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画面の向こうではワンナウト三塁、野手がマウンドに集まり話している。今にも点が入ろうとする正念場。打席には二打数二安打二盗塁の七番打者。今日は当たっているが、正確なバント技術がチーム全体の武器の一つだ。この場面はスクイズの可能性も高い。本塁はタッチプレイ、クロスプレイとなると併殺は難しいかもしれないが、せめて本塁は死守したい。
などと、素人考えではあるもののやたら真剣に考えながらテレビを観ている真田(部外者)の対面で退屈そうにコップをしげしげと眺める宮村。単に野球にそれほど興味がないというよりも、元サッカー少年としては身体能力的に真っ当にスポーツに参加する事ができなくなったのが不満であまり見ていたくないのだろう。体育の時間も明らかに手を抜いている。同じ理由で部活を辞めた日下の事もあり、まったく融通の利かぬ迷惑な腕輪である。
そんな対照的な熱量の二人だったが、ここでふと、宮村がまるで話題の切り出し方を思い付いたとばかりに極めて唐突に口を開く。
「そういやさ、お前の家ってアレ? 仏教?」
「まさか宗教の話題が戻ってくるとは」
よもや何かの前フリだったのかとも考えたが、大方そんな事はないのだろう。完全に行き当たりばったりで会話をする男だ。言いにくい事でも頑張って言う、これに関してはジャブなど打たずストレートばかり。
つまり、普通に過ごしていればする機会などほぼ訪れない宗教の話題が繰り返されたのは見事なまでの偶然という事だ。この男は世界を味方に付ける運を持っているのかもしれない。
「や、まあまあ。話聞いてて思ったんだけど、お前って盆に実家帰ったりするのかなーって」
「まあ、個人的には無宗教ですけど家はそうですね……帰るつもりですよ。一緒に三回忌もやりますし」
「は? 何が?」
絵に描いたようなキョトン顔。三回忌などという言葉が急に出てきたので意味を理解しかねているのだろう。その気持ちは分からないでもない。そう日常茶飯事に出てくるような言葉でもない。
それほどまでに分かりやすい表情をされれば流石の真田でも容易にその心情を察する事ができる。いくらなんでも言葉が足りなかったかと、こめかみの辺りをポリポリ掻きながら平然と説明を続けた。
「あー、両親です。中三の時に死んじゃって」
「え、あ……そっか。その、すまん」
何とも表現のしがたい、驚いたような冷静さを保とうとするような微妙な表情を浮かべる宮村。しかしその目は見ていて悲しくなるほどに泳ぎまくっている。確かに急にされても困る話だろうと考える真田であったが、宮村の考えはまた少し違う。と言うよりも、宮村が考えていた事は極めて普通の事だ。「辛い事を話させてしまった」と、そう思って当然の事。
それを理解できないのが真田の未熟な点だ。何故謝られたのかも、彼はあまり分かっていない。
「べっつに謝るようなこたぁないんですけど。んで、まあ伯父に引き取られまして、伯父が何も知らないのを良い事に高校から環境変えたいと思って何とか言い包めて県外への進学と一人暮らしの権利をもぎ取ったワケです。綿密な台本と質疑応答マニュアルまで作って……人生で一番頑張ったんですけど、結局環境変えてもあんまり変わらなかったですねー、ははは」
「そんな軽いノリで言われるとむしろリアクションに困るんだよ……」
「んな事を言われてもこっちだって困りますよ。深刻な演技しろって事ですか?」
当然ながら、そんな話ではない。空気を読んで話をほどほどで収めれば良いものを、やたらと饒舌に口を動かし始めた。話したくて仕方がないといったような様子だ。
人と話ができるようになった真田だが、自分に話したい事がある時には止まらない。悪い方向へと変化しつつある。それでは話をしていても相手に引かれてしまう。今回の場合は内容が内容だけに特にだ。話す必要の無い事までペラペラと話して、これは決して良い傾向ではない。
とは言え、そんな彼の相手をするのは宮村もすっかり慣れたものだ。真田の特徴として尊重し、受け流す寛容さを持っている。一度はツッコミを入れたものの、これ以上は踏み込むまいとしながら急に話題を変えるのもおかしいとお茶を濁す。
「しっかし、まあ……アレだ、お前って大変なんだなぁ」
「大変なのはどこだって同じですよ。宮村家だって大変でしょう?」
このような言い方をすれば真田は同意する事なく引き下がるであろうという事を宮村は把握していた。見事なまでの舵取りである。
まあ大変などとは言ったが、真田の言う通り、大変なのは宮村の方も同じだ。別に彼の弟が完治して退院した訳ではない。どうやら少々改善されたらしいが、殊更に懐が豊かという訳でもない。こうして仲良さげに話し合える相手ができた事で精神面で色々と救われてはいるのだが、状況それ自体はかつて必死になって真田と戦った時とほとんど変わっていないのだ。
「そりゃまあ、大変だけど……って、そうだ! お前、全っ然! 散策参加しねぇじゃねぇか!」
「あー……ははは……」
テーブルに手をついて立ち上がる宮村に対し、真田は困ったように笑うしかなかった。あまり進みたくない方向に自ら話題を動かしてしまったようだ。
彼は索敵、夜の散策にここしばらく参加していなかった。夏休みに入ってからは、こうして宮村と顔を合わせるのは一週間以上経過していて初めての事。
