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(とにかく、やれる事を!)
再び駆け出す。魔法はほとんど封じられる事となるが、それでもやはり希望は敵の近くにある。今度は両手共に親指に引っ掛けて、申し訳程度の飛び道具を二発セット。これが今回のやれる事。
「さあ、どう来る……?」
スッと両手を上げて構える叶に正面から立ち向かう。……というのはもちろん最初だけ。やはり正々堂々とした戦いは向いていない。出来るだけ策を弄して、出来るだけ有利に戦いたい。
またしても素手の距離まで近付く事はせず、ある程度の距離で右手から火の粉を飛ばす。高さはもちろん顔。先程と同じだ。防御が必要、回避しても視線はブレて、あるいは体勢までもが崩れる。
だが最後まで同じであるはずはない。ここからの行動はまた変わる。足に力を込めて、叶を中心にして時計回りに九十度回り込むようステップ。そして左手の火の粉を発射。
(捉えきれるか!?)
正面から視界を邪魔した上で、素早く回り込む事で姿を消す。そこで再び火の粉を放つ事でヒットさせようとする試み。しかしそれではまだ――
「甘い! ――っ!?」
甘いのだ。叶もまた。真田のステップに対する反応は素晴らしかった。視界の端の端に捉えていたのか行動を読んで腕を伸ばしながらの方向転換、火の粉を無効化。だがその先に真田の姿は無い。
真田は火の粉を放った直後にさらなる行動に移っていた。それ即ち、反時計回りに九十度のステップ。行って、戻って、元の位置。
防御と方向転換と、両方を高速で行なった叶には同じように高速で移動した真田の姿を捉えられない。せいぜいほんの一瞬、後ろ髪か何かが見えたような気がする程度だろう。
この瞬間、叶の脳内から真田の位置が消失する。変わらず冷静ならば一瞬で気付くだろう、元の位置に居るか、その反対側に居るかのほぼ二択に絞られる事に。そしてその一瞬の後、どちらに真田が居るのか認識した叶が防御、あるいは攻撃を仕掛けるだろう。だが、その時には既に手遅れ。認識するその一瞬が勝負を分ける。
(貰っ……た!?)
一瞬の隙が命取り。ならばその一瞬が無ければ絶対安泰。状況の理解、居場所の認識、行動の実行。この三段階から成る対処から、叶は一段階を完全に排除した。考える事を止めたのだ。真田がどこに居るのか、そんな事には興味が無いとばかりに二つの選択肢を同時に潰しにかかる。
真田に対応して九十度回転した叶の右手側か左手側、そのどちらかに真田は居るはずなのだから、そのまま両手を左右に伸ばしてしまえば良い。たったそれだけで両方からの攻撃に対応する事が出来る。簡単な話だ。簡単な話なのだが、それを実行する胆力には素直に驚かざるを得ない。虎視眈々と自分を殺そうと企む敵がどこに居るのか、それを確認しようとする自分をいうものを押し殺し、顔も視線を動かさないままで行動に移す。自分の力、直感、ありとあらゆるものに自信が無ければこれは出来ない。
攻撃しようとしていた手を止め飛び退る真田。再び離れる距離。二度の攻撃を仕掛けながら僅かほどもダメージを与えられず、攻撃のタネも早くも尽きつつある。
(危ない……あのまま突っ掛けてたら死んでた。ああもう、あんな風に開き直られると手の出しようがない! 参った、どうしたもんか)
希望あり、手段なし。状況といえば下手に希望がある分だけもっと絶望的だ。変に動かなければ叶もしばらくは自分から積極的に動こうとはしないだろう。だが、唯一勝っている(かもしれない)体力面での優位を捨て去る事になりかねない。
とはいえ真田にとって考える時間は必要だ。このどうしようもない状況を打開するために、例えば宮村ならば自らの勘を信じて戦うのだろう。しかし真田にそれは難しい。ここぞと言う時に頼るのは直感よりもやはり思考なのだ。直感を、自分を最後の最後で信じる事が出来ない人間なのである。
(コンビネーションはまだ生きてる、けど使うなら確信を持った時だ。最後の手段として。それならどうする? 一瞬だけ視界を遮って姿を消す事はいくらでも出来る……でも駄目だ、そんな事しても対応されるって事は分かってる)
思考は泥沼、沈めど沈めど底には着かない。身構え、視線は叶の方を向いているが意識は向いているとは言いがたい。ひたすらに泥沼を深く深く潜ろうとしている。無言の時間が流れ始める。そんな時間がもったいないとばかりに、退屈は御免だと言わんばかりに叶が口を開く。
