実に成長している。その成長があくまで魔法使いとして、戦う身としてのものであるのが本人としては気になる所であるが。
「この、ヤロォ……」
叶の声はどこまでも苦しく聞こえる。先程の真田の攻撃は特段ダメージを与えてはいない。だが、それでも大き過ぎる衝撃を叶の精神に与えた。即ち、一発でも当たる事は許されないであろうというプレッシャーだ。真田が追いすがり接近戦が継続される事によって、そのプレッシャーは防御への集中というとても分かりやすい形で表へ出る。
(さあ、どこを狙う? ……頭! そこ狙われた方が怖いだろ)
繰り出す右のストレート、狙うは顔面。恐怖を覚えるこの拳に顔を狙われれば動揺せずにはいられない。それが強いプレッシャーを感じている状態ならばなおさら。
「チィッ……イライラさせる……っ!」
ストレートを手で弾いて防がれると直後、右頬へ向かっての左フック。それを払い除けられるのも想定の内、放つのは小さく弧を描いた鋭い右のローキック。しかし蹴りはもはや叶の頭に入っている。左足を動かし、自ら当てにいく事で蹴りを完成させない。足に炎は纏えない、それで防御は充分だ。防がれた右足を肩幅より少し広い位置に着地させ、その足を軸にしてより角度の付いたほぼ真横からの顔を目掛けた右フック。少し大変な体勢ではあるが、それを完遂するイメージは出来ている。鮮明に描けているなら、絶対不可能な体勢でない限りそれは可能となる。
叶のフックに対する反応は、ローキック直後の横からの上段攻撃に対するものとは思えないほど迅速であった。左腕を上げ、魔力圏を纏う前腕部にパンチをヒットさせる。その際、衝撃を最小限にするようタイミングを合わせて肘を曲げて吸収する念の入れようだ。無傷と言って良いだろう。
無理をしてフックを打った後、真田の体勢が不十分である事は仕方がない。だが、仕方ないで終わってしまっては攻撃も終わりだ。それはいただけない。思い切って真田は体重を前方に過剰に傾ける。倒れ込むようにしながら伸ばす左手が、叶の顔面に迫るが――
「甘めぇわ!」
そんな手の平に叶は渾身のパンチを叩き込んで強引に弾き飛ばす。文字通り地に足がついていない真田は後ろ向きに倒れそうになる所をたたらを踏んで耐える。そして叶も後方へと飛ぶ。
立ち上がってからの真田は目の覚めるような猛攻を見せた。これだけ体が動いたのも、宮村に教えるために使ったボクシング教本を覚え込んだ成果だろう。体の使い方は頭に浮かぶ。
だが叶の集中した防御もまた見事なものだ。能力は確かにほぼ防御用であるが、今はその力を活用していないに等しい。真田の手を掴んで腕輪を無効化できるタイミングはいくらでも存在していたが、実行しようとする余裕が無かったのだろう。その行動が頭から抜け落ちていた。
ともあれ結果、こうして再び距離を取る事を許してしまう。
「へっ、正直ビビったぜ。隠し玉なんか持ちやがって」
言いながら拭う汗は、夏の夜の暑さのせいだけではないだろう。
「隠してたワケじゃないんですけど……ただ、気に入らない相手が怖がってるのは爽快です」
そう返して真田は笑う。この戦い方自体は以前、赤い男を倒した時の応用だ。火を小さくして、その分だけ熱く燃やす。より温度を上げる、その事に魔力を集中させる。現状、魔力の無駄遣いをしないように極限までその方法を実行したのが青い炎だ。
思い付きも良い所。いや、これほどの威力が出るとは思いもしなかった。まさに偶然の産物だ。それが相手にこれほど刺さるとは、正直に言って非常に面白い。
「まあ、んな事はどうでも良いんだけどな。俺の力があれば関係ねぇ」
「ド忘れしといてよく言いますね」
「馬鹿言え、俺の優しさだ」
叶がゆっくりと前に進み出る。真田が何度となく行なったようなものではないが、この歩みもまた前進ではあるだろう。
(……いや、前進じゃない。アレは、後退するスペースを作ってるんだ!)
そんな風に考えたのはきっと、真田が逃げる事も考えたい人間だからかもしれない。
進む事で自ら生み出した後方の空間、それはただ漫然と存在している空間とはまた違う。自分が生み出したという自負のある、より効果的に使える空間だ。
叶は自ら接近しようとしているのではない。真田を誘い出し、後退しながら戦う事を選んだのだ。これでは距離を詰め切れない。
(先手を打たれた……話して休憩でもしようと思ったのが不味かったか)
挑みかかる事もせず叶が足を止めたのは、真田と近くもなければ遠くもない、素手では届かないが武器や魔法なら届く距離。これまでならば真田の距離と言っても良いようなまさにミドルレンジ。だが、今の真田は完全に近距離専門。誘われている。それは明白だ。
(――誘われてるなら、思いっきり焦らしてやるさ)
軽く拳を握って顎の辺りまで上げる。自分で教えたはずの宮村の見よう見真似のようなファイティングポーズ。今にも襲い掛かりそうなその姿勢のまま口を開く。常に走り出す準備はできていると言わんばかりに。
「その物言い、随分と調子が出てきたみたいじゃないですか。さっきまであんなに怖がって苦しんでたのに」
「調子に乗れる時は乗っておかねぇとなぁ。良い気になってるお前を押し返してやって、今まさに調子に乗って良い時だ。へっはははははは!」
「チッ……」
焦らしながら休憩しているはずが、苛立ちながら神経を擦り減らせているような気がしてくる。
「ムカつく相手がイライラしてるってのは最高の気分だよなぁ?」
「……どんな相手でも不愉快にさせて良い気分、とはならないですね」
ついさっきまで言っていた事と今の言葉が見事に一致していない。もはや叶の言葉に対して反抗したいだけなのかもしれない。とにかく発言の一つ一つが気に入らないのだ。叶は真田の正反対のような位置に存在するのかもしれない。きっとどう足掻いても相容れない相手なのだ。
「最高さぁ、気に入らないヤツが不幸になるのはな。カラスが黒いのと同じくらい当たり前の話だ」
「何を馬鹿な事を言ってんですか。カラスってのは白いんですよ、当たり前の話で」
「はぁ? ……ふははは! 良いじゃねぇか、気に入った! いや、俺が気に入らねぇか?」
黒いカラスも白く見える程度には気に入らない。だが、わざわざそうであると肯定してやるのも腹立たしい。ある意味でここまで感情を剥き出しにする事も珍しいだろう。
「良いぜ? 気に入らねぇってんなら、二度と会わないよう俺が殺してやらぁ!」
「いえ。もう誰も殺されないよう、僕が倒します!」
高まる魔力、大気が震える。とにかく一撃、当てれば間違いなく勝利に繋がる。そして、そのためにはもう一押し、何かが必要だろう。これ以上、長々と時間を稼ぐ事は出来ない。戦いながらその一押しを何とか見付けねば。
啖呵を切ったからには倒さなければならない。そうしなければ無事には帰れない。心は少しささくれ立っているが、やる気には溢れている。それは炎を纏わずとも熱を感じるこの腕が確かな証拠だ。
走り出すその足に迷いは無い。その目に捉えるのは相手が半身に構える姿。後退する意思が見て取れる。真田の勢いを受け流しつつ自分のターンに持ち込もうとしている。
(そうはさせない、逃げ切れないほど一気に押してみせる!)
距離が詰まるために使う時間はほんの一瞬。戦闘再開までに何か思い付く事は不可能。思考を中断して自然体に、今できる事をするため、まず真田は左腕を振るうのだった。




