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暁降ちを望む  作者: コウ
激走の夜
122/333

 真田 優介は緊張していた。


 夏だとしても夜空の下、彼にとってはとても冷える。それだけでも体は硬直するというのに、今は精神的な面でも体は固まっている。それがつまり、緊張だ。

 今、真田の周囲には誰もいない。彼が考えた策に従って、他の面々はそれぞれの持ち場で待機しているのだ。組んでいたり近くに誰かがいたりする事はあるが、残念ながらと言うべきか幸運な事にと言うべきか、真田は完全に一人である。もっとも、少し離れた場所には仲間がいるのだが、気配は感じられない。

 この場は魔力が渦巻いてはいるが、特別に濃いのではない。何とも微妙なものだ。だが、この場が安全であるという保障が存在していない。それが中途半端に緊張を強いてくる。


 緊張はし過ぎないより、ある程度は緊張感を持っていた方が良いとは言うが、いつまで続くのか分からない時間中ずっと緊張感を持っているのはやはり疲れる。真田は少しずつではあるが集中が途切れてくるのを感じていた。例の男を追い込む算段を何度も頭の中で反芻していたのだが、とうとう別の考え事が頭をよぎり始める。


(篁さん、マリアちゃん、店長、と……うわ、怖いなぁ、増えてるよ)


 以前宮村が言っていた。次は人数が八人にまで増えると。その時は何を馬鹿なと思っていたものであったが、気付けば魔法使いの二人に店長、吉井と。本当に魔法云々に関係する人物が四人も増えてしまった。

 ほんの二ヶ月ほど前までは真田一人だったはずが、急激に増え始めて今やこの状況。恐ろしいものである。このまま倍々で増えていくといずれは真田一派で地球を覆い尽くす事となるだろう。それは困る。

 などと。集中力の欠けた頭でボンヤリと考える内容などこの程度の物だ。


(ホント、大所帯だなぁ……みんな、大丈夫だと良いけど)


 末端から冷えるのか、手を擦り合わせながら他の面々の事を考える。それぞれがそれぞれ、きちんと上手くやらねば理想的な結末を迎える事はできない。そもそも今夜、実際に作戦を実行できるのかすら分かったものではない。例の男に出会えなければこのまま朝まで待つか帰るかするしかない。見当を付けたアパートが正しいのかも分からない。


 それでも、やる事と言えば信じて待つだけだ。この作戦、肝心要の先陣を切るのは真田。あるいは宮村。どちらが先陣を切るのか、それはまだ分からない。



 宮村 暁は硬直していた。


 魔力渦巻く茹だるような熱帯夜。肌には嫌な汗がジットリと浮かんでいる。彼は物陰に潜んで、ただひたすらに目の前の特に何も存在していない一点を見詰めていた。壁にあるシミ、それをずっと見ていたら少しずつ動いているようにも感じられる。

 宮村は今、例の風見ビルのすぐ近くにいる。どれほど近いかと言えば、徒歩0秒。手を伸ばせばそこにはビルの壁があるのだ。


 調査ができていないこのビルの周囲は、結果として極めて魔力が濃かった。四人で歩き回った時にも大きな道ではない上にゴチャゴチャとしていて足を踏み入れなかったのだが、まさに同じ事を誰もが思っているのだろう。ここは途轍もなく人通りが少ない。故に、むしろ戦うには好都合な場所なのだ。


 この場に留まり続ける事は宮村を苛み続ける。地獄のような苦しみだろう。しかし、彼は動かない。そう、本当に微動だにしない。事ここに至って、彼はとうとう精神と肉体の分離を会得していたのだ。

 完全に肉体とのリンクを断った彼の精神は一切の魔力を感じていない。あれほど苦戦していたはずが、極限状態に陥って覚醒している。仕掛けは単純。魔力の渦に心が折れそうになった宮村は思考を停止させた。それが分離に繋がったのだ。頭を使う事が得意で、上手くイメージする事も得意とする篁や真田は全力で考え、イメージする事で分離を可能にしていたが、宮村は難しく考えるとできない。


 真田は集中しながら動きを最適化できるような単純作業が得意で没頭できるが、宮村はそれができない。しかし、もっと単純な作業ならむしろ得意なのだ。頭を真っ白にして、最適化も何もない頭がおかしくなりそうなほどの単純作業ならば受けて立つほどである。


 ひたすら一点を見詰めて、どれだけの時間が経っただろう。宮村にそれを知る術はない。正確に時間を刻んだ携帯電話は持っているが、それを手に取る事はできないのだ。何故ならそんな事を考えられないから。夏の暑さも横切る虫も、全てが彼の意識をすり抜けて行く。しかし、そんな中で一つだけ、確かに彼の意識に引っ掛かって現実に引き戻そうとする存在があった。


「!」


 ビクンと、世界が大きく一度揺れ動いた。全身に重く魔力という名の存在が圧し掛かる。宮村の意識は完全に現実世界へと戻っている。その原因は決まっている。開いたビルの扉だ。

 宮村は先程までと同じく微動だにしない状態を続けている。それによって魔力はほとんど発していないはずだ。この魔力の中ならば絶対に気付かれる事はない。


 そう、ビルから出てきた見覚えのある赤いシャツの男にも。


(来た……来た! マジで来た、こっから来た……どうする? どうすんだ! 行くぞ、やれ!)