「まあ良いじゃないですか。夏休みに入ったんだからちょっとゆっくりしましょうよ」
笑ってこの話題を流そうとする真田であったが、相手はそれを許さない。理由は簡単、ゆっくりしている暇など存在しない。いや、存在していてほしくないのだ。ここが真田と宮村、二人の感覚の違い。
多くの事情で早く戦いを終わらせたい宮村。しかし、真田の考えは正反対。彼はできるだけ長く状況に身を置いていたい、そうして腕輪に付き合っていれば、多くの自分を変えてしまうような出来事に出合えると考えている。
「お前はそれで良いかもしれないけどさぁ、こっちは一刻も早く敵をぶっ潰したいワケだよ」
「…………」
「一人で一昨日の夜歩いてたんだよ。そしたら敵に遭ってさぁ。一人で戦って、マジ大変だった。もちろん? 俺にかかればそんじょそこらの魔法使いなんざちょちょいとぶっ殺して――」
「宮村君」
「うん?」
お茶を飲みながら話を聞いていようとした真田であったが、話の途中で思わず口を挟んだ。彼の指は苛立っているようにテーブルをタンタンと一定のリズムで叩いている。考えてみれば話題がどうも色々な方向へ転がってしまっている。そもそも早く帰ってほしかったのに、こんなに話し込んでどうするというのだ。
「ところで今日は何しに来たんです? 別に僕がお盆に帰るかどうか確かめに来たワケじゃないでしょう?」
「えっ」
良いからさっさと本題に入れ。そんな気持ちを込めた問い掛けだったのだが、それを受けた側は不思議なほど何を言っているんだと言わんばかりの表情でこちらを見詰め返している。どうしてそんな顔ができるのか。よもや、まさかなどといった言葉が頭の中を駆け巡る。
「……え、それだけですか」
「や、なんつーか……しばらく会ってなかったから死んでねぇかなって」
あっけらかんと返してくる宮村と、その返答に両手で顔を覆う真田。本当にそれだけの用件だったとは。正確に言えばその用件すら後付けで思い付いたものである可能性が高い。つまり、この男は「ちょっと会いに来たよー」などとほざいておられるのである。それを最初に聞かず、みすみす侵入を許してしまった真田の方にも非はあるのだが。そして人を家に入れた事を非とする所も問題なのだが。
顔を覆った手の指の隙間から、呆れの色を滲ませたくぐもった声が漏れる。
「普通に電話するとかって発想はないんですか……」
「せっかくだから遊びに行きたいじゃん? 一人暮らしの友達の家なんてもう秘密基地だぜ?」
「人が堂々と生活してる所を秘密の基地にしないでいただきたい」
「はっはっは、まあ良いだろ? たまにはこうして友達と遊べって」
かんらかんらと高らかに笑いながら自らの行為を(結構真っ当な正論で)正当化しているのと対照的に真田はジメッと淀んだ目。内向的とは拗らせるとこうなるものなのか。孤独主義者がせめて聖域を守ろうと主張する。
「遊ぶなら渋々外に出ますよ。人を家にまで入れたくないんです」
「同棲しといて何を今さら……」
これはもう図星としか言いようがない。こうなったら真田に反論の余地など残っちゃいない。実際に他人を、それも異性を少しの間この聖域に住まわせていたのだから。今さら家に人を入れたくないなどお笑いだ。
こうして図星を突かれてしまった人間の次の行動は実に分かりやすい。そう、論理もへったくれもない理不尽な逆ギレである。
「うっさいですよ! ほら、早く帰る! 僕はこれから試合の終盤を観るので忙しいんです!」
「テレビで野球観るからって追い返し方がどこにあんだ……って、押すな馬鹿!」
とにかく強引にでも追い出したい真田は宮村の腕を掴んで引っ張って椅子から立ち上がらせる。今の腕力ならば人一人を無理矢理に動かす事など容易い事だ。そしてそのまま、グイグイと玄関に向かって押す。こうなると相手も少しは抵抗するのだが、偉いもので下手に抵抗に力を入れ過ぎると大変な事になってしまうという事は理解できているようだ。その気になればどうとでもなるはずの真田に押し込まれ続けている。
そんなこんなで玄関まで辿り着くと、素早く扉を開けて大きな体を部屋から追い出す。出された瞬間には不満そうな顔をしていたが、すぐに気を取り直して「じゃーなー」と手を振っていた。ここで素直に引き下がる辺り、本当の本当に用事など何もないようだった。
扉を閉める直前に少しだけ手を振り返して、鍵まで閉める。ドアスコープを覗いてみると、宮村が大きく伸びをしてから、そのまま普通に立ち去って視界から消えて行くのが分かった。
「ふぅ……」
閉じた扉に背を預け、深く息を吐き出す。こうして話すのも少しだけ久し振りで悪いものではなかったが、それだけでは済まされないほどに感情が動かされ、少々疲れてしまった。
冷静になってみると友人に対する対応としては明らかに悪かっただろう。宮村自身は別に気にしてはいないだろうが、その厚意に甘え過ぎてはいけない。反省点だ。今から部屋を出て追い掛けて謝る事もできるだろう、電話でもメールでも今すぐ連絡する事はできるだろう。しかし、真田はそれをしなかった。少なくとも今すぐにはしたくなかった。
少しだけ、ほんの少しだけで良いから、心を落ち着かせたかった。話している途中から、自分でも驚くほどに動揺をしてしまっていたから。
話している間は勢いである程度は無視できていたが、こうして一人になってみると、何故だか彼の手は小刻みに震え出すのだった。




