3
「……ごめんなさい、自分で言っといてアレですけど、魔法無効化が能力じゃないかもしれないです」
初めに間違いないだろうと言ったのは真田だ。だが、《多分》と付け加えたのも確かである。ならば訂正しても良いはずだろう。今の言い分は「多分間違いなく、無効化能力ではない」だ。頭の中を言葉のような映像のような、何かが駆け巡る。かつてないほどに脳が高速回転しているように感じられる。
「無効化じゃないってどういう事?」
作戦会議で中心になるのは主にこの篁と真田の二人。単純な思考能力・知性ならば篁の方が上なのだろうが、この場においては経験の分だけ真田が上回る。敵と直接会った経験、それと何か閃きのきっかけを得た経験。
「や、ちょっと思ったんですけどね? 無効化はするんですけど、単純に消すんじゃなくて相手の魔力を自分の魔力にする……相手の魔力を侵食するってのはどうでしょう」
「侵食ってアレか、何か他のをちょっとずつ削る的な」
「そーいえば今日授業で喋ってたねー」
吉井の言う通り、その言葉は今日の日本史の授業で話されていた。正直に言ってその内容までの記憶は無いのだが。記憶と言うよりも興味が無かった。しかし、その言葉だけは頭の片隅に残っていて、閃きの良いきっかけとなってくれた。
思えば最初に遭遇した時から少し気になった。真田の炎は無効化と呼べるほど一気に消滅させられたのではなく、中心に空いた穴がジワジワと広がるようにして消えていったのだ。そう、まるで中心から少しずつ真田の魔力を侵食しているように。仮説を持って考えてみると辻褄が合い始める。侵食するという事は自分のものとした訳である。敵があれほどのパワーだった事も、そうやって腕輪の力以上に自らを強化しているからではないだろうか。腕を掴まれると魔力がなくなったように感じられる。それも触れることをきっかけとして少しずつ体内の魔力を侵食しているのだろう。そしてパワーアップと合わせる事によって、腕を掴んで相手に魔法を使えなくさせ、同時に自らを強化する勝ちパターンが出来上がる。
「つまり敵の魔法を無効化しながら自分のパワーアップもする。侵食……地属性魔法か」
原則として、魔法は地水火風雷の五つの属性に分かれていなければならない。真田は火、宮村は風。篁とマリアは雷。拡大解釈や言葉遊びのような面もあるが、全て属性に分かれている。つまり、敵の魔法も属性に当てはめる事が出来なければならないのだ。
そこで、魔法無効化とはどこに属するのだろうと考えるとこれがなかなか難しい。地か水か火か風か雷か。真田も知識が多い人間という訳ではない。基本的には文系人間、そして所詮は高校生。この世には知らないだけで何かを完全に消滅させるような現象が存在するのかもしれない。だが、存在するか否かの話ではない。実際に起きた魔法の現象、そして属性。それらの要素を合わせて考えた時、実に丁度良い答えが侵食なのである。これほど噛み合った答えが他にあるのだろうか。
「この前、優介クンが火を消されたって言ってたわよね。アレ、その時は優介クンの方から魔法を消したワケだけど、そのまま火を出したままにして侵食されてたら優介クンが魔法を使えなくなってたのかしら……」
「……多分そうですね。僕の魔法は外に放出するタイプだけど切り離せないって特殊パターンですからどうなるか分かりませんけど、触られた時みたいに体内の魔力まで浸食されて魔法が使えなくなるかと」
外に放出する典型的なタイプが宮村だ。風弾を発射して戦う。もう一つがマリアのような内側に効果があるタイプ。彼女は自身のスピードを強化する事が出来る。それらと比べた時、真田は少しだけ珍しい。自らの体外に放出するが、それを切り離す事は出来ない。つまりは体の一部と言える。最終的には腕輪まで浸食されてしまう事となるのだろう。
「近付いたらヤバい、離れてても攻撃が通じねぇ。はんっ、こら最強だわ」
「となると攻撃を当てる方法ですね。その相手は一度も攻撃が当たってないんでしょうか」
敵は強力、隙が無い。遠隔攻撃の手段は無いようだが、こちらの遠隔攻撃もシャットアウトされてしまう。そんなどうしようもない状況を理解して、日下は目を伏せて口にした。手掛かりとして、『何故攻撃が当たったのか』理由が分かれば大きいはずである。
しかし、真田はそれに対して手を挙げる事は出来ない。日下の発言が魔法によるものの話である事は明らかだからだ。だから真田は応えられない。けれどもう一人居る。みんなが逃走を始めた後で、宮村もまた敵と一瞬だけではあるが関わっている。
「あー、僕は苦し紛れに蹴れましたけど、魔法的なのは無いですね……」
「いや、俺は当てたぜ?」
「え? 先輩いつの間に……」
「……ああ、そう言えば観察してた時にありましたね。肩の辺りでしたか?」
「そうだなぁ……多分その辺」
