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真田 優介は暴食していた。
鶏の唐揚げ、白米、味噌汁、サラダに漬物。しっかりとした唐揚げ定食である。とは言ってもどこかの食堂ではなく、少し洒落たカフェにて。
あの後、血で汚れた格好のため大いに目立ちながらも三人で電車移動。とりあえず通報されるような事も無く木戸店長のカフェへ到着。昼食を食べずにやって来る真田と宮村のために用意してくれていたらしい定食をガツガツと貪っているのだ。
食欲自体が増している訳ではないのだが、疲労感と苛立ちで食欲が止まらない。食べ終えた後でもはや鶏肉とか関係無く何でも良いからと注文したパンケーキまでも食してしまうほどだ。もちろん服装は血塗れのまま。
「ところで……何で二人は立ちっぱなんですか?」
二口サイズほどに切ったパンケーキを一気に口へと入れて烏龍茶で流し込みながら、真田の視線は一点に向けられていた。それは何故か入口の近くで立ち尽くしている宮村とマリアだった。よく見てみれば、二人の足は凍っていて床と一体化している。
「ううっ、疲れたぁ! 足いたぁい!」
「もう冷たくて感覚がねぇよ……」
二人ともそれぞれに苦しんでいた。
「吉井君の電話の後で二人が飛び出そうとしてね。私が凍らせて止めておいた」
「ほーん、はいへんでふねー」
「一応お前を心配したんだけど。もうちょっと労わってくれ」
「チョーおいしー」
聞く耳持たず舌鼓の連打だ。このような形で、マリアも一緒になってとは思わなかったが、こうして止められているのは想定内だった。そもそも、宮村に直接連絡すると高確率で勝手に飛び出して来るだろうと思って店の方に連絡してもらったのだ。力技ではあるがこれほど見事に捕まえてあれば安心というもの。
「もう少し疲れさせれば良い具合に冷静になりますかねぇ」
「ひでぇ奴だ……」
とは鴨井の言である。
店の中は大盛況だった。もっとも、その全員が客ではない。洗い物をしている店長、食事中の真田、疲労困憊で立っている宮村とマリア、その様子を見守っている梶谷、色々と心配そうに見ている日下、優雅にお茶を飲む篁、やたら冷静な一部の人間に引く鴨井、洗い物を手伝う吉井、そして隅の方で混乱している雪野。増えに増えたり合計十人。とうとう桁が上がった。
「しっかし、厄介ねぇ。名前も住所も知られてるなんて、もう逃げ場なんか無いじゃない」
篁が嘆息する。先程の事についての細かな部分は食事をしながら説明はしておいた。手紙の事とその後の事。やはり共通認識として問題なのは個人情報がダダ漏れな点。襲われた挙句に殺されかけた事すら緊急度で言えば霞む。
基本的に街中で偶然に遭遇して戦闘開始するこの戦い、情報を握られているというのは致命的と言っても過言ではない。なお悪いのは相手の情報はほとんど得る事ができていない事だろう。こちらが一方的に不利な現状、流石の真田も動揺せずにはいられない。
「そうですねぇ。冷静に見えるかもしれないですけど、帰ったら待ち伏せされてるんじゃないかと思うとマジでビビってます」
「先輩はいつ襲われてもおかしくないんですよね。じゃあ、少しだけどこかに泊まったり……」
「あ、無理無理。いつまで続くか分からない外泊とかメンタルがボロボロになるから」
「繊細だこと」
「ふふん、お泊りにテンション上げられる意味が分からないですね」
別に自慢そうに言うような事ではないのだが、真田は自分の巣と定めた場所でないと本格的には安らげない人間なのだ。これまでの人生、修学旅行などは日数が決まっているので耐える事もできたが、自信が危険に晒されている状況で期間も決まっていないとなるとそれは厳しい。
何を甘えた事を、と思わないでもないが、精神面は大切だ。気持ちの乱れは戦いに影響を及ぼし得る。真田は自らを卑下するが、それでも彼が必要な戦力である事は彼自身も認めざるを得ない。
