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暁降ちを望む  作者: コウ
放課後の
150/333

 真田は暗闇の中に居た。何も見えず、何も感じない。とうとう痛みすらも無くなった。だが、まだ死んではいない。それだけは何となく分かった。けれど無事でもない。今、真田は死の淵に立っている。


 もう一押しで真田の生命は一度停止するだろう。力を込めればあと一発、嬲るならば……それでも十秒、かかるかどうか。しかし、その一押しはまだまだ来なかった。男が手を止めているのか? そんな事はないだろう。今にも再び拳を振るおうとしているに違いない。


 真田 優介は、時間を超越していた。


 彼は今、魔法を使えない。体の中を巡っているような魔力の感覚は完全に失せている。それでも体の中心の辺り、胸の奥の奥に熱く燃える何かが確かに存在していた。ずっと変わる事なく。魔力の源は精神力、意志の力。それを腕輪の力を借りて魔法という形にしている。

 だが、今の真田は僅かほども腕輪の力を借りず、自らの力だけで魔法を行使していた。腕輪を使って魔法を行使していた事によって無意識ではあるが意志を魔力に変換するコツのようなものを習得していたのだ。それでも魔力を魔法の形にする事ができない。だから魔力の全てを感覚の拡大、思考の加速に用いているのだ。


 腕輪を使えない状況で魔法使いに殺されそうになる。あまり機会の無い事だ。だからこそ気付きにくいのだが、魔法使いは皆、魔法の世界の端の端に爪先程度ではあるが足を踏み入れているのだろう。

 ゆっくりとした時間の中で生きている真田。それも長くは続かないだろう。意志の力は意識を失えば消えてしまう。つまり本当に心が折れてしまえば終わりだ。ジリ貧。死の瞬間を少し遠ざけているだけ。


 この時間はいつまで続くのだろうか。永遠ではない。自然と意識が途切れるまででもない。時間が停止している訳ではないのだ。今、まさにこの時も男の拳は動き続けている。



 一瞬だ。拳を振るい、殴りつける。たったそれだけの行動、十秒だって長すぎる。自らの力で時間に抗っている真田には数秒にも数分にも感じられるが、実際に経過する時間がほんの一瞬である事には変わらない。生き長らえているように思っているのは真田だけ。


 けれども、そのたった一瞬が生と死を分ける。これまでの全ての行動がほんの一呼吸だけ早かっただけで、結果は大きく変わっていた事だろう。


「ちょっ……何やってるんですか!」

「!」


 無音の暗闇を切り裂いて、女性の声がどこからか聞こえてくる。本当にどこからかだ。何も見えない世界でとにかく声だけが聞こえた。


 どこに居るのかも分からなければ顔を見る事もできない。それでも真田には確信があった。この声。聞き馴染んでいるかと問われたならば、否。決して馴染んではいない。しかし、間違えようもない聞き覚えのある声だった。

 そう、真田は本来、この声を待っていたはずだったのだ。


ある意味で真田の最後の魔法を消し去ったのは彼女の声だ。感覚の鈍っていた全身でも新鮮に空気の流れを感じられる。もちろん視界は閉ざされたまま。それでも確かに眼前に何かがあると分かった。それが何かと問われた時、端的に答えるならばそれは拳だと推測して答えるだろう。しかし具体的に答えるならば、それは殺気。


 今さらながら総毛立つ。まさに死を迎えようとしていた事実に。そして何より、その命がほんの一瞬の差で助かったのだと分かった事に。

 死ぬ事は恐ろしかった。とりあえず一度だけならば生き返る事はできるのだが、それでも恐ろしい事に変わりはなかった。だが、生き延びた事によって自らが死を迎え入れようとしていた事に気付き、それが最も恐ろしかった。これは揺り戻しのようなものだろうか。


 ドサリと音がする。尻と折れた足が痛む事から何らかの衝撃があったと気付き、それが音と結び付いて自分が地面に落とされたのだと遅れて理解した。


「――チッ、殺りきれなかった、か……」


 男の手が離れたからか、全身くまなくボロボロなのに力がみなぎるような気すらする。力が戻った証として、敵がハッキリと認識できるようになっていた。前は見えなくとも、先程までは殺気だ何だと曖昧だった相手のイメージが、全身から噴き出るような魔力によって形作られているようだ。

 舌打ちをした男が次の瞬間には高く遠くに存在している。かと思えば、そのまま凄まじい速度で離れて行った。きっと壁を飛び越えてそのまま外へ離脱したのだろう。


 そう、つまり助かったのだ。奇跡的に。


「ううっ……」

「優介!」


 何を言おうとしたのか自分でも分からないが、やっとの思いで開いた口から出てきたのは呻き声だけだった。助かった、とも怖かった、とも言えない。背中と後頭部に硬い感触。どうやら地面に倒れているようだ。

