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「真田! 無事か!」
やっとの事で辿り着いた店の扉を開けてみればドアベルの音を遮るように、大きな声が真田に向かって飛んで来る。それは宮村の声だ。突き刺そうとするような鋭い声は、心配の表れなのかもしれない。恐らく全員が全力でこの店まで戻ってきたはず。そして、真田だけは諸々があって現場に留まった後で普通に歩いてゆっくりと帰ってきたのだ。彼らも真田が残ったという状況は把握しているだろう。つまり帰りが遅ければ遅いほど、実際にはそれほど長い時間ではなくとも不安は雪だるま式に大きくなっていく。
もっとも、真田はそんなに心配してもらっていた事を申し訳なく思うほどピンピンしている。大変ではあったが、結果として危険な状況は一瞬にして過ぎ去ってしまった。心配する側と、海坊主を如何に対処するかと冷静に頭を働かせていた真田。この温度差に負い目を感じざるを得ないのかその返事は一歩も二歩も引いた微妙なものだ。
「はい、まあ一応……」
「良かった……先輩の帰りが遅いんで心配してたんですよ?」
「大丈夫だったらすぐ帰って来なさいよ、バカ! バカ! ケガしてないでしょうね!」
「うん、怪我も無い。ありがとう」
年下二人の心配も嬉しいが申し訳ない。曖昧に笑いながら感謝の言葉を述べながら店内へ足を踏み入れる真田であったが、そうすると後に続いてもう一人も店内に入る事となる。この場所に帰ってきた真田とは違い、この場所に訪れた人物だ。その姿を見た瞬間、誰もが不思議そうにし始める。
「んん? そちらの方は――」
「いや、なんつーか……」
篁が鋭い視線を後ろの人物に向ける。急に姿を現したのだ、それも無関係な客という風でもなく。気にならない方が嘘というものだろう。その遠慮のない視線には流石の彼もたじろいだ様子で名乗ろうとする言葉を濁していたのだが、その直後、睨むように見ていたはずの篁が両手を高らかに打ち鳴らして言うのだった。
「ああ、海坊主!」
「だぁれが海坊主だコラ!」
いわゆる一つの食い気味というものだ。素晴らしい反応速度のツッコミである。恐らく彼も自分の渾名を把握していて、そして納得はしていないのだろう。まあ分かりやすさを重視したような何ともノリだけの渾名だ。伝わりやすさと本人が気に入るかどうかは別の話。
ともあれ、その反応は肯定と考えても良い。そうすると今まで不思議そうにしていた面々が、今度はさらに不思議そうな顔へとマイナーチェンジを遂げる。どうやら掲示板における期待の新星であるらしい真田のこれまでの戦いはもはや(篁の喧伝によって)メンバーのみんなが知る所となっていた。その中でも特に取り上げられたのが初めての戦い。その相手が何故か真田と一緒にこの場に居るのだから不思議な事この上ないだろう。
誰しもの頭の中に疑問が存在しているのだが、状況に理解が追い付けていないのか言葉にできない。そんな中で最も早く冷静になって言葉を発したのは梶谷。そしてその次は元々は敵であったらしい上に和解があった訳ではない人物に対して少し棘のある対応をする宮村であった。
「海坊主と言うと……真田君と戦った魔法使いだね」
「で? その坊主さんが俺らに何の用なんで?」
「いや、そのー、僕、実はこの海坊主さんに助けてもらいまして……」
「海坊主に? ホント?」
とにかく一緒にこの場にやって来た理由を説明しなければならないと口を開いた真田であったが、篁がそれはそれは意外そうに口を挟む。それ自体は適当に頷き一つで流せる発言だったため普通に続きを口にしようとしたが、それよりも先に大きな声で話を遮る人物が居た。海坊主氏である。
「鴨井だ! 鳥の鴨に井戸の井、海人って書いて鴨井 海人!」
何度も何度も海坊主と連呼されたのが腹に据えかねたようである。海坊主こと鴨井氏、とうとうキレる。もう怒らせようとしているのではないかと思うほど連呼したので仕方がない。こんな時の方が上手く連係できていると思うのは気のせいだろうか。
「海人……やっぱ海……」
「海鴨ね」
「うるせぇぞ!」
顔を寄せてヒソヒソと陰口を叩く篁と店長。そして怒り続ける鴨井。なんなのだろう、この状況は。何となく一瞬で場に馴染んでしまっている、無駄に受け入れ態勢の整った店である。
彼の怒りを静める真田と日下。静めようと思えば静まってしまう辺り、彼もまた割と簡単な人間である。怖い人は意外と扱いやすいのかもしれない、真田の中に間違った認識が生まれた瞬間だった。