「なら、我々から行動を起こして事態を早く収束させるべきだね」
「おっと、なになに! アイツと戦るってぇ!?」
逆にそれこそが慎重策になると考えたのか、好戦的な案を出してきた梶谷。そしてそれに宮村がテンション高く乗っかってきた。つい先程まで一言も発せずに拘束が解かれた足を温めるように擦っていたのが嘘のようである。やはり好戦的派閥。
しかし、それに反発する声もあった。それは血の気の多さならば宮村に近しいと思われる鴨井だ。
「待てよ、事を急いで勝てるワケねぇだろ!」
彼は敵の強さを初めから非常に高く評価していた。となるとこの発言も当然の事だろう。真田も自らに危険が及んでいない状況ならばじっくりと対策を考えてタイミングも見た上で挑みたい超慎重派。この意見に同調したい気持ちはあるが、そこはやはり自分の身が可愛い。兵は拙速を尊ぶなどとも言う。この言葉が実際存在するのか間違いなのかよく分かっていないが。
反論でもしようと思った真田であったが、それよりも先に何かをバンと叩く音がした。それは店長がカウンターテーブルを叩く音で、それだけで少しうるさくしてしまったと全員の考えが至り思わず口を閉じる。
「ああもう、静かに話し合えってもらえないのかねぇ!」
「はぁい、お茶入ったよー。さえちゃーん、だいじょーぶー?」
「ん……典子ちゃん、ケーキ!」
話し合いの声よりもさらに大きいと思われる声。基本引いて見ているが、この店の中において店長の権力は絶大だ。それに続いて、すっかり勝手知ったるとばかりにお茶を淹れていた吉井が呑気に呼び掛ける。ちなみにマリアはずっと足を温め続けていた。とりあえず足の具合は落ち着いたのか店長にお茶請け注文をしている辺り、状況を理解していないのか果てしないマイペースなのか判断に困る。
そもそも凍らされる原因となった飛び出しの理由は真田を心配しての事だと思われるので真田が殺されかけた、色々と不味い状況であるという事は理解しているのだろうが。もっとも見てると少し和むのでこれはこれで悪くはない。子供の無邪気さは偉大だ。
真田達はこの店で腰を落ち着けるのは慣れたもの。慣れてはいない鴨井も強い女性に弱いのか店長の圧に屈して大人しくなった。これでお茶でも飲みながら落ち着いて話し合う事ができると思ったのも束の間、もう一人、口を挟む者が居た。
「ま、待って! ……くだ、さい……」
それはもちろんこの空間に落ち着く事ができず、圧倒されるような下地すら持たない無関係の、この場に初めて訪れた人物。隅でジッと様子を窺っていた彼女が静まりかかった空気を機と見て割り込んだのだ。
「その、説明は聞きました。少しですけど。でも、まだ理解ができなくて……魔法がどうとか、戦うとか……私には分かりません」
雪野には来る時に乗った電車の中で一通りの説明はしてある。腕輪を初めとする魔法の基本的な部分、宮村も関わっている事、ちょっとした事件に吉井を巻き込んでしまった事と一応の誤解の解消。聡明な彼女は先程の真田の状況もあってか分かってはくれたようだが、「なるほど把握しました」とは済まなかった。クラスメイトである真田と宮村、何より吉井がこの空間に馴染んでいる事がまたさらに理解を遠ざける。まるで夢のように現実感が無い。
「あー、なんだ? まあ、理解っつーか、感じろ的な」
話した事はほとんど無くてもクラスメイト、警戒する必要も無いとフランクに宮村が言う。その言葉は正しい。理解が及ばない事は考えても仕方がないのだ。時にはそういうものだと感覚で受け入れる事が必要。しかし、それはできる人間とできない人間が居るのも確かだ。考える、理解する、納得する。そんなサイクルが必要な人間。雪野はそのタイプだった。聡明だからこそ、大抵の事は理解できるからこそ、それができない物事に弱い。
