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真田 優介は悩んでいた。目の前には一つの問題が存在している。こういった問題は本来、考える事は苦手な方ではないはずである。しかし、この現状では安易に答えを出す事などできようはずもない。
それでも、真田に考える事を諦めると言う選択肢は存在していない。その問題と徹底的に向き合って、徹底的に考え抜かなければならない。
時間は刻一刻と過ぎ去っていく。早く答えを出さなければ、その先にはきっと恐ろしい事が待っているだろう。考えろ。もっと考えろ。これは自分だけの問題ではないのだ。正しい答えを導き出さねば――
「集めた本人が何してんの!」
「痛いっ!」
頭を叩かれた。篁の腕力と言えど、腕輪のせいで割と洒落では済まない。頭と首に甚大なダメージ。カウンターテーブルに突っ伏して苦しみの呻き声を発する。不意打ちで叩かれたのだからかなりの衝撃なのだ、苦しんで当然の事。しかし、そんな真田の隣で怒ったマリアがバシバシと二の腕を連打してくる。
「もう、何してんのよ! ちゃんと手伝ってよ!」
「いたっ……いたたっ……」
マリアの腕力と言えど以下略である。どうしてこれほどまでに責められなければならないのだろう。真田に非が無い訳ではないが、納得はできていない。
場所はいつものカフェ。時間は夜。魔法使い達が動き出す直前の拠点での事。メンバーの予定が合ったため、無事にこうして真田の呼び掛けに応じて集合する事ができたのだ。そして、全員が揃うのを待っている間に真田がやっていた事がマリアの手伝い。夏休みの宿題であった。
「いや、名門と言っても小学生とは思えないですよ、これ」
「何をそんな困る事があんのよ……」
所詮は小学校の宿題、これほど悩む事などありえないだろうと訝しがっている篁に対して問題集を差し出す。既に何ページか終らせてあるのだが、普段のマリアの文字とは明らかに違う字体で解答が書かれている事に問題はないのだろうかと思わないでもないが、それは真田が考える事ではないのだろう。怒られない事を祈るばかりである。
「これ、国語なんですけどね? 『傍線部、「付いて来るな」と突き放して答えた理由を書きなさい』って問題なんですよ」
「んー? ……そりゃあ、自分の好きな女の子には危ない目に遭ってほしくないと思ったからなんじゃない?」
「自由記述で、しかも三十字以内の制限付きなんですよ。とすると二十四字は必要ですよね。『彼女を危険な目に遭わせたくなかったから。』じゃ少ないですし、問題文だと彼女の事が好きだって描写が無いんで、その辺りも入れ込もうとすると長くなりそうで……」
「……『好ましく思っていた彼女を危険な目に遭わせたくなかったから。』じゃ駄目なの?」
「好ましく思っていた根拠が乏しいです。地の文で主人公が好ましく思っていたとは書かれてませんし……『危険な目に遭わせたくないと言うはずがツンデレを発動したから。』の三十字でどうでしょう」
「怒られて良いならアリなんじゃない?」
明らかに本筋とは関係のない話。それなのに二人して割と真面目に話し出してしまった。こういった問題は変に詰まると意外にシンプルだったりする答えが見えにくくなるものだ。小学校の問題でもそんな所は変わらない。むしろ馬鹿にしていると詰まる。
そもそもは真田が一番最初に店にやって来て、その次に到着したマリアが宿題を始め、それの手伝いを(半ば強制的に)要請された事がきっかけだった。それから黙々と真面目に取り組んでいたのだが、その間に続々と他の面子が集まり、現状である。まあ、つまるところ、何の用事で呼び出されたのかも分からない面々が呑気にこちらを見守っているのである。
ふと、我に返るではないが今まで感じていなかったこちらに向けられている視線に気付く瞬間がある。まさに今、真田にその瞬間が訪れた。なんだかんだと話し込んでいたその姿を手持ち無沙汰な様子で生温かく見ている複数の視線を感じる。
そもそも真田がここに居たのは自分で集合を掛けたからであり、怒られたのはその癖に別の事に集中していたからである。バツが悪そうに咳払いをしながら立ち上がって、適当に椅子に座っていた面々に体を向ける。
「――んっんん、んんっ。失礼しました」