敵が本当の意味での最後の一撃を加えようとした直前、宮村の放った風弾が確かに当たったように感じた。風の動き、魔力の流れ、そして消滅ではなく弾けるようにして消えたその感覚。間違いなく直撃だ。唯一の、魔法によるクリーンヒット。何かがぶつかったような体の動きから察するに、恐らくは左肩。
「油断してたのかしら」
「油断も少しはあったかもしれないですけど……勝負が決まったからと言ってすぐ魔法を使わなくなるような相手ならとっくに倒されてますよ。基本的に周りは敵だらけなんですから。可能性としては魔法に制限時間があって偶然、丁度その谷間だった、あるいは、気付いてないと無効化できない……」
「無効化できる範囲が決まっている」
可能性は常に無限大だ。考えようと思えばいくらでもこじつける事が出来る。そうして可能性を口にしていた真田の言葉の先を続けるようにして、荒木は言う。自分で言うのとは違って、人から聞かされると冷静に考えられるような気がする。範囲が決まっている、そう考えてみると面白い。
「範囲?」
「例えば頭だけであるとか、そう言った一点の範囲だけ魔法を無効化できるかもしれません」
「そりゃないだろ。そんなのだったらそれこそとっくに倒されてる」
「だったら……その一定範囲がかなり自由に動かせたらどうでしょうか」
「…………手、か」
話を聞いていた日下も答えに辿り着いたようだ。その発言を受けて梶谷が自らの両手をまじまじと眺めながら呟く。
頭は確かに重要だ、潰されれば一撃で殺される。だからそこを守る事は間違っていない。だが、あまりに自由度が低すぎる。ほんの一部だけ鉄壁でも意味は薄い。
体の中で最も自由に、広く動かす事が出来る部位はどこだろうか。そう考えると、それは手だ。手を中心に無効化できるとするならば、反応さえ出来れば全身をカバーする事も可能。そして掴む事で腕輪の能力を封印する事にも繋がる。さらに、頭上から降る岩に対して彼は手のひらを向けていた。両脇を巨大な岩に挟まれた時も、もちろん岩のすぐ近くには手が存在している。
それでも宮村による完全に不意を突いた不可視の一撃、それは相手にも反応する事は出来ず喰らってしまった。
「なるほど。手の周囲に魔力の場があって、そこに触れた相手の魔法を無効化・侵食しようってワケ?」
「その魔力場の範囲が狭かったら前見た時みたいにピンチになる事もありえますね」
「まあ、範囲がやたらと広い事は無いでしょうね。何よりズルいですし。触れる、掴む事を戦略として考えている節がありますから、直接触る勢いでないといけない……ミリ単位の世界だと思います」
相手が攻撃をしようとする時は常に、手を掴む事で腕輪を封印している。直接対峙した真田には分かる、掴まれるまでは魔力は消えないという事を。範囲が広ければ至近距離で戦うだけで封じる事が可能であるはず。つまり、魔力場の範囲は極めて狭いと言える。肉があり、皮があり、それと同じ感覚で魔力場が存在しているような。そんな狭さ。
「つまり纏めると……推測の域は出ないけど、能力は無効化とそれに伴う自身の強化。手の周囲、ミリ単位の厚さの魔力場が発生していてそこに触れた魔力を無効化する。暁クンの攻撃が肩に当たったって事は……指先から肘辺りまでの可能性が高いわね」
両手の肘から先。とても動かしやすい場所だ。反射的に動かす事も出来て、攻撃にも防御にも使える。篁の纏めた推測が合っていれば、あまりに狭すぎる範囲という弱点さえ除けば文句なしで最強の魔法。本人の反応速度次第では範囲など関係無くいくらでも防御が出来てしまうだろう。しかし、真田はニヤリと笑う。片方の口の端を吊り上げた、もはや悪役にしか見えない笑み。
「強い魔法ですけど……狭いですね。これは勝ち目が見えてきましたよ」
「うえ、マジかよ。俺にゃあサッパリだ」
そもそも勝つ方法を考えていたのかも分からないが、宮村が頭を抱えている。その表情はここまで頭を使い過ぎたのか苦しげだ。思わず真田の笑みも『苦』の一文字が加わったものに変わってしまう。だが、彼はそれで良いのだ。この作戦会議が苦手分野である事を理解している。そして、だからこそ実働の時は必死に動き、(ある程度ではあるが)作戦に従ってくれる。その点において、真田は彼の事を大いに信頼している。また同時に、真っ直ぐ全力で戦ってくれる性格は今練っている腹案にも必要なものであるはずだ。
「宮村君も嫌いじゃないと思いますよ? 相手は最強の魔法使いですけど、最強の鎧兜で武装してるワケじゃないんです。最強の盾を持ってるだけなんですよ。だったらその盾をブチ抜けば良いんですよ。作戦方針は力押しです」
別に難しく考える必要も無い。全身が覆われていないのならば、覆われていない部分を攻撃してしまえば簡単に通るはずだ。相手が顔を堅い盾で守ったなら背後から襲えば良い。丁度このチームには優秀な遠距離型が二人も存在しているのだ。
