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そうして沈黙の中を歩き続ける事、およそ十分。考え込んでいる内に自然と歩調が速くなってしまっていたのかもしれない、真田が想定していたよりも早くその時は訪れた。
何度目かになる視線を上げての確認をすると、そこには頭の中に思い描いていたゴールの景色が。閉店した随分と古い商店、回収されているのかもわからない薄汚れたポスト。そしてすぐ近くにある電柱には《東旧杜町》の文字がある。
東旧杜町、ここは五十年ほど前までは普通に賑わう町であったという。しかし、そこから県の中心部が飛躍的に発展を遂げ、人々は仕事や利便性を求めて交通の便が悪いこの町からそちらへ移り住み、後には老人たちが主に残った。若者がみんな都会に就職しに行った田舎のように。その結果が現在の姿である。
「おお、着いたみたいだね! ありがとう真田君、おかげで助かったよ」
「いえ、そんな……もう、大丈夫そうですか?」
「ええと……ふむ。まぁ、大丈夫だろう。さぁ、君は帰りなさい、遅くなってしまうよ」
手元にある紙に目を落として麻生は曖昧に笑って答える。真田は疑り深い性格ではあるが、もはやそんなレベルではない。これは明らかなる嘘だった。案内を始める前に見せてもらった紙に書かれていた住所は曖昧だが、それでもこの近くでなかった事はハッキリと覚えている。
「えっと……ですね、もう一回、紙見せてもらって良いですか? その、そこまで案内しますから」
「え? いやいや、そんなわけにはいかないよ。親御さんも心配されるだろう?」
「ああ……えと、大丈夫です。それに、ここからだとまた少し歩きますし、道聞ける人もあまりいないと思うんで……」
早く帰そうと思っていたのであろう麻生の決意がこの言葉で揺らいだのは手に取るように分かった。再び紙に目を向けて、次は電柱の住所に目を向けている。慣れない土地で、もう暗くなろうとしている中を彷徨い歩くのは抵抗があるようだった。
そうして一分にも満たない短い時間を考えた末、彼は顔色を窺うようにして口を開いた。
「そう言ってくれるならお言葉に甘えて、案内してもらっても良いかな……?」
「ええ、もちろん。……その、紙を貸してもらっても良いですか?」
「すまないねぇ、頼むよ、真田君」
麻生が手にしていた紙を差し出す。受け取ってみると思っていたよりも新しい紙であると分かった。白い紙にボールペンで書かれてと思われる文字を見て真田は足を動かす。
寂れたいわゆるシャッター商店街のアーケードを潜る。ほとんどの店が閉まっている中、数少ない開いている店も開店休業と言った状態で、早くも閉店作業が既に始まっている。それを行なっているのも老人だった。夕方から夜にかけての商店街には自分達以外の人通りが無い。こんな所まで出歩く事はそう多くないが、それでも地元に生きる人間としては寂しいものであった。
商店街を抜けて少し歩けば家々が立ち並んでいる。しかし、明らかに人が住んでいない、あるいは人が住んでいるのかも分からないような家が多い。前者は根本的に人が少ない事、後者は家から出る事も億劫になって管理ができなくなるような人が多い事の証拠だ。
山や海に囲まれているのでもなく、普通に存在している町にポッカリと生まれた過疎地域。そこには不気味なほどの静けさ、物悲しさがある。
「……そ、そう言えば、ここまで歩いて来ておいて言うのも変ですけど……携帯で地図見れば良かったですね?」
「地図? ……見られるのかい? 携帯電話で?」
「え、ええ、まぁ。地図アプリで……」
「アプリ……真田君、私は最近、記号の入力というものを覚えたよ。携帯電話という物にはあれほど多くの記号があるんだな……世界が広がったよ」
「……あ、はい」
まるで武勇伝でも語っているかのように遠い目をする麻生。つまり何が言いたいのかというと、そんなものが使えるはずがないと言う事だ。
「じゃあ、その、僕が調べてみます」
そう言って立ち止まると、ポケットから携帯電話を取り出した。スマートフォンではなく、いわゆるガラケーだ。真田は携帯電話に対して最低限の通信機能と時計としての機能しか求めていない。なので壊れでもしない限りはスマートにする必要性が無いのだ。
「えと……ああ、うん。方向はあってる。この先の三つ目の角を右に曲がって……」
現在の位置情報を送信して検索した住所までのルートを確認する。恐らくはこっちの方向だろうと歩いてきたが、それはどうやら間違いではなかったようだ。あと十分少々も歩けば辿り着けるだろう。