「いや良いよなぁ。ちょっと前までただの人間だったのが、今はこうしてどうやって目の前に居るヤツを殺してやろうかって考えて実行すんだ。最ッ高に面白い人生だよ!」
「……どう思うのも人の勝手ですけどね、面白くはないですよ。悪い意味だけじゃなく良い意味でも得難い経験をしているとは思いますが」
必死に頭を働かせながら、頭を使わずに言葉を交わす。こうなってくれば口から出てくるのは偽りの無い言葉だけ。出会いも含めあらゆる経験が真田優介という人間を変えていく事に繋がる。良い事は沢山あるが、それでも戦う事は決して楽しくはない。もちろんこれもまた経験であるが。
さて、こんな会話の中でも脳内では会議が終わる気配を見せない。
(火の粉飛ばす事は出来るけど、流石に同じ事ばっかじゃやってけないよなぁ……)
真田の持つ手立てと言えば大きい炎か火の粉か、あるいはそれらを壁にして姿を消す事くらいしかない。また、この場で他の活用法を思い付きもしない。「やれる事を」とは思っているが、やれる事がそもそも無い場合はどうすれば良いのだろう。そこまでは考えていなかった。
「俺の能力は魔法使いとの戦闘向きだが、腕輪の力だけでも上等だ。俺の人生は最高に楽しく変わるっ!」
「ん?」
「力を持って人間は変わる! もっと素直に、もっと傲慢に! 人が本性を出す事が出来るようになるのさ!」
両腕を広げて、まるで熱の入った演説のよう。熱く語るその声は、開かれた爛々と輝く目は、悦楽に浮かされているようだった。力に溺れたか、否、叶が言う所の『変わった』のだろう。
ただ、それだけは受け入れられない。それだけは真田には不可能だ。
「違いますよ……」
小さな声が、思わず口から漏れる。考えるための時間稼ぎ程度にしか思っていなかった会話に、今や意識の全てが向いていた。
「んぁ? 何が?」
「別に、性善説だ何だってのを語る気はありませんよ。人間の本性ってのは実際そうなのかもしれません。でも、力を持った時、人間は『変わる権利』と『歪む権利』のどちらかを選べるようになるんだと思います。アンタは歪んだ。人間も人生も、力を手に入れて歪めちゃってんですよ」
平静を保った声で語る言葉が、長い。真田にとってみればこれでも長台詞だ。これも真田の感情表現である。気持ちが頭の中に溢れ、普段はそれを押し止めている思考が完全に停止して、言葉という形を成して口から零れる。
言葉を発すると言うよりも語り出すと言った方が正しいだろう。それには叶も少し面食らったようで返事も返せず真田の方を見ている。何がきっかけでこれほど喋り始めたのか、不思議そうと言った具合だ。
真田の言葉は止まらない。体の内側で感情が暴走し、とうとう構えすら解いてしまう。
「力を持って人は変わります、それは正しいです。でも、力はあくまで始まりです。力を持った時じゃなくて、こう……力を抑える事が出来た時に変わるんですよ。まあ、そういう事になると僕はまだまだ変われてませんけども」
「はぁん? じゃあ俺は抑える気もねぇから歪んでるってか? ふはっはっはっはっは! 歪んでてそれの何が悪いって? 歪み結構、最高だ!」
「……ハッキリ分かりました。僕、アンタが嫌いです。ちょっと、凄く根本的な部分で合わないと言うか、どうしても受け入れられません。何か、すみません」
本当にこれ以上ないほどの本音である。思わず謝ってしまうほど。これまでは人間を好きにも嫌いにもならない距離を取っていた真田。気に入らない人間くらいは居たが、これほどまでにいわゆる生理的な嫌悪を感じた相手も初めてだった。
真田は道を外れる事が嫌いではない。卑怯な手、あるいは裏技。そんなのは使えるならば使いたい人間である。しかし、道を外れて良いとは思っていない。外道を外道とは思わない、むしろそれも正道だと開き直れる価値観はどうしても駄目なのだ。
「良いじゃあねぇか。嫌いなヤツが相手なら力も入るってもんだ。来いよ! お前の嫌いで嫌いで堪らない俺を殺してみなぁ!」
「――変わるか、歪むか。魔法使いとしての意識の違い……だと思うから、戦います。僕の考えとそっちの考えの、戦いをします。それで……倒します! 絶対に!」
対立する二つがあれば戦うのは必定。どちらが正しいのか、あるいは自分の考えを伝えるため。意思が魔法に生まれ変わる。魔法使い達の論戦。
真田の頭がガチャリと切り替わる。暴れる感情、考えたくてももう考えられない。真っ白な頭の第二ラウンド。




