3
唐突ではあるが、このチームは割とバランスが良い。
近距離から中距離の戦闘をこなす真田、中距離から遠距離の戦闘をこなす宮村と日下。遊撃的な機動が可能なマリア、魔法と知恵で効果的なサポートをこなす梶谷と篁。近接戦闘に特化した人材が、日下を加えたとしても更に他にもいれば申し分はないのだが、これだけでも隙のない布陣だと言えるだろう。
特にマリアは貴重な人材だ。本人がただの幼い少女であるため、他の魔法使いとの地力の差は強化されても埋まらない点、魔法の拡張性が低い点という欠点はある。しかしそれでもそのスピード、あらゆる状況へ自由なタイミングで介入できる光速移動は欠点を補って余りある。
そう、誰よりも速い移動が可能な彼女にかかれば、このような追跡劇に発展させる必要などなかったのだ。他の魔法使いを相手に力比べをすると流石に劣るとはいえ、彼女の腕力も腕輪によって強化されている。逃げる相手を追って服を掴んで引き倒しでもすれば良い。しかし、その方法は選ばなかった。
それ以外にも間違いなくあったはずなのだ、より良い作戦という物が。このようにまだるっこい作戦を使わなくとも、もっとスマートに決める事ができた。
思い付かなかった訳でもない。真田も、梶谷の魔法を行使しての足止めや宮村と日下による同時攻撃、全員で包囲して数で攻める事などは考えていたのだ。だが、彼はその作戦を選ばなかった。ベストな作戦よりもベターな作戦を選んだ。
いや、彼にとってはベターな作戦こそがベストだった。確実に、そして効率的に。それは彼の目的に反している。彼が求めているのは確実に、そして最高効率を求めずに、である。
男が清掃の仕事をする時間が不明であったため、真田は二つのスタート地点を用意した。仕事に行くため家を出た場合は真田が、仕事を終えて家に帰ろうとしていた場合は宮村が。男の顔を知っている二人がそれぞれ二つのスタート地点を初期配置としていた。
宮村側からスタートした場合は宮村が決まったポイントまで追い掛けた後で離脱して、男を取り逃がした場合に使うかもしれない道の警戒。そこから日下に役目を引き継ぎ、他の面子と共に追い掛けた後に同じように離脱。最終的にゴール地点、つまりはもう一つのスタート地点にいる最後の一人に引き渡すという算段。それは驚くほど想定通りの形で成功した。
そして今、真田と男は一対一で相対している。
そう、これは真田が男を確実に殺すための作戦だ。他の誰にも、この役目を渡しはしない。
「やっぱりお前か……っ!」
「どうも。お待ちしてました」
初めに宮村の姿を見た時から、裏で糸を引いている人間が誰なのか勘付いていたのだろう。執拗な追走、このような事をする相手の心当たりと言えば真田くらいのものだ。
真田が光を見た瞬間から、この時の事を覚悟していた。そのために緊張はしているが堂々と声を発する事ができた。男に対する感情の昂ぶりも彼に度胸を与えていたのだろう。その立ち姿からは自信すら見えるほどだ。
そんな様子を不気味に思った男は、すぐさま後ろを向いて逃走しようとした。ここは一本道、道は真田に塞がれた前方と後方の二つしか存在しない。しかし、そんな走り出そうとする背中に向かって、真田がぼそりと声を掛ける。
「――逃げられると良いですね」
「えっ……」
男は上げかけていた足を停止させた。真田の言葉はあまりに不穏過ぎる。恐る恐ると言った様子で真田の方に顔を向けた男は明らかに訝しんでいる。そんな顔を見ながら真田は事も無げに返すのだ。
「いえ、別に。でも今回は逃がしません、絶対に」
「くっ……お前……」
ここで、これまで先回りの待ち伏せを続けた事が活きる。男の後ろには誰もいない、目の前には敵がいる現状、逃げるためには後ろしかありえない。しかし、その後ろには本当に誰もいないのだろうか。
いや、実際問題、後ろには誰もいない。ここで真田が迎え撃ち、他の面々は逃がした時のために他の場所で待機しているのだ。逃がした後はもう相手の行動の予測もできないので人数を使って広範囲を警戒するしかない。
しかし、男はそのような事を知るはずがない。至近距離からの発光によって一時的に視界が閉ざされ、状況の把握ができなくなっていた男にとって今、背後には間違いなく誰かが存在しているのだ。気配を消して、魔力を消して。逃げようとする男の前に躍り出て、真田と二人で挟撃の形にしようとしている。それが二人とも限らない。背後には三人いて、真田の後ろにも二人いるかもしれない。存在しない七人目以降の戦力が、ここに生み出されていた。
