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暁降ちを望む  作者: コウ
祝いの祭の後の事
129/333

 《リヴェール旧杜》。リヴェールには夢見る人などという意味があるらしい。つまり、夢を見る若者に破格値で良い住処を与えようという、貴族の義務感溢れるどこかの好事家が大家の建物なのだ。


 そんなアパートに棲み付いた真田という夢も希望もない生物は、非常に悠々自適に過ごしていた。生活自体はベッドの上だけで完結できるほどであったが、大きな本棚を始めとして色々と置き、自宅狭しと過ごす彼。こうして再びこの部屋に帰り、今夜から再び一人で過ごせる日々を取り戻せると思うと……不思議と、この部屋が広く感じられた。


 扉を開けて中に入る。電気を点けると急に明るくなって視界が閉ざされた。ゆっくりと取り戻される視界、目の前に広がる見慣れたダイニング。

 そこに、手早く荷物を纏めた吉井がやって来た。そもそも急に転がり込む事となった彼女に荷物などほとんどない。今日着ている服は最初に着ていた服と同じ、それ以外の荷物となると携帯、財布、後はせいぜい下着くらいか。そんな数少ない荷物を小さな買い物袋に収めるだけの簡単過ぎる荷造りを終えた彼女は、椅子の背もたれに触れて物憂げに立っている。過ごしたのは短い間でも、彼女なりにここを離れる事に思う所があるのかもしれない。


 そうしてボンヤリと部屋の中を眺める事およそ十秒。彼女が次に見たのは、入り口で立ち尽くしている真田だった。真剣な表情で彼を真田を見詰めた彼女は、そこから視線を下に落とした。口を開くとそこからは、控えめな声での言葉が紡がれる。


「あのさ、優介。私、優介に結構アピールとかしてきたけど……アレ、冗談とかじゃないよ。私ね? 優介だから、優介じゃないとあんなの言ったりやったりしないから。本気、だから」


 その言葉は何と呼べば良いのだろう。まったく分からない。まったく分からないのだが、それはもしかすると、告白なんていう言葉が最も適しているのかもしれない。


 床を見たまま、返される言葉を待つ彼女だったが、それに続く真田の言葉はなかった。沈黙が続く。どのような返事も覚悟していた吉井だったが、何もないとは想定外だったか。恐る恐る視線を上げた。


「…………優介?」

「え? あ、はい。ごめんなさい、何か言いました? ちょっと壁が汚れてるような気がして、気になっちゃって……えと、何でしょう」


 上げた視線の先、そこでは真田が一心不乱に壁の一点を指で擦っていたのだった。

 名前を呼ばれてようやく気付いたのだろうか、吉井の方に顔を向けた彼はキョトンとした様子で首を傾げながら問うた。どうも、聞こえていなかったようだ。


 一世一代と言っても良いような覚悟をしていたはずの言葉が綺麗に受け流されてしまった。毒気を抜かれたように目を見開いていた。そして、ガックリと肩を落としたかと思えば、小さく笑うのだった。


「ふふっ……なぁんでも。じゃあ、私はもう帰るから。それじゃね、また学校で。――お休み!」


 自分の言いたい事を言って、彼女は見送りすら許さないとばかりに急いで玄関へと向かって行った。まさに嵐のようだ。これで吉井 香澄と過ごす日々は終わりを迎えたのだ。



 吉井のいなくなった部屋の中、天井を見上げた後で彼は深く溜息を吐き出す。そこにどのような意味が込められているのかは分からない。ただ、単純に色々な事を終える事ができた喜びだけであるとは言えないだろう事は確かだ。


「ふぅ……」


「なあ、真田」


「おあぁっ! い、いたんですか……気配消さないでくださいよ、と言うか喋ってくださいよ」

「や、何か話付いて行けなかったし。マジっぽい感じで口挟めなかったし……」


 真田に突然声を掛けたのはもちろん宮村。そう、ここまで完全に口を開く事なく気配を遮断していた宮村である。彼の言う通り真剣な話をしていたせいもあるだろうが、ものの見事にその存在を忘れてしまっていた。この男にこれほどまでの隠密行動スキルがあったとは。真田の心臓が痛いほどに暴れ回っている。あまりの驚きに思わず薄笑いが浮かぶほどだ。


「ああ、ビックリした……」

「悪い、悪かったって。でも、聞きたいんだけどさ」

「何です?」


 真田は質問を受け入れる姿勢を示しているが、当の宮村は本当に聞いて良いものかと困っている様子。自分から話を振っておいて何事かと怪訝そうに眉間に皺を寄せる真田に対して、ようやく決心がついたのか、宮村は珍しくも少し遠慮がちに問う。


「さっきのさ、そのー……お前マジで聞こえてなかったのか?」

「超聞こえてましたよ?」

「は?」


 即答である。


「失礼な。僕は耳は悪いですけど、右耳はしっかりバッチリ聞こえるんですよ? 聞こえにくくはなりますけど、あの距離で聞き逃す訳ないじゃないですか」

「え、いや。失礼なって……お前、多分アレ、本当に本気だぜ?」

「それも大体分かってますって」

「はぁっ!?」


 即答するどころか少し怒ってすらいる。まったくもって掴めない。聞こえていないなど大嘘、完璧に把握している。そしてそれを少しも悪びれる事なく言ってのける本格派の悪人がここにいた。これには宮村も唖然である。