 そんな真田に駆け寄る足音二つ。それと共に聞こえた名前を呼ぶ声、今度は確かにすっかり聞き馴染んだ、馴染んでしまった声。


「あ……あ、ああ……」


 掠れた声を上げながら、腫れと感情が閉ざした目を少しだけ開く。真っ昼間の日差しが眼球を焼くようで、視界が滲んでいる。それでも見えた。泣きそうな顔で真田の事を見下ろしている雪野が。


「さ、真田君? だいじょう……あ、喋っちゃ駄目よ!」

「ゆ、きの、さん……大丈夫、です……か?」

「えっ、私? 私は大丈夫だけど……それより真田君でしょう!?」

「良かっ……た……」


 考えてみれば人が目の前で泣きそうになっている顔なんて見る機会はあまり訪れはしないだろう。そんな表情にさせてしまうほどに今の真田は極限状態に見えるのだろう。それでも心配を口にしたのは真田の方だった。


 例の呼び出しの手紙。アレを用意するため、名前や真田の住所を調べるためなどに何らかの脅迫などがあった可能性も考えられた。だが、不意の質問となっても(隠し事をしているような)動揺は見られない。どれだけ人を見る事が苦手な真田でも嘘偽りが無いと分かる。これを演技で出来るなら、もはや人間を信用する気も失せてしまいそうだ。

 なので、とりあえず信用する事にした。怪しげでもないのに疑っていたらキリがない。となると一安心というもの。目を開けているのも疲れるので、静かに閉じて精神を集中させる。


「真田君!? 嫌よ、そんなの……駄目! 目を開けて!」


 呼び掛ける雪野の声はもはや悲鳴だ。それもそうだろう、流れとしては死んだようにしか見えない。けれど、もちろんそれは違う。今の真田は全身に魔力がみなぎっているのだ。わざわざ体を痛め続けているような趣味など持ち合わせていない。


「な、なに?」

「うっ、ぐぅ……えほっ、ごほっ……ああ、いったぁ……」


 一つ呼吸をする度、流れる血が止まり、傷が塞がり、骨は繋がる。腕を引っ張られた時に破れていたのであろうシャツも修復されていった。土や血の汚れは消えないが、それ以外は元通りと言って良いだろう。それでも脳裏に刻まれた痛みは簡単にはなくならない。あまり動きたくはないが、何とか「痛い」と素直に口に出す事はできるようになった。


 男が去って行った(らしい)方向をジッと見ていた吉井も駆け寄って膝をついた。視線の先にはつい先程とはまるで違う、傷一つない顔がある。


「優介。怪我が治ったって事はやっぱり……」

「はい、そういう事です。――吉井さん、今すぐ宮村君……や、店に連絡してもらえますか? この後で集まる予定だったんです。『例の魔法使いに襲われた』って、お願いします」

「分かった。優介は休憩してて――と言うか、例のって事はまた内緒で色々やってたんでしょ。心配だから私も付いて行くからね!」

「はは……はい、ごめんなさい。頼みます」


 相変わらず妙に鋭い女性である。状況や言葉尻からそれらしい答えを導き出す事ができるとなると頭の回転が速いというべきか。ともあれ、一刻を争いたいタイミングにおいては心強い存在である事は間違いない。

 吉井が少し離れて携帯電話を取り出し連絡を取り始める。急ぎである事は察しているだろう、ダラダラと喋っているはずもない。いつまでも寝転がっていてはいけないと、地面にしっかりと手をついて立ち上がる。制服の汚れを払うその姿は、血塗れである事を除けば健康体にしか見えないはずである。そう、健康体にしか見えないからこそ理解できないでいる人物が一人。


「心配させてしまってごめんなさい。ああ、鼻血が……クソッ、完全に折られてたなぁ」

「何なの……?」


 雪野もヨロヨロと立ち上がった。足元はおぼつかず、顔も青白い。どちらかと言えば彼女の方が異常があるように見える。

 クラスメイトが死にそうなほど殴られていて、その怪我が瞬く間に治り、あまつさえ当然のように立ち上がり、自らの友人はそれを受け入れていて、理解できていないのは自分だけ。そんな状況ではこの反応も仕方がない。


 そして、仕方がない事はもう一つ。


(色々見られた以上は仕方ない、か)


 このまま特に何でもありません、さようならとでも言った所で納得はしてもらえるだろうか。否、するはずがない。魔法云々ではなく、どうして殴られていたのかをまず追究されるだろう。真面目で責任感が強い、それが雪野という人物なのだと何となく分かってきた。そして真田自身もこれだけ心配させて説明しないという事はできない。


 ならば、事情を話すしかないだろう。それによって吉井の事も色々と説明ができる。嗚呼、これは全面的に丸く収まる素晴らしい考えではないか。そうでも思わないとやってられなかった。


「雪野さん、この後で行かないといけない所があるんですけど、吉井さんと一緒に付いて来てください。意味は分からないかもしれませんけど、一応説明になると思いますから」

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