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暁降ちを望む  作者: コウ
最高の
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 深い深い暗闇だった。目は開いているつもりだが、何も見えはしない。いや、恐らくこの目には闇が見えているのだろう。


 耳に届くのは何かの音。遠く遠くから聞こえる小さな音。


(よくも死なないもんだ……人間って凄いわ)


 闇に意識を飲み込まれそうになりながら、そんな事をボンヤリと考えていた。まだ生きている、腕輪もまだ残っている。それは何となく分かった。基本的には華奢、ひ弱な真田だが、いざとなると自分でも驚くほどにしぶとい。詳しくは覚えていないが、とにかくボコボコにされた事は理解できている。しかし体に痛みは無い。痛覚を超越した所に意識があるのだろう。生き長らえてはいるが危険には違いないという事か。体がゆっくり死に近付いている事も分かる。自分自身の体力ゲージのようなものが少しずつ減少していくのを見守っているような気分だ。

 このままならば死ぬ。そして、治療をしようにもそれを可能にするような魔力がどうしても湧いてこない。


(ああ、ヤバいなぁ。これ結局死ぬヤツだ)


 不思議なまでに他人事。そもそも死ぬつもりでいたせいか。そういう意味では計算通り。誤算があるとするなら思っていたよりも穏やかに死ぬ事が出来そうという点だろうか。いわゆる嬉しい誤算というものだ。

 ゴウゴウと音が聞こえる。遠い音だった。しかし、それはどうしようもなく耳障りな音だった。うるさくて苛立ってくる。その上、暗闇に光まで差してきた。それ自体は喜ばしい事であるはずなのに不安を感じる。真田の心はこの暗闇に安らぎすら感じているのだ。


 光は大きくなり、そして収束した。消えたのではない。真田は光の中に入り込んでいる。光の中には何かの景色が広がっていた。



『僕は、本を読む事が大好きです。えっと、だから、僕は将来、本に関わるような仕事をしたいなぁ、と思っています。それで、世界中の沢山の人に、もっと本を読んでもらえるように頑張りたいです』


 それはどこかの教室だった。体の小さな少年が、立って作文か何かを音読している。注目されて緊張しているようだが、しっかりと自らの夢を語っているのは立派な事だろう。自分には出来そうにない、と真田は小さく呟く。


 直後、周囲を包んでいた光が弾けた。暗闇の中で光の粒子が星空を作り、再び真田を中心に集まろうとする。また何かを見せようとしているのだろうか。


 それはまたしても教室だった。しかし、先程とは違う教室。一人の少年が椅子に座っていた。ついさっき見たばかりの、作文の少年だ。周囲と比較して体が小さいのは変わらないが、確実に成長している。着ているのは黒い学生服。中学生だろうか。

 彼は喋らなかった。一言も発せず、座ったままピクリとも動かない。ただひたすらに座っているだけだ。辺りに注意を向けてみると他にも人間は沢山いた。それもそうだろう、教室なのだから。恐らく休み時間か何か。友人と話す者、宿題に精を出す者、授業の準備をしている者。様々な者がこの教室には居るが、本当の意味で何もしていないのは目の前の少年だけだった。座って、何も無い虚空を見詰めている。

 それだけであった。何も起こる事は無い。ただ少年が座っている、それだけの時間。


 そして光は弾け、闇へと引き戻される。光はまだキラキラと漂っている、終わりと言う訳ではなさそうである。


(何なんだろう、この時間は……何してんだかさっぱり分かんない)


 先程まで戦っていたとは思えないような妙な時間が過ぎていく。まだ終わりは見えない。けれど抗う事も出来そうにない。この光に身を任せるしかないのだろう。


 それは椅子に座った学生服の少年だった。周りは教室ではない。屋内ではあるが、学校という雰囲気ではなかった。どこかに備え付けられた長椅子に座って、少年は虚空を見詰める。その目は疲れ切っていて、感情の欠片も見えない。光の無い目だ。

 彼は喋っていない間は常に頭の中で様々な考え事をしている。真田はそう確信している。しかし、今の彼は何も考えていない。考えるという行為すら忘れた抜け殻のような物体だ。絶対にそうであると、これも真田は確信している。


『優介君』


 低い男の声が聞こえて、彼はゆっくりと顔を動かした。ドロリと濁った目が向けられても、その声の主である中年の男は動じなかった。すぐ後ろに控えている女性に視線を投げ掛け、小さく頷き合う。


『僕と何度か会った事は覚えてる……よね? 君のお父さんの兄、だから伯父だね。これから、僕達夫婦が君を引き取る事になる。本当の親だと思って、一緒に暮らしていこう』


(ああ、そう。そういう……)


 自分が死にかけているのであるという事実を今さらながらに思い出した。死の直前に見る光景、これはつまり『走馬灯のように』というものなのだ。それならば、見たものはすべて自分の人生。気付いた途端に光はまた弾ける。


(何か腑に落ちないなぁ、飛び飛びすぎる。人生もっと色々と……無かったかなぁ)