 そんな宮村に対して妙な自信を覗かせながら短い言葉を発する真田。


「十七回」

「あ?」

「これまでの人生、僕が告白を受けた回数です」

「え、マジで?」

「その内、十六回が罰ゲームでした」

「うっわ」

「そして、残りの一回は本気で嫌だったんでしょうね、ボロボロ泣き出して罰ゲームにすらなりませんでした」

「うわぁ……」

「その後、何もしていないはずの僕は何故かクラスの女子からその子を泣かしたと嫌われる訳ですね」

「ヤバい、俺が泣きそうだ」


 以上、真田優介の悲しい思い出。本人的には気にしていないつもりなのだが、その記憶力のせいでもあるもののしっかりと回数まで記憶している辺りに何とも言いがたい執念深さが感じられる。彼は間違いなく人格者ではありえない。

 などと、話を聞かされて同情はした宮村であるが、その話が現状とどのような関係があるのかが分からない。気を取り直して問うのだが、それに対して何故か少し自慢げに真田は返す。


「や……で、でも、それがどうしたんだよ」

「つまり、嘘の告白を散々受けてきた僕はですね、その気配みたいなのに敏感になりました。あ、嘘だなって分かります」

「悲しい特技だ……」

「で、さっきのはその気配がなかった……つまり、多分本気なんでしょうねぇ……」


 しみじみと何度か頷いて見せる真田。本気であるか否か、二択ならばどちらかを否定する事ができれば答えは出る。つまり、そういう事だ。どうやら彼は、本気の告白らしきものを受けたらしい。


 当然ではあるが内心、動揺をしていない訳ではない。しかし同時にそれを相手に悟らせるほど顔や態度に出すタイプではない。何より、あまりにこのような状況に慣れていなさすぎるせいでどんな顔で、どんな事を言えば良いのか想像もつかないのだ。恐らく、それは宮村にとって驚くほど冷静な姿に見えた事だろう。


「本気だって分かってんなら何か言ってやっても……え、嫌いなのか?」

「嫌いなワケないじゃないですか。凄く好きですよ」

「お、おう……そっか」


 これにも真田は即答した。その勢いには思わず後ずさりしてしまうほど。と言うか、あまりにストレートな物言いに精神的な意味でも引いている。「うわー」と言う声が、口からは出ていないが死んだ魚のような目から思い切り聞こえてくるようだ。


「ただ、そういう感じじゃなくてですね、家族としてと言うか何と言うか……恋愛の末の家族とかじゃなくて姉や妹的な感覚で……」


 しかし、真田としても言葉をそのまま受け取られると語弊があると思ったらしい。自分の中の感覚的な話なので言葉で表す事に苦戦しながらも説明する。つまりは好意はあるが恋愛感情はないという、纏めてしまえばそういう話だ。納得できるかどうかはともかくとして、実に分かりやすい話である。


 もっとも、納得できるかどうか……と言うのが一番大切な所。宮村からしてみれば何を言っているんだと思われても無理はない。好きである事に変わりはない、そしてそこに恋愛感情が本当に存在していないのかどうかなど分かるはずもない。

 それでもとりあえず恋愛対象ではないのだとだけ解釈したらしい、難しい表情で首を捻りながらではあるが続けて問う。


「……じゃあ、振ってやったら良かったんじゃね?」

「何言ってるんですか! 僕なんかに振られるんですよ? そんなの、可哀想すぎますよ……人生の汚点です」

「そ、そこまでか……」


 真田の自己評価は低い。ただでさえ低い所に自分が強くなったと思い上がっているのではないかと知らしめられたため、その自己嫌悪もあって評価は底辺よりもさらに下、もはやどうしようもない位置まで下がっている。


 強く主張しておきたいのは、こんな冗談のような真田の発言は一切冗談でも何でもなく、心の底から出ている言葉であるという事だ。心の底から自分に振られる事は人生の汚点だと思っている。何だったら、自分を好きになる事などどうかしているとまで。


「吊り橋効果というものがありまして。何が言いたいかと言うとつまり気の迷いです。だから僕は、吉井さんが我に返るのを静かに待ちたいと思っています。自分から気付いて感情が薄れれば、こんなに平和な事ってありませんよね」

「お前、もし本気で言ってんだとしたら……何かもう、むしろスゲェわ。感心してる」


 宮村はこう言っているが、真田はもちろん本気で言っている。それは彼の真っ直ぐで、かつドロリと濁った目が物語っている。本当に、それで平和だと思い込んでいる。吉井は今でこそ本気だが、その本質はただの気の迷いだと断じて。自分が普通に過ごしていれば好きになるはずがなく、自然と好きではなくなるのだと。その地を這うような自己評価から生まれた根拠のない、後ろ向きな自信だった。


「アレか、お友達でーみたいな」

「いや、それもちょっと……」

「は?」

「僕にはまだ女友達ってワードはハードル高いので、今はまだ知り合いって事にしておきたいような、そんな感じのアレです」

「お前……マジめんどくせぇな!」


 彼は本当に面倒な人間だった。普通の人間を気取っていたはずが、人とふれあって無理矢理に心の扉をこじ開けたらそこには溢れんばかりの闇が詰まっている。人の気持ちを察する事が苦手で、自分本位になりがち。

 こうして得た様々な出会いは、もしかすると自分を真人間に育て上げようとする試練なのかもしれない。後に真田 優介はそう考える事となる。


とりあえず真田の考えも分かったため帰ろうとする宮村だったが、不意に振り向いて思い出したように口を開く。


「ああ、じゃあマリアに惚れられてんのも気付いてんのか」

「はい?」

「……はぁ?」


 いわゆるツンデレ(あるいはそれに準ずるもの)は、実際にされると普通に嫌われているとしか思えない。色々と真面目な話もしてきたが、最終的な結論はこれに尽きた。

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