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魔力を侵食する、それはつまり侵食が本体に達するにはそこまで魔力が繋がっていなければならない。真田の炎は常に本体に繋がっているが、他の二人はそうではない。能力を発動すればそれは自分から離れた場所で作用する。
その二人の中でも特に日下は特殊だ。何せ、武器を持つ事で(一応手刀でも)発動可能となるのだから。魔力が体の中に流れ、発動した魔法は離れた場所にある。そして高確率で手にしているはずの武器には魔力が通っていない。
これらの情報を集めて言える事は、日下だけは直接相手に触れて戦う事が出来るという事。
「やっ、せぇい!」
敵は最強の魔法使い。強力な魔法と、それを利用する頭を持つ。しかし、それを使わせなければただの力とスピード自慢なだけの相手。視線などによるフェイントも関係無く、伸ばされる手を日下は反応して叩き落とす。けれどそれは防御に徹しているから可能な事でもあった。一手、どうしても足りない。
(近い……日下君に当てないようにするには……)
(クソッ! いつ掴まれてもおかしくねぇ、そうすっとどこかからマリアが飛んで来る。どうする! 下手に撃ったら……っ!)
足りない一手を補えるはずの二人は、それぞれの理由で手を出せないでいる。誰か一人に対して完全に意識が集中してしまうと手が出しにくい。だからその辺りを調節しながら最後まで戦いたかった。
一度は掴みかけた主導権。それが相手が意識している訳でもないのに勝手に手から零れ落ちる。まるで何かが相手を勝たせたがっているかのよう。あるいはこれを、運命と呼ぶのか。
刀の範囲、その内側には入れさせまいとする必死の防御。それをも気にせず押し込もうとする強引な攻撃。介入したいがそれを難しく感じる二人。そして、その光景を冷静に俯瞰してタイミングを計る女が一人。
(彼が一度、思い切り弾き返せばそのタイミングで……一瞬でも視界を奪えば距離を取れる。二人も気にせず戦いに参加できる、はず!)
後退する日下に敵が詰め寄っている形の現状。梶谷の設置した水溜まりも日下が先に踏んでしまうなどして発動できない。この状況を打開できるのはただ一人、篁だけであると言っても良い。
(状況が悪い……俺が何とかちょっとでも離れないとみんな動けないのか。だったら――っ!)
敵の左手がボディを抉るように放たれる。当然のように刀で迎撃しようと手を動かす日下だが、それと同時に敵は右手もまた行動を始めさせた。ボディに注意を向けさせつつ、上から右手を振り下ろす。
だが、日下の反応と返しの速さはフェイントを凌駕する。近接戦闘の技量は師でもある父親以外には負けるつもりは無いと自負している彼は、事実とても強い。魔法という要素が介在するために押される事もあるが、単純な戦闘ならば他を寄せ付けないほどの力を持っている。
そんな剣士はほんの一瞬を見逃さない。隙ではない。隙と呼べるほどではないが、ギリギリで割り込む事が出来る程度の僅かなタイミングを、である。
左手と右手、両方を続けて防御したが、その間に流れた時間はどれだけ長く見てもおよそ一秒。つまり、ほぼ同時に敵の両手を弾いたのだ。タイミングは、そこに極めて強引に生み出される。
「めぇぇんっ!」
放たれる刀。鋭い一撃。それだけで倒せたならば御の字なのだが、相手も最強の名は伊達じゃない。
「ぐ、うう……っ!」
弾かれた両手が、一瞬遅れて頭の上で防御の姿勢を取る。万全の状態ではないためか相応にダメージを負ったようで相手は顔を歪めた。
誰一人としてダメージを与えた事のない相手に苦悶の表情を浮かべさせた。これは快挙であると言って良いだろう。押されてはいながらも、間違いなく相手のペースは乱せているのだ。だがここでの本題はそんな事ではない。刀が相手の腕を打ち据えた直後、地面を蹴って飛び退る。少し派手ではあるが、言わば引き面。距離を取るには有効――。
「っしゃあ、オラオラオラァ!」
離れてしまえば恐れる事は何も無い。この時を待ち構えていたとばかりに散弾の如く宮村の右ジャブが乱れ飛ぶ。この勢いを完全に無視してしまう事は出来ない。先程まで意識を集中させていたはずの相手は少し手を伸ばした程度では届かない位置に移動してしまったのだ。そして背後から突如として発せられた声には反射的に意識を向けざるを得ない。状況は動いた。
意識の割合は日下、宮村、真田の順で五割、三割、二割と言った具合か。大部分が日下を向いているが、三割は捨て置くには大き過ぎる。
「こ、んのぉ……」
ついに敵は宮村の方に向き直った。しっかりと見据えて両手で防御して凌がなければならないと判断したのだ。無論、真田もまたこのタイミングを逃しはしない。これはチャンスなのだ。
チャンスと言っても真田にとってのものではない。敵の意識が宮村に向いた今、真田が動き出す事によって何故か存在が薄れてしまう、ついさっきまで命の遣り取りをしていた相手。
