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暁降ちを望む  作者: コウ
祝いの祭の後の事
130/333

 真田 優介は横たわっていた。


 宮村も帰宅し、本当に一人になった。およそ一週間ぶりにベッドに寝転がると、何とも落ち着かない。恐ろしい事に、そこには吉井の気配のようなものが残っていた。まるで自分の家ではないような違和感。しかし、それは違和感ではあるが嫌悪感ではない。不思議と、自分以外の存在の痕跡が残っている事に安堵感を覚えている自分がいる。何故だか広く感じる部屋。小さな声で喋るテレビは決してそのスペースを埋めてはくれない。だが、ちょっとした香りや物の配置、そのようなものが容易にスペースを埋めている。


 もう寝てしまおうと目を閉じ、枕の下に両手を入れる。それ自体は普通の行為だが、ふと、指先に何かが触れた。


「ん……」


 枕の下に何かがある。そう思って取り出してみると、それはどこかで見覚えのある、そしてこんな所にあるはずのない物だった。


 それは指輪。そう派手なデザインではなく、そして妙に小さい。そう、ピンキーリング。外す事のできない腕輪以外にアクセサリーなど持っていない真田の物であるはずがない。決まっている、彼女・・の物だ。


 外れたのか、外したのか。忘れたのか、置いて行ったのか。彼女の考えは分からない。ただ、それがこの場にある事が全て。天井に向けてかざすと、テレビの光が反射してキラリと光る。


 その指輪を見ていると短くて、大変で、疲れて、胃が痛くて、騒がしくて、楽しくて、寂しくなかった日々の事が思い出される。


 どれだけ指輪を見ていただろう。時間の感覚はもうない。ただ、長い時間が経った事を教えてくれたのはテレビだった。セットされていたタイマーによって電源が落ちる。

 明かりがなくなって真っ暗。指輪に反射する光もなくなった。微かに聞こえていた音もない。彼は完全に一人だった。寝息も身動ぎする音も聞こえない。


「……おー、静かだ」


 いなくなってせいせいしている。けれど何かが物足りない。その相反するような気持ちを全て「静かだ」と一言に込めて、彼は目を閉じて眠った。小さな指輪を握り締めたまま。

 こうして、安らぎの我が家が胃を蝕む生活は終わる。



 月曜日。憂鬱だと言うが、真田にとっては憂鬱だなんて言葉では済まない。特にこうして一人暮らしを始めてしまうと、このまま眠り続けて休みたい、そしてそのまま引きこもりたいと何度思った事だろう。頑張って学校に行っても楽しい事が待っている訳でもない。驚きもなければ関心もない。本当になんのために通っているのか分かったものではない。

 しかしこの日、彼には少しだけ関心を持つ事がある。朝、いつも通り少し早めにアパートを出た彼は無事に学校へと到着した。二階に上がり、教室の後ろの扉を開けて、すぐそこにある自分の席に滑り込むように着席する。


 ふぅと息をついて顔を上げ、チラと教室内を見渡してみると彼女はいた。以前言っていた美学通りマスクを着けず、着けずとも問題のない綺麗な顔で、事もあろうに真田の方を見て満面の笑顔で手を振っている。それに気付いた瞬間、真田は多くの視線を感じた。それはクラス中から向けられているもの。吉井はいわば問題児だ。怒られても無関心。クラスで浮いていて、ツンと澄まして誰かと仲良くしている姿を見せた事がない。そんな彼女が笑顔で真田に、あの真田に手を振っている。


 顔が引きつるのを感じる。視線を外せば既に着席していた宮村がニヤニヤ笑っている。その横にはレージとショーゴの二人、もちろん興味深そうに此方を見ている。救いの手はない。完全なる針のむしろ。

その中で一本だけ、やたらと尖った大きな針がある。基本的には興味で構築されていた視線の中で一人だけ、雪野だけが敵意に満ち満ちた視線を向けているのだ。こうして吉井が無事に登校するようになっても、彼女が真田を信用しない事は変わらない。辛い。辛すぎる。



 真田 優介は台風の目だ。不良・宮村 暁の友達で、問題児・吉井 香澄に気に入られた。そして優等生・雪野 奏美には目の敵とされている。

 決して波風を立てない彼の人生。それは完全に終わりを迎えてしまった。今はもうクラス中から奇異の目で見られてしまっている。


 彼は、自分の考えの甘さを呪う。胃を蝕む生活は終わった訳ではないのだ。この教室の中に場所を変えて、彼の胃は再び蝕まれ始める。

 机の上に視線を落とし、溜息を一つ。あらゆる方向に変わってきた自らの人生に思いを馳せつつ、彼は肉体からの離脱を試みるのであった。

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