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「やー、はっはっは。盛り上げたねぇ」
「私的にはあのままカラオケで二次会とかも全然アリだったんだけどなー」
「駄目ですよ、ちゃんと家には帰らないと」
「えぇー……」
暗い夜道に三つの人影。盛り上がる二人と、冷静に水を差す一人。
祝宴を終えた一同はそのまま解散。風見市に住む日下・篁・マリアとは店で別れ、真田の家に荷物がある吉井と鞄を置いてきた(道理で何も持っていないと思った)宮村の三人で帰ろうとしたが、既に電車がなくなってしまったので最寄りの駅まで梶谷に送ってもらった後の事。
思えばクラスメイトの三人、何故か宮村は最初遠慮していた所を鞄がないと不便だろうと強引に連れて来た事でこうして仲の良い友人のように歩く事ができていた。
すっかり遠慮のなくなった宮村と吉井はまるで同窓会でもしているかのようなテンションでほんの数十分前の思い出話に花を咲かせている。もうアパートも近く、周りには民家もある。いい加減、盛り上がり過ぎると近所迷惑になるのではないかと諌めようとしたのだが、それは思っていたよりも効果があったようだ。吉井が少しテンションを落とす。そうなると宮村も一人で騒ぐ事もできずに黙ってしまった。
浮かれた気分にどこかで水は差さなければならなかった。事が終わった以上、彼女は家に帰らないといけない。必ず帰らなければならない現実ならば、早めに気付いて覚悟を決める時間が必要だ。しかし、どうも効果があり過ぎたのかもしれない。
流石に大人しくさせ過ぎたかと思い始める真田であったが、そんな中でポツリと、吉井が再び言葉を発した。
「でも、そっか……私、帰んないといけないんだ……優介の所にいる理由なくなっちゃった」
「心置きなく追い出せます」
しんみりとした空気を打ち消そうとするように冗談めかして言ってみたのだが、それに対して臨んだような反応はない。バシバシと叩いてくるでも唇を尖らせるでも良かったが、彼女は口を閉ざしている。
先程までの騒がしさがまるで嘘のように、静かな時間が流れる。急にこのような空気になってしまった。それも真田がきっかけで。その事が気になって仕方がない真田が反応を待たず声を発した。明るい空気に戻すような軽妙なトークなどできない。だから少しだけ真面目な話。
「――吉井さん。ちゃんと、家に帰ってください。それで、親にちゃんと謝ってください」
「謝らないといけないほど心配してるかな……はは」
返事はあった。それには少しだけ自虐的な色を滲ませた笑い声も混じっている。彼女は親と上手くいっていない。そして、どうも真田の家で暮らすようになってから連絡をしたような素振りもない。つまり彼女はそれで良いと思っている。それくらい上手くいっていないのだろう。
「してますよ。や、してなかったとしても、けじめとして謝っときましょう?」
「……うん」
謝る事はきっと大切だ。本当に心配していないような間柄だったとしても、自分の方から歩み寄れば少しは相手に近付けるはず。そして修復のため相手が歩み寄らねばならない距離も短くなる。
真田は誰とも話さない人間だ。学校では会話もしなければ読書もせず、寝る事もない。その代わり、まったく何もしないその時間で彼はよく考える。本で、ニュースで見た事について。ふと興味を持った事について。《親》というものについても以前に考えた事がある。あくまで自分の考えでしかないが、それでも話してみるのも良いだろう。
「……親って多分、生きてる事が一番大事なんですよ。次にお金の面倒を見る事。どっちか満たしてりゃ上等ですよ、親って名乗れます。吉井さんの親は両方とも満たしてるんですから、立派なもんです」
「そう、なのかな……?」
生きて、金の面倒を見て。それだけで充分だというのは少しドライが過ぎるだろうか。育てる事も、愛を与える事も必要なものとはしていない。彼女の悩みと言えば興味を持ってもらえない事、愛を与えられていない事だ。それを別に悩むような事ではないと言われたようなもの、そう簡単に納得はできないだろう。
とは言え、委ねられても真田の答えは一つしかない。
「知りませんよ、そんなの」
「優介が言ったんでしょー!?」
唐突に梯子を外されたような適当な返事。それには思わず吉井も不満全開で真田の肩を叩いた。少し元気になった……と言うと語弊があるだろうか。強引な刺激によってにわかに活気付けただけで、根本的には何も解決してはいない。
「僕は人の親になった事ないですから。親にならないと分からない大切な事があるかもしれませんねぇ。だとすると、吉井さんが気付いてないだけで意外に自分の事を親失格だと思ってるのかもしれませんね」
「……もう、優介のくせに上手い事纏めてきて、ムカつく」
親の心子知らずなどと言うが、似たような事なのかもしれない。気付けていないだけで何かに悩んでいるのかもしれない。自分が親として失格だと思いながら、改善したいと思いながらもそれを許されない現状との板挟みになっているのかもしれない。
もちろんそれは希望的観測だろう。しかし、その可能性を否定する事などできない。どれだけ可能性が低くても絶対にないとは言い切れず、そこには常に、希望があるのだ。
単純に元気と言うのなら、それは先程よりは落ち着いているだろう。その声にも動作にも、どこにも活気のようなものはない。しかし確かに、彼女の声色には少しだけ笑いのようなものが滲んでいたように真田には感じられた。顔を見なくとも、きっと唇を尖らせているであろう表情が容易に思い浮かぶ。
「ふふん、説得して家から追い出すために作ってきた台本が活きましたね」
「なぁにそれ。でも、今回の事は謝るけど私は向こうから『放っといて悪かった!』って謝るまで仲直りなんかしないからね! で、その寂しさは優介で遊んで紛らわすの」
「お願いだから勘弁してください、いやマジで」
再び冗談っぽく発してみた言葉にはすぐさま反応が返ってくる。何かを言えば何かが返される、会話という当たり前の行為。真田にとっては今まで当たり前ではなく、そしてこの数日の間はいつでも行なわれた行為。
ここにきて少しだけ、現実を受け止めながらも、いつもの空気感に戻った二人だった。