明らかに不満足といった顔の彼女に語り掛けたのは少しだけ似ている、聡明でありながら同時に大胆な発想をする事もできる篁だ。
「雪野さん、だっけ?」
「……はい」
「あたし達もね、実際こんな状態になったからアレだけど、理解はできてないの。結局の所、魔法って何なのかとか」
世の中には仕組みを理解しないままで使っている物は多数ある。機械の仕組みを詳しく理解していない状態で使っている人間も多いだろう。麻酔の原理もよく分かっていないと言うし、人間は自分の脳についても完全に解明してはいない。それと同じような事なのだと思えたならば気も楽になるだろう。
ただ、それで良いと思えるのは使って利を得ている人間だけかもしれない。他者からすれば奇怪極まりない。理解できていなくても良いその他の物事だと同じであると分かってもらうにはどう伝えれば良いのか。
「でも、あたし達にはやりたい事がある。理解はしなくて良いから受け入れてほしい」
「受け入れるって……やっぱり、分かりません。どうしてあんな目に遭おうとするのか」
彼女は真田の方を見ていた。細かく言うならば顔ではなくもう少し下。胴体、服、そこに付着した血液だ。普通に生きていれば血を見るような喧嘩に巻き込まれる事はそう無い。それが知り合いが目の前で、しかも死にそうになるまでやられている姿を見てしまったのだ。彼女が受け入れられないのはそれも原因の一部なのだろう。
真田も全てを理解して受け入れてほしい訳ではない。しかし、何も分からないままでいてほしくもなかった。知らないならばそれで良いが、こうして事情を知ってしまったからにはせめて自分が何も考えずにいるのではないと、ほんの少しだけでも分かってほしかった。その気持ちが彼の重い重い口を開かせる。もしかすると場の流れを読めていなかったり話の根っこの部分を理解できていない頓珍漢なものだったかもしれない。それでも何か伝えようとする、親しくもない相手には珍しい饒舌な心情の吐露。
「僕、喧嘩とか凄く嫌いなんです。痛いですし、面倒ですし。でも、やらないといけない、戦わないといけない時ってのが絶対にあるんです。だからってワケじゃないですけど……やらないといけない時だって分かってる今、痛いのとかキツいのとか、割と平気なんです。必要だと分かってる努力は大変じゃないって事、初めて知りました」
嘘を言っている訳でもないのに言葉が詰まらない。真田も少しは成長しているという事だろうか。だが分かりやすい言葉や伝わりやすい話し方などにまで気を遣えていない事は自覚していた。何を言っているのか分からないのではないか、思わず不安に駆られた真田の肩を抱いて宮村がフォローに回る。真面目に喋っていた真田とは違って笑いながら、軽いノリではあるがそれくらいでバランスが取れているだろう。
「まあ、コイツは色々語ったけどさ、とりあえず俺達なりに頑張る理由があるんだよ。それは否定しないでくれ、な?」
「…………」
雪野は下を見て押し黙る。気持ちが伝わったかどうかは分からないが、少なくとも何か口を挟む事はしないだろう。今はそれで良い。真田達は納得ずくでいる事だけでも分かってくれたならば、それで。
「さて、文句は無さそうね。――無いわね!?」
「チッ……別に、俺もねぇよ」
篁は満足とばかりに胸を反らした。これで店内に居る全員の意思が同じ方向を向いている。鴨井までもが凄んだ彼女に負けて引き下がる。やはり彼は強い女性に弱い。
「じゃ、決まりね。これからあたし達は会議の後、可及的速やかに《最強の魔法使い》撃破作戦を開始するわ。今日、この後すぐにでも始められるだけの覚悟を決めなさい!」
高らかな宣言。こうしていられる内はある意味で平和なのかもしれない。今は束の間の休息の時間。しかしたった今、ここから状況は動き始める。いや、動き始めざるを得なくなる。リベンジマッチはもうすぐそこだ。