極めて守りの堅い敵を破る数少ない方法。単純な作戦ではあるが、この戦いの中、自らの願いを邪魔する存在と手を組む事を選んだ真田達だからこそ出来る策。
「おいおい、結局そんなんで良いのかよ」
「基本的な方針の話ですよ。細かい所はもっと考えます、考えてます」
実際に戦ってみれば簡単にはいかないだろう。あらゆる状況を想定してもっともっと細かく話を詰めなければならない。だが、それをするためには時間が必要だ。焦る事なく冷静に考えられる時間。
真田達、主に真田には時間が無い。いつ襲われるのか分かったものではないのだ。いつ訪れるのかも分からないタイムリミットに追い立てられながら話し合うのは難しい。上手く話が纏まるはずもない。
「とりあえず、まずは掲示板に書き込みでもしましょうか。明日……いや、明後日の二十三時、駅の裏の同じ場所で待つ的なメッセージを。僕だと分かるように名前は炎の前髪で」
「へえ、牽制?」
「あん? どういう事だ?」
あまりに唐突な発言に感じたのだろう、鴨井が腕組みをしながら問う。不可解という気持ちが現れすぎて眉間には深い皺が刻まれていて、どうにも気圧されて言葉が発せられなくなる。どうも真田とこの男は相性が良くない。
そんな様子を察したか否か、その説明は梶谷が引き継いでくれた。彼もまた篁と共に真田の考えを読み取る事が出来たのだろう。まったく頼りになる事この上ない。
「真田君は二度も出会って二度も逃がしてしまった相手、少しは執着もあるだろう。それが時間を指定して待つと言うのだから、何もしないでもその時が来るなら大人しく待ってくれるだろう。そう遠い話でもないからね。真田君の安全のためには良いかもしれない」
「アイツが掲示板を見るかどうかは分かんねぇだろ?」
「いえ、相手は顔しか知らない真田先輩や知りもしない雪野先輩……ですか? ――の情報を手に入れた相手です。本人じゃなくてもその情報源が見たり知ってくれれば良いんですよ。相手はまず間違いなく真田先輩と戦いたがっている、ならこの情報を知らせなかったら次に危ないのは自分かもしれませんしね」
日下の説明もまた、真田の考えていた通りだ。相手は最強の魔法使い、積極的に敵対したくはないだろう。一応ではあっても協力関係にあるならば特に。ならば変に機嫌を損ねるような事はしないはず。
日時を指定する事でそれまでの間の安全を確保する。もちろん相手が律儀に乗ってくるかどうかは分からないのだが、その可能性を出来るだけ低くするための近い日付の指定だ。後はもう上手く進むかどうか賭けとなる。しかし、これによって自分達の心に安寧が訪れるというのは大きなメリットと言えるだろう。比較的ゆとりを持って話し合える事は間違いなく悪い事ではない。
「まあ、そういう事ですね。そんなワケなんで篁さん……は、駄目か。吉井さん、パソコン使えます?」
「何それ、使えるに決まってるでしょー?」
こなれた様子でお茶を淹れたり片付けたりと動いていた吉井が失礼なと言わんばかりに頬を膨らせている。ついでに篁は「あ、そうなの、使えるに決まってるの。ふーん」と勝手に拗ねていた。
吉井は意外とわきまえていると言うべきか、性格の割に会議には口を挟んでこなかった。彼女なりに自分が部外者である事を認識しているのだろう。そんな部外者の口出しで誰かが命を張る事になるかもしれない、だからと言って危険な事をしてほしくないとも言う事は出来ない。彼女は賢い人間だ。出来る事と出来ない事、やりたい事とやるべきではない事がよく分かっている。
そんな彼女も急に話が振られて注目が集まって、思わず膨らせていた頬を少しだけ赤らめる。そして話の続きを促しながら、手持ち無沙汰なのか何となく髪を整え始めた。
「ですか。じゃあさっき言った感じでお願いします。店長、パソコンを……って言うか、僕の家のパソコン勝手に使ってなかったでしょうね? あ、日記見てたりもしてないでしょうね!」
「日記? ああ、あのノート? いくら私でもそんな事しないよっ!」
「本当ですかぁ?」
日記と言うのはもちろん、家のパソコンの下に敷いてあるノートの事。少しの間、彼女を家の中で自由に行動させる事となってしまっていたので疑ってみたが、どうもその心配は無いらしい。少しくらいは人を見る目が養われてきたつもりだし、人とのコミュニケーションを上手く取るための一環として行動心理学を軽く調べたりもしてみた。嘘を言っている微かな兆候も出てはいない。信じるに値するだろう。
「はいはい、仲良いのは分かったから。優介クン、考えがあるなら聞かせて。中心で話を進めてくれる?」
吉井とはかなり気楽な会話が出来るようになっている真田。そんな彼の頭を軽く叩いて流れを戻そうとする篁。それによって我に返ったのか、真田はパソコンに向かい始めた吉井を始めとして全員の顔を順々に見てから、再び口の端をニィと上げてから話し始める。
「あ、はい。そうですね、頑張ります。……じゃあ全部、決めていきましょうか」




