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放課後を迎えて賑わう教室を尻目に荷物を纏め、渋々と隣の空き教室へ。安本は一度職員室へ戻っているのだろう、誰もいない空間で溜め息を一つ吐き出した真田は鞄を置いて整然と並べられている机達の中から窓際の列の前から二つを向かい合わせる。これを面談に使う。セッティングを終えて少し待ったところで、ようやく安本は現れた。
「おう、悪いな待たせて。おっと、準備もしといてくれたのか? いやぁ、お前は気が利く奴だなぁ」
礼を言いながら安本は片方の席に座った。職員室から持って来たのだろう、進路指導に関係あると思われるファイルを机の上に置いてもう一方の席を指し示す。座れと言う事なのだろう。座ってしまったら逃げられない、正確には逃げる事など最初からできないのだが、少しばかり躊躇した後に腹を決めてゆっくりと腰を下ろした。
「んじゃ、進路指導を始めるぞ」
「は、はい……よ、よよ、よろしくお願いします」
「えーっと? 早速だけどお前、将来の夢とかあるか?」
「あ、い、いえ……まだ特には……」
前置きもそこそこに最初にぶつけられた質問に対してオドオドと答える。苦手な人物と会話しているからだけではなく、真田はそもそも普段は誰に対してもこのような喋り方になってしまう。早口になってしまう癖があるため相手が聞き取りやすいように意識して少しゆっくりと話し、きちんと声を出せるように一音だけ最初に発するのだ。もっとも、どんな言葉を返せば失礼が無いのかと考え過ぎるためにスッと言葉が出て来なくなると言う理由もあるが。
そんな答えを聞いた安本は唸り声を発しながらファイルをめくって続けた。
「じゃあとりあえず大学行って就職って感じか……うちの学校、三年のクラス分けって決まってるだろ? 理系特進クラス一個、文理合同クラス二個、私立文系クラス一個。お前は文系だよな。どうするつもりで考えてる?」
「あ……一応、どこかの私立で……」
「四組か……お前さ、現代文と古典の成績良いだろ? これでもうちょっと英語と日本史とか世界史とか公民とか生物とかの成績上げて国公立をどっか目指す気は無いか?」
「あー、その、それが良いんだと思いますけど……でも、一応希望は四組って事で……」
「そうか……あい、わかった。でも気持ちを低く持つんじゃないぞ。勉強しないで良い訳じゃないからな? それで、成績が上がってきたら国公立も視野に入れる事。で、三年になったらすぐ具体的に志望校なんかも詰めていくから今から情報も入れとけ」
「はい……」
短い返事をするだけだと最初に音を発する事無く喋ったせいか、若干掠れた声で返してしまう。そんな真田の様子を話を終えたらしい安本はジッと見つめ、そして再び口を開いた時に始まった話は何故か、進路とは少しも関係の無いものだった。
「お前さ……なんかこう、言っちゃうけど暗いな、なんか」
「え……」
心からの衝撃だった。もちろん真田自身にも暗い自覚はあったし、だからこそ変わりたいと思っているのだが、まさかそれを面と向かって、それも教師から言われてしまうとは思いもよらなかったのだ。あまりの衝撃に目を白黒させる真田に向かって安本は続ける。
「俺、去年もお前の担任してたけどさ、仲の良い友達とかちゃんといるか? 高校時代の友達ってのは一生もんだぞ?」
「えっと、その……はい」
「その感じだよ。そりゃあさ、教師的にこういう事を言っちゃ駄目なんだろうってのはわかってるけどさ、なんかこう、やっぱ暗いんだよ。なんつーの? 6等星! って感じ」
「ろ、ろく……?」
他人に性格の事を指摘されると言う地獄のような時間の最中に相手の口から聞こえてきた言葉はあまり聞き慣れないものだった。聞き流して適当に「はい」と返事をしていればすぐに話が終わる事は経験でわかるが思わず聞き返してしまう。
「俺ってさ、山岳部の顧問やってるんだよ。それで天体とかにもちょっと興味持ち始めて調べたんだ。1等星とか2等星とか、聞いた事あるだろ? 6等星ってのは肉眼で見える一番暗い恒星の明るさなんだぞ?」
「そう、なんですか?」
「そうなんだ。お前、一番明るい星の等級ってなんだと思う?」
「……えっと、1等星、じゃないですか?」
これまでの人生において天体などには欠片ほどの興味も持っていなかった真田にはわかるはずもない質問だった。しかし1等星といった言葉にはこの話をする以前から耳に覚えがあったので答える。もっとも、話の流れからしてこの答えが何となく間違っているのだろうと言う事はわかっていたのだが。
「ざーんねん、違う。1等星ってのは一等明るいって意味じゃないんだ。1等星なんかよりももっと明るい天体、マイナスにまで突入するんだぞ?」
唐突に始まった数学教師からの理科の授業。負の数が出てくるなどと言った意味では数学でもあるのかもしれないが、しかしこの話にもあまり興味は抱けなかった。基本的には家の中にいる事が好きな身、星空を星に注目して見上げた事など片手でも充分事足りる回数しかない。それも宿題などで夜空の観察を強制された時だけだ。
「ま、俺も勉強不足で一番かどうかはよく知らんのだが……とりあえず、知ってる中で一番明るいのは太陽。等級はマイナス26・7等だ。これ、凄くないか?」
正直、ピンとはきていなかった。太陽が明るい事はわかるが、それを数字で表されてもイメージできるはずがない。ただ、6等星とくらべるとおよそ三十二もの隔たりがあるので「まぁ、かなり違うんだろうなー」と言う事だけはわかる。
「俺はさ、お前に太陽になってほしいとまでは言わないよ。でも、夜空で眩しく輝く1等星になってほしいんだ。……俺、今良い感じじゃないか? 熱血教師って感じで」
そう言って歯を見せて笑った安本はやたらと爽やかだった。やはり爽やかや熱血などと言った要素は真田は苦手だ。しかし、決して悪い人間ではないと言う事は再確認する事ができた。二年目と遅くはあるが、今なら少しは彼を好きになれそうだと、そう感じる。
「じゃあ、進路指導はこれで終わり! お前、部活入ってなかっただろ? 気を付けて帰れよ」
「はい、その、わかりました……」
席を立ち、ペコリと一礼してから鞄を手に教室の扉へと向かおうとする真田。しかし、その背中に向かって安本は思い出したとでも言うようにパチンと指を鳴らしてから告げたのだった。
「ああ、そうだ。何でも不審者が出没したらしいから気を付けろよ?」
「ふ、不審者……ですか?」
「おう、何か朝練に来た部活の連中が坊主の男が学校から出てきたとか言っててな?」
「うっ」
真田の頭に浮かんだのはもちろん、グラウンドに放置して帰った坊主頭の魔法使いの姿。予想していないでもなかったが、やはり不審者として判断されてしまったようだった。起きて不審者扱いされるか、寝たままで見付かって浮浪者扱いされるか。どちらがマシだったのかは彼には分からない。
「まあ、お前は心配いらないだろうけど、あんま夜中に出歩いたりするんじゃないぞ。変なのに絡まれても知らんからなー」
「は、はいぃ……ごめんなさい、ごめんなさいぃ……」
その坊主頭の不審者に対してか、それともその不審者との関わりを隠さなければならない事に対してか。真田にはもはやガクガクと頷きながら謝罪を口にする事しかできなかった。