「――ふぅ……」
敵の背中を見ながら、日下は刀を納めて深く息を吐き出す。再びの脱力。
首。最も確実に人間を殺そうとするならば、首を落としてしまえば良い。上昇する軌道で首を狙う、殺傷能力の一番高い抜刀技。
その動きを敵に悟らせる訳にはいかない。真田は両手に意識を集中させながら、頭の中でイメージを強く、固くする。大きく激しく燃え盛る炎。夜の闇をも明るく照らす二本の火柱。
「ぃっけぇぇぇぇぇぇ!」
振り下ろされる両手。それはまるで超巨大な二本の炎の剣。あるいは天から降ろされた炎の壁。
片方は日下の姿を隠すように敵と日下の間に。そしてもう片方はその意図を隠すように敵に向けて。本来の標的である真田がこれほどまで派手に目立っている。炎を防がなければならないという当たり前のこと以前に、敵の意識は今度は真田に集中する。ここで宮村が手を止めれば、意識はバラける事なく十割が真田へと向けられるはずだ。
「消えろぉっ!」
炎を掻き消す。敵からすればそれは手を伸ばせばそれだけで叶う。それで良い。自分に害をもたらすであろう攻撃だけをまずは防げば良い。その先に勝利は待っている。
「っ! おおおっ!」
しかし、その勝利はまだ手に入れる事は出来ないようであった。敵が急に、何かを感じ取ったかのように後ろを勢いよく振り向いて走り出す。そこには容易く消せる炎の壁、その向こうに脱力が完了しきっていない日下が。
「日下ァ!」
叫びながら、一発の渾身の風弾が敵の背中へと放たれる。突破される炎。ようやく刀の柄に手を伸ばす日下。敵は真っ直ぐに駆ける。
伸ばされる手。引き抜かれる刀。風を切って飛ぶ拳。不利なタイミングと悟り、マリアも陰から飛び出した。
交錯する四つの衝撃。タイミングはほぼ同時。一つは敵の首を狙うもの。二つは敵の動きを止めようとするもの。四つの内で三つが勝利に繋がる。どれかが少しでも先んじて勝利する確率は七割を超える、はずであった。
そう、考えに誤りがあるとすれば、それは一つだけ実際に触れるよりも早く効果が現れるものがあるという事。
風は最も遅く到着した。それはマリアの肩に直撃して消えた。
次に遅かったのはマリアだ。肩に風弾を受けながら、全てが終わった後の敵を突き飛ばす。
日下の刀には刃が無い。鎌鼬の応用で斬る事は出来るが、斬撃を飛ばす事は出来ない。
男の手は周囲に魔力を纏っていた。一瞬にも満たない僅かな差ではあるが、それは何よりも早く力を発動する。
「う、くっ……」
それは誰の声だっただろうか。日下のような、敵のような。あるいは両方か。
敵の手は拳を作り、日下の顔を殴り飛ばそうとしていた。インパクトの瞬間よりも早く魔法が働く。日下の体から魔力が消えるが、それでも動きは止まらない。想定よりも接近を許してしまった状態での攻撃は、魔力を失ったまま敵の右足首を強く強く打ち据えた。それと同時に顔面に再び拳が叩き込まれて――。
「ん、くっ……ぅぐ……」
日下はもはや意味のある声すら発する事が出来ない。まだ腕輪は壊れていないが、もう危険領域である事は体感で分かる。咳込むだけで口から血が飛び出す。怪我は治したが体は片膝をついたまま動きそうにない。まるで脳に蓄積されたダメージの記憶がこれ以上の戦いを拒絶しているようだ。
「日下君!」
真田の声が届いたらしく、虚ろになりかけている目を向ける。明らかに限界、本人の意思とは関係無く雄弁にそう訴えかける目だ。
マリアは既に身を隠している。二度目の衝突と風弾が当たる事故、そう何度も使える手ではないと分かってはいたが、子供である事を考えるとこちらもかなり限界は近いかもしれない。
敵は足首を押さえていたが、再び立ち上がろうとしている。動作の一つ一つが緩やかに見える。完全に体勢を立て直されると目の前には膝をついた格好の獲物が一人。求められるのは咄嗟の判断。
「っ!」
この時、真田は間違いなく視線だけで会話が成立したと確信した。言葉を介さずとも、日下の苦しみが、考えが、決意が伝わる。
「――ぁ……ああああぁぁぁぁぁっ!」
真田も決意を固めて、この咄嗟の判断が最善だと信じて叫び声を発する。その時から流れる時間はいつもの歩みを取り戻した。
両手を激しく燃焼させて、まさに立ち上がったばかりの敵の背後から振り下ろす。それはやはり、あまりに簡単に防がれてしまう攻撃だった。敵は振り返って炎を喰らい始める。自らの体に達するより早く炎を体から切り離した瞬間、一度眩しく光が放たれて視界を白く染めた。
「なっ……!」
炎を喰らい、光から視界を取り戻した敵がチラリと背後に視線を向けた時、思わず驚愕の声を上げる。
そこには別に、何かがある訳ではなかった。そう、膝をついて苦しんでいる人間の姿すら。
戦いに真摯な男は、誰よりも先に仲間を見捨てる勇気を持った。最終的な勝利を目指して。それは、彼にとってはこれ以上無い苦渋の決断であった。