「でも、何だろう、ここ……」
「行ってみればすぐに分かるさ、きっと。さあ、道が合っているなら行こうじゃないか。私は今、携帯電話の無限の可能性に感動しているよ! 機械と言う物は面倒な物だと思っていたが、なかなかやるじゃないか!」
一応現代に生きる若者である真田には分からないが、何か琴線に触れたようだ。これから現代文明の中で生きていってくれたら良い。そのような事を思ったが口には出さず、地図のナビに従って再び歩き始めるのであった。
「その……この辺りだと思います、多分」
それから十分。出会ってから数えるとどれくらい歩いただろう。長いような短いような時間だったが、一つ分かる事は、既に日はほとんど落ちて暗くなってしまっている事だった。麻生の方を見るとキョロキョロと見渡している。すると、唐突に彼は一軒の建物に近付いた。
「……どうやら、これみたいだね」
そう言って指差されたのは、まさにこの辺りの様子を象徴するようないかにもと言ったような空家だった。スライド式の扉の風体を見るに恐らくは飲食店、定食屋のようなものだろうと推測した。
「えと……これは?」
「ああ、私が昔紹介してもらった店なんだ。紹介してくれたのはこちらの方に住んでいた人らしくて、ついぞ来る事ができなかったが、こうしてこちらにやって来たのだから訪ねてみようと思ってね……いや、しかし……」
「その……潰れて、ますね」
何と言うべきかと口を噤んだ麻生の言葉の続きを真田が引き継ぐ。その潰れ方たるや、圧巻の一言だ。全体的に汚れ、木製の扉は朽ちて穴が開き、蜘蛛の巣は張られ、人が居たような気配は僅かほども残っていない。こうなるまでにどれだけの時間が経過したのだろうか。
地図で確認した時に「何だろう」と口にする事となった理由が分かった。地図上ではこの住所には何も無かったのだ。店や施設ならば名前が出るだろうし、これが家ならば住所が書いてある紙に名字も書いておくだろう。その場合ならそもそも家の人に連絡すれば良かった。
そのどちらでもない、特に何も無い場所だったために疑問に思ったが、店でも施設でも民家でもなく廃墟だったと言う訳だ。
「どうやら潰れて随分になるみたいだ……ふむ、少し入ってみよう」
「入って……え、ちょっ……!」
引き止めるよりも早く、麻生は店へと向かった。朽ちた木のスライド式扉に手を掛けて開けてみようとするもののすぐに引っ掛かりがあって開かないと分かる。当然だ。鍵が掛かっているに決まっている。
すると麻生は扉の穴に手を突っ込み、内側から鍵を開けられないかと挑み始める。まさかこれほどの大胆さと行動力があるとは真田も思ってはいなかった。これには着いて行けないと天を仰ぐ。気付けばもう夜と呼んでも差支えない。
都会の方では大通りではなくともオレンジ色の光を放つ街灯で夜でもそこそこの明るさが保たれているのだが、すぐ近くにある街灯は切れかかっているのか街灯としての役割を果たせないほどに白く弱々しく光っている。
そんな近くしか見えないほどの暗さの中で、空には星がハッキリと見えた。意識して星を見た事などほとんど無い。だが、天体の話を聞いたばかりなせいもあってか少しだけ興味が向いた。しかし夜になっていると思うとつい昨日の夜には腕輪を使って文字通りの死闘を繰り広げていた事を思い出して少し身震いする。
ハッキリ言うと、魔法なんて使えるのは異常だ。仮に自分が魔法とは無縁で、手から火を出すようなどこかの格闘ゲームで見たような人間を目撃したならばどう思うだろう。かなり抑えて表現したとしても、かなり気味が悪いと思ってしまう。
魔法は誰にも知られるべきではない。その異常な力を使ってする事が殺し合いと言うのだから救えない。誰にも知られないようにするため、戦いに参加するつもりならば、真っ昼間からバタバタと戦うよりも基本的には夜に行動をする事になるだろう。それは激戦になった昨夜の経験から容易に思い至る。
「参加するなら、だけどね……」
存在している力は使う、巻き込まれたならばそれを使って対処するとは決めていた。しかしながら、それは積極的に戦闘をしようという意味ではない。
袖に隠れた腕輪にチラリと目を向ける。戦うも逃げるも勝つも負けるも、身の振り方はこの腕輪次第である。腕輪を着けた右腕がわずかに疼いた気がした。
考え事に夢中になっていると麻生の存在を忘れていたと気付く。慌てて店の方へと再び目を向けると、そこには何とも言いがたい不思議な状況があった。