「や、まあ、何でも良いんだけどさ。結局俺らに何の用なんだ?」
飄々と答える宮村はオレンジジュースを啜っている。どうやら真田の気付かぬ内に飲み物まで提供されていたようだ。どれだけ集中していたのだろう。メールには用事があるから集まりたいというような内容だけ書いていたので詳しい用件は知らない。篁にだけは色々と考えておいてほしかったため後で詳細を連絡したが、その他には改めて説明が必要だ。
とは言え、何か一つクッションを置かないと上手く話し出せそうになかったので少しだけふざけてみせる。
「んー……何と言いますか、とらとらうまうまって感じなんですけど」
「だから分かんないですって。と言うかもうフロイトさんしか居ないじゃないですか」
いつぞやと似たような遣り取りによるワンクッション。これで「さあ説明するぞ」という気分になっていた真田であったが、これを聞いていた篁が呆れて片手で顔を覆いながら会話に乱入してくる。
「はぁ……あたしがザックリと説明するから聞いて。優介クンは問題解いてて」
「あ、はーい」
どうも真田に任せてはいられないと思ったのだろう。篁からありがたい(と感じてしまう辺り手伝って当然の下っ端根性が染みついているが)許可が出される。自分が話さなくて良いので願ったり叶ったりな真田としては、そりゃあ良い返事を返そうというものである。喜々として問題集に向き直る。
そんな真田の背後で篁が説明を始めた。どうもこのメンバーは掲示板を確認できないらしいという事は以前の事件で分かっているので当然のように店長にパソコンを持って来てもらい、いつものように店長は文句を言っていた。
説明はどれだけ続いただろう。数十分も必要とはしない。せいぜい十分もあればかなり詳しく細かく説明できる。先程悩んでいた問題をひとまず保留にしてその先の問題をのんびりと二、三個ほど解答した所で背後がにわかに賑やかになり始めたような気がした。
「キャンセラー、最強の魔法使い、かぁ……スゲェな、超カッコイイじゃん」
「え、カッコイイですか?」
「カッコイイじゃない!」
「なあ?」
割と捻りの無い渾名だと思うのだが、宮村は結構気に入った様子。その感覚がよく分からない日下は咄嗟に反応したのだが、それに対してマリアから攻撃を喰らってしまっていた。
宮村とマリアはそこそこ仲が良い。喧嘩する事も多いのだが、そういった所も含めて、精神的なレベルが(低い位置で)同じなのだ。完全に小学生同士のウマが合っているといった感覚。これは宮村の子供と仲良くするための方法なのかもしれないと思った事もあるが、きっと違う。宮村はただただシンプルに子供なのだろう。決して悪い事ではないが。
「どうやら宮村君とマリアちゃんは随分と気に入ったみたいだね」
「えぇ……」
ここまで黙して聞いていた梶谷がポツリと呟く。どうも笑いを噛み殺しているようだ。単純に楽しんでいるというより、孫でも見ているような気分なのかもしれない。宮村も小学生の孫として見えているに違いない。日下は強力な魔法使いがいるらしいという事で笑っている余裕などないのか、分かりやすくドン引きしている。
そのように繰り広げられている会話は間違いなく耳に入っているのだが、真田は問題集に集中するあまりその内容をサッパリ理解してはいなかった。そんな状態から引き戻したのは突然視界に入ってきた指、問題集をコツコツと叩いて知らせてくる。顔を上げれば、カウンターの向こうから手を伸ばしていた店長が、先程まで説明をしていた背後の一団の方を指差していた。
「ほら、話、終わったみたいだよ」
「わ、もうですか?」
真田は本当に話を聞いていなかった。話が終わった事にも気付かず、それを知らされると全力で焦りながら立ち上がっているのがその証拠だ。授業中に寝ていたら指名されて目が覚めたような、そんな感覚に近い。
どこまで説明されたのかも分からず、真っ白な頭を必死に回転させる。みんなの視線が自分の方に向いている事を感じる。取り敢えずなるようになれ、と今度はクッションも何もなく本題を口にするのであった。
「えっとですね……その魔法使いさんが風見駅の裏に出没するんだそうです。僕としてはそれを少し観察してみたいと思ったんですけど……危険じゃないですか? なので取り敢えず話し合おうと思ったワケです」




