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暁降ちを望む  作者: コウ
最強の
142/333

(何だこれ、戦いになってない)


 それからというもの、戦闘は実につまらないものとなった。タネ切れだ。もう土属性の男には攻め手が無い。完璧に気付いてしまっているのだ、自分の攻撃は絶対に通用しないと。どのような策を弄しても、動体視力の向上・思考の加速・魔法無効化によって無駄に終わる。


 男の戦い方は先程までとは違う、何とも惨めなものである。岩を降らせる、石を投げる。行動自体が大きく変わっているのではないが、そこに意思というものを感じられない。できる事をやろうというような必死さも感じられない。これは惰性だ。殺す意思も無く、逃げる気力も失われた。消極的な死の肯定。自らに命が二つある事に驕った愚かな思考。

 ワンパターンに大きな岩が頭上から落ちてくる。それに対して男は手の平をかざすようにすると、その手に触れる直前で少しずつ消滅していく。あれもこれも、全てが無効化される。この戦いはもうすぐ終わる。それはもはや疑いようのない事実。


(ヤバい、ヤバい……逃げよう。逃げる前に気付かれたら、殺られる……っ!)


 誰に見られている訳でもないが冷静を装ったしかめっ面で、真田は確実に焦っている。戦闘が終わるという事はつまり、この場の魔力が落ち着くという事だ。そうすると、下手すればここに潜んでいる数人の魔法使いの魔力に気付かれるかもしれない。気付かれた事にこちらは気付けない。そうなると逃げるどころか相手に先手を取られかねないのだ。


 真田の手に握られている携帯電話。まだメールは届いていない。もしかすると篁もタイミングを計っているのかもしれない。難しい。逃げたいような、まだもう少し見ていたいような。そんな複雑な感情。指をほんの少し動かすだけで逃げ出す事ができるのに、不思議と動かない。

 真田が迷っている間にも戦いは続いている。いや、終わろうとしている。ここにきてとうとう、キャンセラーは男を追い詰めていた。もう既に男は壁に背を付けて座り込んでいる。口から発せられる声は震えていて、恐怖を再認識させられているようだ。あと少し。キャンセラーがその拳を振るうだけで全ては終わる。


 そして彼は、座り込んだ男の手首を腕輪の上から掴んで、立たせるように引き上げた。


「や、め……あがっ、ばっ……」


 右拳が男の頬に突き刺さった。振り抜かれた拳によって捻じれた首だが、骨をそのまま折るには至っていない。ダメージと言えば頬だけ。だからこそ、地獄は続く。男は魔法を使えなくなっているのだろうが、どうやら回復はできるようだ。いっその事、このまま死ぬ事ができれば良かったのかもしれない。


 振り抜いた拳を勢い良く戻して、裏拳の要領で再び顔面を殴りつける。そして今度は真っ直ぐに、鼻っ柱をへし折るようなストレート。


「ひっ、ぃぃぃぁぁ……あああああああ!」


 歪んだ鼻が一瞬にして元に戻る。だが、一度感じた痛みが脳から消える訳ではない。自らの負った怪我が癒えてしまった事で、男はこのまま何度も殴られ続ける事になると悟った。半開きの口から洩れた掠れた声は、ほどなくして断末魔の如き悲鳴へと変貌する。


 直後、その悲鳴すら消されてしまう。躊躇なく振るわれた拳によって。やはりこうして見ていると実にシンプル。もっと言えば地味だ。ただひたすらに殴りつけているのだから。この様子を端的に言うならば私刑、そんな言葉が似合うのではないだろうか。

 もう言葉を発する事もできない男であるが、その体には怪我一つない。驚きのタフさである。そしてそれこそが彼の不運。先程の戦闘真っ只中のような音が無くなり、静かと言って良い状況となった事で、キャンセラーの小さな呟きが離れている真田の耳にも届いた。


「――割としぶといな」


 それは、悪魔のようと表現されるような低く恐ろしいものではなかった。歳の程が正確に分かる訳ではないが、年齢相応の若い男の声だ。恐ろしいものでなければ奇妙なものでもない、普通の人の声。魔法使いとは、根本的にはただの人間なのだ。そこらを歩いている人々と何ら変わらない。だからこそ、恐ろしい。