 短い人生である事は確かだが、これだけが人生ではなかったはずだ。もっと楽しく過ごす事が出来た時間が確かに存在しているはず。そう思って気付く。人生の内で楽しく過ごしていたのは、つい最近から始まったほんの数ヶ月だけである事に。


『逃げるなよぉ……お前もなんだろぉ?』


 いつの間にか始まっていた新たな光景。前髪を下ろして目を隠した、あまりに見慣れた男と、血走った目の坊主の男。よく覚えている。鴨井と初めて会った夜の事だ。力に溺れて調子にでも乗っていたのか、随分と喋り方がだらけている。


(鴨井さん……最初に会った魔法使い……。追って来たのが鴨井さんじゃなかったら、僕は初戦で負けてたかもしれない。ありがたい……なんて言ったら、俺が弱くて良かったな、とか何とか言われちゃうかな。再会したばっかなのに、妙に馴染んでるなぁ、あの人)


 この時から始まった。ほんの数ヶ月。今まさに終わろうとしている数ヶ月。協力はするつもりだが、魔法使いではない、安全な場所に居るという事実は他の面々への遠慮に変わるかもしれない。遠慮が生まれてしまったら、真田は近付けなくなるだろう。遠慮に押し潰されて、いつか仲間達から離れてしまう。

 何かを為したようで、何も為せていない。短い間だ、それも仕方がない。


『自分の人生を賭けて夢を叶える魔法だって存在するんだ』


 この声は以前に会った男の声。人生に叶えられない夢は無い、男はそう言った。人生の限り頑張れば、どんな夢だって叶えられる。


(走馬灯の中で思い出すんだから、皮肉なもんだ……)


 真田の人生は終わろうとしている。彼の人生は魔法使いの人生だ。得た力をきっかけにして、初めて歩き出そうとする事が出来た。ならば魔法使いとしての死は真田優介の死に等しい。まだ真田は何も夢を叶えていないのだから。力を失えば、歩く力も失われてしまう。

 いつかは失う力、いつかは手放さなければならない力。だが、今はまだ必要なのだ。


『結局、俺は変われねぇんだよっ!』

『変わるって事を! 甘く! 見ないでくださいっ!』


 変わるという事は難しい。本当に甘くない。きっかけを見付けて、少しは変わっているとは思うが、道はまだまだ果てしなく感じる。


 けれど、少し前に始まった新たな日々は、この時ついに一歩目を踏み出した。宮村との出会いは間違いなく非常に大きな出来事だ。しかし、その出会いから今まで真田はどれだけ歩いたのだろう。あるいはずっと、一歩目の場所で足踏みをしているのかもしれない。

 宮村が先頭を堂々と歩き、その後ろで文句を垂れながら真田が共に歩く。そうすると、そこにはいくつも出会いが生まれた。宮村が引き寄せるのか、それとも普通に明るく過ごしていればこれほどの出会いがあるのだろうか。


『経験は豊富なつもりの老いぼれ一人と、協力関係を結んでみる気はないかい?』

『まだまだ未熟者ですが、宮村先輩、真田先輩。これからよろしくお願いします!』

『お目が高い。後悔はさせないわ』

『安心してオーブネに乗ってユラユラしてたら良いわ!』


 出会いは仲間を生んだ。互いに利用価値があると認め合っただけの関係性を仲間と呼ぶのか、そこについては少しばかりの議論を必要とするかもしれないが、確かに真田が初めて得た学校外のコミュニティだ。本来は僅かほども関わりの無い赤の他人を仲間と呼ぶようになる。無から有を生む魔法を何度も行使しているのだ。


(知り合い、随分増えちゃったなぁ。元がゼロなんだから何倍に増えた、なんて分かりやすく言えないのがちょっと残念かも。とにかく、会えて良かった。僕って割と人恋しくなるタイプなんだなー……)


 失って初めて気付くというものだろうか、人から遠ざかって初めて人が好きだと自覚している。不思議なものだ。

 そして得た時にはありがたみを感じていないのに、改めて失いかけようとしている今、また喪失感を覚えている、本当に不思議だ。


『私ね? 優介だから、優介じゃないとあんなの言ったりやったりしないから。本気、だから』


(ありがとうございます、でも、ごめんなさい……僕はそんな事を言ってもらえるような人間じゃないんです)


 変に意識したりしそうで完全に記憶の奥底に封印していた言葉が再び聞こえてくる。この言葉は凄く嬉しいものだ。こんな事を本気で言われたのは初めての経験、他人に正面から好意を向けられるのは恥ずかしく思うが、これほど嬉しい事は無い。


 とは言え、それが気の迷いであるという主張は一貫して変わらない。寂しい気持ちが無い訳ではないのだが、しかしそれでももっと良い男と知り合って幸せになってほしい気持ちもある。この気持ちに名前があるとするならば、それは親心というのではないだろうか。この複雑な感情、完全に父親のそれだ。


『人を殺した理由を他人になすり付けるなよ』


 魔法使いとなった後の日々は楽しい事だけではない。心に暗い影を落とすような出来事だって存在している。


(人を助けるため……そうは思っていたけど、あの時の僕は歪んでた。魔法使いじゃなかった)