ひとまず全員が冷静になって、ようやく本題に入る事ができる。それはつまり何故、鴨井が真田と共にこの場に居るのかという事。先程は篁によって遮られてしまった話の続きだ。真田が宮村のフォローに入ってあの場に残った事、その後に例の魔法使いの能力を目の当たりにした事。そして、何とか逃げられないかと思った所で現れた鴨井が一般人の振りをして注意を逸らし、真田を逃がしてくれた事。これらは全て事実である。みんなが色々と疑問に思ったとしても、それは絶対に変わらない。
とにかくそのような出来事があったのだという事は理解したらしい、篁は腕組みをしながら鴨井の行動を高く評価した。
「なるほど……腕輪を失くしたなりの働き方があるワケね」
腕輪を持っていない人間と腕輪を失くした人間との間には、魔法を知っているか否かという差が存在する。これは、一度腕輪を手に入れた後に死亡する事で失い、無力となってそれでもなお魔法に関わるという危険を冒した人間にしかできない行動であった。
考えれば考えるほどに、鴨井の行動は無茶なものである。得は無く、危険だけがある。そんな理解不能と言っても良いような行動によって彼は真田を救った。その事を分かってしまうと、もはや彼に対して殊更に敵対的な態度など取れようはずもない。宮村も棘がなくなった訳ではないが、幾分か態度を軟化させている。
「……助けてやってくれてありがとう。何か、喧嘩腰で行き過ぎた事は謝る」
「あぁ? いや、そら別に良いんだけどよぉ……」
急に謝られて面食らったのかかなり素の返事をした鴨井だったが、すぐに真田の方へと向き合って詰め寄ってくる。その顔は怒りが浮かんでいて何とも圧倒されてしまう。距離を取ろうと思わず体が反応して仰け反ってしまうほどに。
「まあ、話は分かった。けどなぁ、真田 優介! 俺が忠告したのを無視して何してやがる! そんで結局あのザマじゃねぇか!」
「それは……すみません」
謝るなと言われたのはつい先程の事であるが、この剣幕では気の強い方ではない真田はほとんど無意識に謝罪が口を突いて出てしまう。何より、やはり鴨井の言っている事があまりにもっともであるので謝るしかない。
しかしそんな威嚇する側とされる側の会話に当然のように割って入る事ができるのが篁という人物である。状況も話題も関係無く自らの疑問を口に出す事のできる圧倒的なインターセプト能力は今の真田にとってありがたい。
「忠告?」
「えっと、例の魔法使いの情報をくれたのがこの、えー、鴨井さんでして。その時に絶対に近付くな、と」
これ幸いと話題を転換させる真田。手に入れた情報を前提として話し合っていたが、その情報の詳しい出処については篁にも明かしてはいなかった事を思い出す。真田が説明をしなかった事について咎められるかもしれないと思ったが、篁はただ得心したとばかりに頷いている。突然に真田が観察を提案した理由も察せたのだろう。
「なるほど……逆に、の発想でもしたんでしょう。虎穴に入ろうとする気持ち、あたしも分からなくはないし」
「そんな所です」
「虎穴だぁ? それで死にかけてちゃ意味ねぇだろうが。俺が居なけりゃどうなってると思うんだ!」
「ごめんなさい、反省してます」
「本当に反省してんだろうな……」
篁と普通に話していた真田が間髪入れずに再び謝罪の言葉を口にする。そのスピード感にもしかすると少しも反省などしていない形だけのものかもしれないと疑う鴨井。ほとんどこの三人だけの(と言うより一対一の二グループで行なわれていた)会話であったが、そこにおずおずと挙手しながら日下が口を挟んだ。
「そのー、良いですか?」
「あん?」
「鴨井さん、ですか。鴨井さんは何であんな場所に居たんですか? 何と言うか……危ないですし、あまり近付く場所じゃないと思うんです」
「ん、それは……」
ここまで勢いよく喋っていた鴨井が急に口ごもる。考えてみれば不思議な話である。普通に通り掛かるような場所ではないからあの辺りは魔力が渦巻いているのだ。そんな事を鴨井が知らないはずがない。それなのにそんな場所に、しかもよりによって真夜中に。
「分かった! 実はアイツと組んでて罠にはめようとしてるんでしょ! そうなんでしょ!」
「ほほう……」
「ほほう、じゃねぇよ! 何と、言うか、その……もしかしたらこの馬鹿が来やがるんじゃねぇかと思って近くに居たんだよ!」
何となくのノリで決めつけるマリアと、小さく頷きつつ煽る梶谷。この謎の陰謀論は否定したいのか声を荒げる鴨井であったが、再び歯切れが悪くなる。かと思えば開き直って、思い切り叫ぶように本音を言い出した。しっかりと真田を指差しながら。