 人をひたすらに殴っている事に恐怖を覚えている様子は無い。興奮している様子すら無い。本当に普通。きっと少し前までは鬱屈した感情を抱えながらも普通に暮らしていたであろう人間が、これほどまでに歪んでいる。


 彼は拳を開いては握り直す動作を何度か繰り返す。恐らくではあるが、これは確実にとどめを刺そうとするための行為だ。彼の攻撃方法となると殴るばかり。魔力によって強化されてはいるが、真田の火のようにより強くするような調節はできない。それでも、ここで決めるためにパンチの威力を上げる方法も存在する。それが、後に《二重思考》と呼ぶようになった方法である。


 例えば、手足が動かなくとも体の動きをイメージすれば魔力が体を動かしてくれる。その際、筋肉への負荷はほとんど掛からない。重ねて例えるならば、普通に肘を曲げ伸ばししている、あるいはそれよりも小さな負荷でも重いダンベルを容易に上げる事が可能となる。ならば休んでいるに等しい筋肉にも働かせれば、より重いダンベルを上げられるのではないだろうか。それを実践したのが二重思考。

 体を動かす時には頭も動いている。魔力も何も関係ない一般人だろうと、右手を挙げようと考えて右手を挙げている。だが、魔法使いは考える事によって魔力が作用してしまうために自分の力を使う事ができない。逆に訓練次第では日下のように魔力をほとんど使わずに行動する事が可能になる。どちらかは犠牲になっているのだ。


 そこで二重思考。ある小説の中にも出てきたこの言葉、《二つの相反する意見を同時に受け入れる》といったような内容だ。この場合は、思考による魔力の発生と、思考による筋肉の稼動。その二つを両立させようというもの。魔力を使えば筋肉を使わない、筋肉を使えば魔力を使わない。この二つの両立。かつて真田は一度それを行なっている。魔法によって発生した強力な風に立ち向かうため、魔力に自らの力を合わせてみせた。それは必死に戦おうとして偶然できた事であり、方法は思い付いても実現するのは難しい。


 宮村を例に考えてみると、理想とするパンチのフォームをイメージする事で体は魔力によって動き出すのだが、それに自分の力を足そうとすると完璧に理想通りのフォームを完璧に同時に自らで実現させなければ上手く力は合わさらない。それができれば苦労はしないというものである。


 もちろん単純な行動ならそれだけ難易度は下がる。必死だったとはいえ真田にも可能だったのだ。フォームなど関係無い乱暴なパンチも簡単な部類だろう。そう、ここでキャンセラーが打とうとしているような。

 何度も握り直す指の動き。それはきっと魔力と体の動きを同調させようという行為。終わる。もう本当に。男は腕を掴まれたまま、反撃もできず、かと言って死ぬ事もなくぐったりと俯いている。その顔面に目掛けて、真っ直ぐに伸びる拳。


 真田の視界で、時間が緩やかに流れ始める。動体視力の向上。そして本来の時間の流れでは間に合わないほどの量の考えが頭の中を流れる。思考の加速。この長い一瞬で決断しなければならない。


(もう駄目だ! 送れ!)


 親指が動く。五人の仲間に宛てて同時にメールが送信される。受け取るタイミングには少し差が出るだろうが、これで全員が逃走を始めるだろう。もちろん、送信した真田も逃走を始めなければならない一人だ。


 時間の流れが少しだけ早くなる。拳が男の顔面に突き刺さり、グチャリと嫌な音が聞こえてきそうなほどに歪んだ顔から血が噴き出した。そしてその直後、腕輪が眩い光を放ち、軽い音と共に砕け散る。戦いの終わり。今すぐ駆け出せば良い。それで逃げ切って、このちょっとした冒険はお終いだ。カフェに帰って、今日の所は少し冗談っぽく話し合う。それで良い。


 今すぐに背を向けて、ビルの屋上を飛び移っても良い。下に降りて走り出しても良い。だが、そのどちらかを選択するよりも前に、彼の目にはある光景が入り込んだ。


(何を見てる、何を……何を!)


 キャンセラーは、腕を掴んだままでジッと男を見ていた。もう既に一度死んだ男だ。意識も失っていて、もはや用は無い。このまま手を離してどこかに行ってしまえ。しかし、彼は見ている。見続けている。何故。何の目的があって。分からない。分からないと思いたいが、実際は分かってしまう。彼のその考えが。男はニヤリと笑って、再び拳を振り上げる――。


 その時、ビルの影から一つの影が躍り出た。覚えのある声、覚えのあり過ぎる魔力。


「ふっざけんなぁっ!」

「ぐぅ……っ!」

(宮村君!?)