男は逃げられない。想像力の許す限り、何人もの敵がこの場に集結しているのだから。そうして覚悟を決めた男の行動は、拳を固く握り締めて構え、真田と向き合う事だった。強引に逃げて戦闘態勢の整っていない状態で襲われるよりも、目の前にいる一人からとにかく戦う事を選んだのだろう。そしてそれは、真田にとって想定通り、思う壺の行動だった。
「戦いますか? それはありがたいですね」
「やってやるよ……やりゃあ良いんだろ!」
男はもはや開き直りの極致だ。体中から魔力を迸らせながら逃げる時同様の全力疾走で接近して、握り締めた左手で思い切り乱暴なパンチを繰り出してくる。
走り始めには予備動作がなく、急激な行動だった。そのスピードも相まって挑発したにもかかわらず真田が虚を突かれる羽目になる。思考が追い付いた時にはもう相手は懐。ゆっくりと動き始める世界、真田の危機感のせいか、思考の加速が相手の腕輪による動作の加速を上回る。それでもなお、男の動作だけが圧倒的に速い。横に薙ぐように振られた腕を軽く膝を曲げてギリギリの回避に成功したものの、先手を打たれてしまった。
(あっぶな……っ! 駄目だ、殴り合いは負ける。距離を取らないと!)
真田は接近戦が可能ではあるが得意ではない。この距離では間違いなく、戦闘能力は相手に劣る。真田が最も得意とする距離は近距離以上・中距離未満。中途半端な距離にいる相手を炎で焼き払う戦闘スタイルは、一度こうして主導権を握られてしまうと実に弱い。何とかリセットして牽制しながら距離を保って戦わなければならない。
そんな状況に盛り返すための方法が一つだけ、真田にはあった。右手に炎を発生させ、人差し指・中指・薬指の三本を親指でホールドして弾く。火の粉を飛ばす、当初の目的とは異なるものの割と使い道のある攻撃だ。
相手の顔面に目掛けて飛んだ火の粉はしかし、男の左腕の一振りでアッサリと散らされてしまった。
「何のっ、つもりだぁ!」
(効かない!? そうか、あんなんじゃ意味ないのか……)
男の体は熱く燃えている。もちろん比喩表現ではあるのだが、事実としてその体温は人間のそれを余裕どころではない騒ぎで超越している。こうして接近して戦っているだけで皮膚が焼けるような灼熱の体だ。
そんな男に火の粉を飛ばしたとして、どうなるだろう。魔法による副作用か、その熱さに当然のように耐えているその体に火の粉が当たっても、求めるような効果は発揮されないだろう。梶谷の魔法に対抗するため編み出した戦法だが、牽制のためにも使う事ができる。それもそのはず、小さくとも火なのだ。当たれば熱いに決まっている。当たれば熱さに怯み、それが予測できるために当たらないように行動させる事ができる。
しかし、この燃えるような熱さに耐える男はその程度の熱さなど意にも介さない。もちろん熱さ自体は感じるだろうが、他の人間に比べたら火と体の温度差が圧倒的に小さい。そして、焼かれ続けるのではなく、火の粉である以上は一瞬だけなのだ。耐えられないはずがない。
魔力は確実に男にダメージを与えるが、それ自体は腕輪の力で回復させる事ができる。真田の火は一度当てれば大ダメージ、怯み効果のオマケ付きで一気に畳み掛ける事が可能だ。だが怯ませる事ができなければ、そもそも戦う事が苦手な真田ではこの接近戦で追撃も離脱もタイミングが見えない。
更に悪い事に、逆に真田は相手の攻撃が掠っただけでも大いに怯まされる事となるのだ。魔法を使えるようになっておよそ二ヶ月、真田の平均体温は徐々に上がり続け、今では四十度を軽く回っている。その分だけ気温との差が生まれ、夏でも涼しさを感じるほどだ。
体温は常人より高い。だが、その程度で赤熱する男の体に触れて耐えられようはずもない。触れればそれはもう、尋常ではなく熱い。炎に包まれている箇所もあるが、熱さに耐えていると言うよりも熱さを他人事のように感じているような感覚だ。焚火の近くにいるような、熱くはあるが平気な状態。炎に包まれた手でこの男に触れると、やはり熱い。焚火に手をかざしていたら横からライターの火を肌に当てられているようなものだ。平気なはずがない。
つまりこの戦いは、真田にとって不利な状況なのだ。