どうやらそれが彼があの場に居た理由らしいのだが、それを聞いた所で「なるほどな」と納得する事は難しいだろう。真田が来るかもしれないからと言って近くで待ち構える。それはもう悪く言えばストーカー、極限まで良く言えば乙女の行為だ。前者ならば警戒するしかなく、後者ならばもう気味が悪くて仕方がない。全員の視線がグッと厳しくなる。
「はぁ? 何だそりゃ」
「もしかしたら忠告を無視するんじゃねぇかって思ってだな、見掛けたら止めるつもりで二、三日は毎日あの辺に行くつもりだったんだよ……」
まったく歯に衣を着せる気の無いシンプルな疑問を口にした宮村に対して、鴨井はとうとう先程までの勢いを完全に失ったブツブツとした言葉を漏らしている。視線は床に落とされて、強面なのがまた微妙な哀愁を漂わせて不思議と可哀想に見えてくるほどだ。
しかも言っている事は細かく考えてみれば要は「心配だったから待ち構えていた」と言っているようなものだ。まさかの乙女寄りの発想。
「なに、あの坊主、ちょっと良い人なの……?」
「や、僕としては良い人の印象は特に……」
「いやいや、見た目で決めちゃ駄目ですって」
「あんなの悪いヤツに決まってるじゃない」
「私は意外と雨の日に捨て犬に傘を差すタイプと見たね」
「……こっそり話してるつもりなら全然聞こえてるからな?」
篁、真田、日下、マリア、店長と五人で顔を寄せて緊急会議。気味は悪いが、かなり真っ当と言うか善人のような事を言っているのだ。見た目とのギャップの激しさに困惑が隠せない。もっとも、そんな会議は相手にも筒抜けなのだが。近いので当たり前である。と言うより声のボリュームはもう隠すつもりも無いレベルだった。
おふざけを少し挟んでどうやら満足したのか、小さく咳払いをした篁が鴨井に向き直った。表情は打って変わって真剣そのもの。本格的に鴨井の処遇を決めるつもりのようだ。名前も働いている場所も把握した上で厳重に警告をして放り出すか、それとも。
「んんっ、じゃあアンタはあたし達に味方するつもりでいたって事で良いのね?」
「味方するってのは何か違うけどよ……」
「じゃなかったら何なんだよ」
またもや歯切れの悪い鴨井の答え。彼としてはあくまで真田の味方をしたつもりはないらしい。自分の頭の中ではしっかりと成立している理論というものは確かにある。彼にも何らかの考えがあるのだろう。それを何とか説明してもらいたいと思った宮村が先を促した所、鴨井は頭をバリバリと両手で掻いて言い放つのだった。
「――ああ、もう! コイツには言ったけどなぁ、コイツは俺に勝ちやがったんだよ! それがボコボコ負けたらムカつくだろうが! まだまだ生き残ってもらわねぇと嫌なんだよ!」
「は?」
「漫画みたいな考え方で動くわね、アンタ……」
どうも篁も真田と同じような感想を抱いたようだ。もう発想は「この俺に勝ったんだから絶対に優勝しろよ」とでも言っているツンデレなライバルである。基本的には色々と考えて行動する事の多い人間が揃ったチーム、よもやそんな考えで行動しているとは思いもよらなかっただろう。
呆れ顔が並ぶ中、一つだけ真剣な顔があった。その人物は何故か大きく二度頷いてからゆっくりと鴨井に向かって歩み寄る。
「……鴨井。いや、海人」
「ああ?」
それは宮村だった。ここまで刺々しさのある態度だった彼であるが、唐突に鴨井の事を名前で呼び始める。真剣だった表情は少しだけ緩み、薄っすらと笑みを浮かべている。
「分かるぜ、その熱い気持ち……自分の意志を託したんだよな。自分の代わりにどこまでも勝ち続けてほしいんだよな……」
「ん? あ? いや、何かニュアンスちげぇ……」
「俺! お前の事をずっと疑ってた。でもお前は悪い奴じゃない。熱い友情、そして燃える好敵手魂を持った人間に悪い奴はいねぇ!」
「そんなん持った覚えは……」
「ああ、決まりだ。お前も俺達の仲間だ! 腕輪がなくたって関係無い、その燃えるハートが魔法だ。よろしくな、海人!」
「おめぇ話聞かねぇな! つーか呼び捨てにすんなよ、年上だぞコラァ!」
謎の漫画ライバル理論は単純な宮村の魂に大いに響いたようである。爛々と目を輝かせた宮村に対してかなり本格的にイライラし始めた鴨井。ある意味ウマが合ってしまった二人を見るとどうも処遇は決定してしまった感がある。
魔法こそ使えないが、また協力者のようなものが増えてしまった彼らだった。