 そう、宮村 暁。ビルの間、狭い路地に身を隠していたらしい彼が飛び出して、キャンセラーに向かって攻撃をしたのだ。その風弾は男の左肩の辺りに当たり、一瞬だけ怯んで掴んでいた腕を離す。地面に倒れ伏す体。死んではいない。しっかりと生きている人間の体だ。

 この攻撃、先に打ち合わせていたとにかく逃げるという作戦に思い切り反するが、間違いなくファインプレーだ。蛮行を止める事に成功している。


(ナイス……だけど!)


 男は攻撃に主を視界に入れるために振り向こうとしている。姿は見られるべきではない。相手に一切の情報を与える事なく、相手に情報だけを持ち帰る。そうでなくては意味が無い。

 真田は素早く腕輪に触れる。魔力が渦巻き、腕が熱を持ち、周囲が明るく照らされる。炎の壁、宮村と戦った時のような巨大な炎。


「何だ!」


 男の困惑しているような声が炎の向こう側から聞こえた。真田もまたビルから飛び降りて現場に躍り出て、両者の間に炎の壁を張って姿を隠したのだ。チラリと後ろに目を向ける。宮村が申し訳なさそうな顔をしていたが、手でそれを追い払うようにして見せると少し躊躇った後に駆け出して行った。


(よし、僕も逃げて……!)


 宮村が離脱できたならば次は自分の番。腕から炎を切り離して走り出そうとする真田であったが、それよりも早く状況は動き出す。この巨大な炎は魔力の塊。それならば、こうなるのは必定。とうとう自らで体感する事となる、最強の魔法。


(嘘……火が消えてく……)


 炎の壁のど真ん中、少し揺らいだかと思えば、そこに穴が生じた。その穴は少しずつ大きくなって、最終的に壁だったものは熱だけを残して完全に消滅してしまうのだった。予想をしていなかった訳ではない。つい先程まで似たような光景を見続けていたのだ。


 しかし、予想できていたつもりでも自らの身に振りかかるとなると話は別。信じられないものでも見たかのように、真田の目は大きく見開かれた。いや、実際に信じられないのだ。何があったという事もない。ただシンプルに魔力が消されるという現状を目の当たりにして、素直に受け止める方が難しいに決まっている。


 自分と敵を隔てる壁は消え失せた。ならば自分の目の前に居るのは何だ。敵だ。敵が居る、笑っている。楽しみを邪魔されたが、その代わりに新たな活きの良い獲物が現れてくれたのだ。嬉しくって仕方がないのだろう。不思議と威圧感を覚える笑みのまま、男は口を開いた。


「よう、こんばんは」

「!」


 会話などありはしなかった。たった一言の挨拶を聞くや否や、真田は後ろを向いて全力で走り出す。隙を見て逃げ出すという選択肢もあったかもしれないが、今は一も二も無くただ逃げ出す事が正解だったように思う。隙など窺っていたら殺される。そんな確信があった。戦う訳にはいかない。


 こうして遭遇した相手が逃げ出す事は想定していたのかもしれない。男もまたすぐに走り出した。突然に逃げ出した事によって隙を作り出す事もできなかった。そもそも追い付かれる事を危惧しての先手逃走のはず。それなのに先手どころか同時だ。そして真田は恐らく相手よりも足が遅い。スタートこそ二人の間に距離はあるが、これはすぐにでも埋められてしまうようなものだ。もう既にこの段階で、真田は八割方死んでいると言っても過言ではない。


 逃げるためにはとにかく曲がる事だ。真田はそう考えている。直線では追い付かれてしまうに決まっているのだから。あわよくば撒ける可能性もある。だが、ここにはろくに曲がる道も無い。駅の方に向かうしかない。いくらなんでも人通りのある所で無理はしないだろう。問題は、そこに辿り着く前に捕まるかもしれない事だ。小細工のしようがないのである。

 ここで二重思考によってスピードを上げられたら良いのかもしれないが、速い走り方など想像もできない。とにかくもがく事しかできないのだ。ひたすら頑張る、それだけでもスピードは上がる。