 否定はするが、否定しきれない気持ちが心の奥で眠っている。だからこそ、あれほどまでに悩んでしまった。あの男ともう一度会おうとして出会った叶との戦いで、真田は正しく魔法使いになった。自らの意思を持って伝える、戦う、そして打ち倒す。真田の魔法を無力化した二人の男によって成長を果たしたのだ。

 もっとも、二人とも心の底から嫌いであるのだが。


『ちゃんと、無事に帰って来て。約束』


 そして、彼女の言葉が蘇る。


(ああ、そっか……約束、したんだっけ。他人とのちゃんとした約束なんて、下手したら初めてかもなぁ……)


 待ち合わせくらいならした事はある。だが、こんな形で約束をした経験はどれだけ思い返しても見当たらない。真田の記憶力でも覚えていないのなら、それはきっとそういう事なのだろう。掠れているどころの騒ぎではない、存在していないと言っても過言ではない言葉だったのだ。


(そんな事なら、指切りの一つでも経験しとけば良かったかなー、ははは)


 指切りなどなかなか現実にする機会は訪れない。それが真田なのだから、なおさらだ。フィクションの世界で目にする度に少しだけ憧れなかったと言っては嘘になるその行為、せっかくの機会にやってしまうのも良いかもしれない。それも手遅れだが。妙な心残りだ。


(そっかそっか、何かモヤモヤしてたと思ったら、約束があったんだ。――守れそうにないけど)


 頭の中で訴えていたのは、雪野との約束だ。無事に帰ると約束したはずなのに、自分は強いと安心させたはずなのに。真田の作戦は最初から、自分の犠牲は勘定に入れていた。最初から約束を破っていたのだ。道理で、諦めようとするのが嫌だった訳だ。


(ああ……僕、初めてかもしれない約束も守れないのか……)


 気付いてしまうと、心の底から残念に思えてきた。真田の初めての約束は最初から守る気も無く自分勝手に破ってしまったのだ。それは悲しく、申し訳ない事だ。


(それは…………嫌、だなぁ)


 存在していた事すら忘れかかっていた右腕に力が入り、重くなる。力が抜けて重くなるならともかく、力が入って重くなるとは。それはつまり、重力を感じているのだ。力の入った右腕がゆっくりと上がっていく。真田を飲み込もうとする暗闇に逆らうように、光溢れる空に飛び上がろうとするように。


 その瞬間、ずっと聞こえ続けていた耳障りな音の正体が何となく分かった気がした。これは、笑い声だ。まるでスロー再生しているかのように低く、ゆっくりに聞こえる叶の不愉快な高笑い。

 走馬灯は死の直前に人生のあらゆる出来事を凝縮して見ると言う。つまり見ている者の時間は凄まじく加速していると言える。まさしく今の真田のように。しかし、真田は生きている。死の直前にあって、生に向かう事が出来る。


 叶の笑い声が止まった。警戒しているのだ。真田の腕が上がったから。闇の底ではない真田の腕は、意思は、確かに現実に繋がっている。


(約束は、守らないと。無事に……帰らないと)


 右手の指が少しずつ曲がる。親指、人差し指、中指、薬指。小指だけを残して、全ての指が軽く拳を形作る。それは指切りの形だ。約束へのこだわりを見せ始めた真田の意思が、その形を作り上げた。


「――良いじゃねぇか、まだやる気があるみたいで」


 叶の声が聞こえる。通常とほぼ変わらぬ声で、普通に聞き取れる速さで。確かに現実に帰って来ている。重さは全身に掛かり、夏の夜のジットリと暑い空気が肌を撫でる。


(立派な人になれなくても良い。ただ、普通の人に――)


 もはや真田にはどれだけの魔力が絞り出せるか分かったものではない。いつもの通りに巨大に魔力を垂れ流しては、いつ燃料切れになってもおかしくないのだ。小さく、熱く。

 確実に魔法は発動している。けれど腕は熱くない。自らの心の熱は、今は伸ばした小指にある。約束の象徴、そこに真田の全てが集中する。


(ただ、約束くらい守れる人に、なりたい……!)


「ぐ……魔力か!?」


 何かに圧されるよう身構える叶の目の前、真田がゆっくりと立ち上がった。やっと湧き上がってきた魔力で全身の怪我が少しずつ、ゆっくりと回復していく。普段のように一瞬ではなく、どれだけ治せるのか、その限界を探るかのように。


 凝縮して抑え込まれた魔力は決して放出される事はない。だが、その力は感じ取れる者には恐ろしいほどに感じ取る事が出来る。例えば叶のような魔力の感知に優れた者ならば。


 右腕を叶に向けて伸ばす。あの男の先にはきっと光があると、そう信じて。


 小指の先に炎が灯る。まるでロウソクのような小さな炎だ。まさに風前の灯火、その炎は微かに揺れて、そして消える。


「――お待たせしました。無事に、帰らせてもらいます」


 直後、たった一瞬だけ。真田の右腕を青い炎が包んだ。


 最終第三ラウンド、約束を守るそのために、熱く熱く燃える。

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