 全力の全力、死ぬ気で走る。それ以外には考えられない。そんな真田の視界の端で何かが動いていた。こちらに向かって歩いて来ていた人間だ。姿を見たのは一瞬だけ。もうすれ違って背後に居る。ほんの一瞬しか見る事はできなかったその姿であるが、見た事のある人物であると、ハッキリ認識した。


(今のは……)


 後ろを振り返りたいと思ったが、それではスピードが落ちてしまう。だが、確かめたい。何故、その人物がこのような所に居るのか。その人物は坊主頭をバリバリと掻きむしりながら歩いて行った。真田とすれ違ったという事は当然、その先に《奴》が居る。


 突然現れた一般人に驚いたのかもしれない、男は少しだけ走るスピードを落とした。一般人からすれば目で追う事だけで必死なスピードから、話し掛ける事すら可能なスピードまで。


「あー、すんません。何かさっきこっちから悲鳴とか聞こえたような気がしたんスけど、大丈夫ッスか? 何かありました?」


 歩いて来た一般人。名前も知らぬその男。人呼んで海坊主。何故か彼はここに居て、キャンセラーに向かって話し掛けていた。海坊主は、目の前にいるのが例の最強の魔法使いであると知っているはずだ。情報を与えてきたのはこの男なのだから。しかし、その様子はまるで魔法の事など何も知らぬただの善良な一市民。

 キャンセラーからしてみれば、一般人に声を掛けられたのだ。とりあえず返事をしない訳にはいかない。それも、魔法など存在するはずがないといったような一般人の振りをして。


「――ん、いえ。特に何もありませんよ。気のせいか、他の所じゃないですかね」

「あ、そッスか? なら良いんですけど……すんませんっした。そんじゃ、失礼します」

「いえ、それでは……」


 二人して、何とも薄気味悪い丁寧な喋り方。いや、片方の喋りは丁寧とは言い切れないのだが。キャンセラー一人だけが認識できていない上っ面だけの会話。それを終えて、海坊主は引き返す。既に真田の姿など消えていて、追い掛ける事は絶対に不可能であった。


(た、助かった? 今のって……)


 駅の改札前。夜も遅いが、そこには人が歩いている。そんな中で真田は立ち尽くしていた。つい先程までは死んだも同然だったのに、今はこうして無事に生きている。安全圏にいる。その事実を冷静になって理解したかった。

 そんな彼の目の前で音がした。足音だ。すぐ目の前で誰かが足を止めた。顔を上げてみれば、そこに居たのはつい先程すれ違ったばかりの人物の姿。


「……居たな」

「あっ……」


 変わらぬ強面。しかし疲れ切ったような表情。キャンセラーとの遣り取りを経て精神を擦り減らしたのかもしれない。相手は知らなかったかもしれないが、彼は知っているのだ。目の前に居るのが最強と称される魔法使いである事を。そんな心の疲れのせいもあるのだろう、彼は真田に向かって思い切り怒鳴りつけた。


「近付くなっつったろうが! 死にてぇのか、この馬鹿!」

「ごめん、なさい……」


 その声を聞きつけて周囲の人々が何事かとこちらを見ている。だが、そんな事を気にする余裕も無く、真田は恐縮しながら謝罪の言葉を小さく口にした。彼は真田に、あの場所には近付くなと言った、そしてそれを無視して真田は近付いた。もう弁解のしようもない。ただただ謝るだけだ。


「ああもう、謝んな! 謝られんのもムカつく……」


 言い訳もしないその態度を潔いと思うか、そうではないと捉えるか。彼はどうやら後者のようだった。自分が何を考えてそのような行動を取ったのか、せめて説明くらいはしてほしいのだろう。苛立ちを露わに頭を掻きむしる。

 姿勢を低くして、俯きがちな真田の顔を下から覗き込むその顔は眉間に皺が寄っていて恐縮したままの真田にとって恐ろしいものだ。


「何でこんな事しやがったのか、ちゃんと聞かせてもらうからな。良いな」

「は、はい……あ、そうだ」

「あぁん?」


 どうやら説明をしない訳にはいかない。そう理解した。何より、恐ろしく思っても目の前に居るのは自分の事を助けてくれた人間なのである。最大限、礼儀は尽くさなければならないだろう。

 そう判断した真田は頷きながら、ある考えを口にした。それは、最大限の礼儀であり、同時に自らの安全までも確保する事ができるちょっとした思い付きだった。

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