 男が真っ直ぐに歩いて、ビルから遠ざかろうとしている。作戦は決まっていて、それは宮村もハッキリと覚えている。それでも体は一瞬だけ動きを止めた。あまりの絶好球に手が出ない打者のようだ。

 しかし、それでも動く事ができるのが魔法使い。彼の頭は必死に動いていた。歩き去ろうとする男の背後に立って声を掛けようと。すると、その意志に従って体は自動的に、無理矢理に動き始める。全身から魔力を漂わせながら。


「あ……? 誰だっ!」

「――み、見覚えがないか? なら、思い出させてやっても良いぜ?」


 足音と魔力、それらが背後に誰かが現れたという事を如実に男へと伝えて振り向かせる。それで良い。気付かれずに接近しようなどとは僅かほども考えていないのだから。気付かれる事など前提、そこから男を追い詰め、そして確実に殺す。そのために頭を使ったつもりである。

 とは言えども、本当に姿を現した男の前に立ち、失敗が許されない作戦が始まってしまった事を理解した宮村は一瞬だけ言葉に詰まる。しかし、それも本当に一瞬。腹を決めた時の単純な人間はとても強い。自分の中でスイッチを切り替えたように、完全に作戦を遂行する精神状態になっていた。


「ん……っ、お前は……」

「おっと、思い出してもらえたみたいで嬉しい。さぁて……やるか? 全力で、付き合ってやるよ」


 男にとって、あの夜の事は強く印象に残っているようだ。自ら襲い掛かった末に返り討ちに遭い、そこから必死に逃走した挙句に一般の人間を使って命からがら逃げ延びたのだから。宮村は返り討ちにされた相手の片割れ、男の様子が一気に警戒態勢になったのも無理はない。


 ポキポキと指を鳴らしてから軽く握った拳でファイティングポーズを取って軽快にステップを踏む宮村の姿は、誰が見ても今にも戦闘を行なおうとしていると判断するだろう。もちろん、この男もそう捉える。

 一人だけとは言え限界まで追い詰められた相手。また、使う魔法も超が付くほどの近接タイプである自分には相性の悪い飛び道具。そんな相手に対して奇襲を掛けるのでもなく策を練る事もできず平場で真正面から戦う。そんな状況での勝算はこの男にはなかった。


 睨み合いをしていたかと思えば、一瞬の隙を狙うように男は後ろを向いて全力で走り出す。逃走に躊躇のない、素晴らしい決断力だと言っても良い。


「…………クソがっ!」

「逃がさねぇよ!」


 逃げられる事も想定の範囲内。むしろそれこそが狙い。そうでなかったら互いの魔法も判明している今、早々に先制攻撃を仕掛けてしまった方が良いに決まっている。この場では戦わず、逃げる相手を全力で追い込む。それこそが作戦のメイン。構えを崩して宮村も追い掛けて走り始めた。


(あいつ、マジではえぇ……全力で走らねぇと置いてかれる……それでもっ!)


 男の足は非常に速い。以前は走り去られて見失った後に真田と手分けをして探し、結果として真田が発見して独力で追い掛けていたため速いという印象だけで宮村が実際にそのスピードを体感した時間は短かった。

 しかし、こうして目の当たりにすると想像以上。気を抜けばグングンと距離を離されていってしまう事だろう。腕を振って思い切り走る。そうしてトップスピードを出していれば、ほんの少しずつくらいは距離を詰めていけるだろう。だが、彼は走るフォームを崩した。フワリと軽く握った拳を顔の前に。走りにくくて少しスピードが落ちる。それでも構えたまま、魔力を込めた右の拳を唸らせる。


(チッ、走りながらだと手打ちになっちまうよなぁ……狙ったとこに飛ばねぇ、し!)


 形としては走りながらシャドーボクシングをしているようなものだ。端的に言って、極めてやりにくい。宮村もこの約三週間、個人的にボクシングの本を読んだりしてよりイメージを強くするよう努力していたが、このような状況は想定していなかった。イメージがブレる。背中に当てるつもりで打った腰の入らないパンチから放たれた風弾は、イメージ通りに当たる事なくアスファルトに吸い込まれるように向かって行った。


 背後で動きがあった事で男は少し動揺しているが、それ以上に無理にパンチを打った宮村の方がスピードを落としていた。二人の間の距離が広がる。その距離を宮村が再び腕を振って全力疾走する事で何とか少しだけ詰め、またもやスピードを落としながらパンチを放つが、やはり当たらない。

 ろくに当たりもしないパンチ、当たったとしても威力は望めそうにない。そんな放っても無駄と言えなくもないパンチをそれでも、スピードを落としながら放つ。無意味な行為、しかし、作戦の一部。追われているのだと印象付けさせ、プレッシャーを与え続けるための。




 時は数刻前。カフェでの作戦会議中。宮村によって強引に前に出された真田が説明した内容の一部。


「宮村君のパンチの射程はザックリ二十メートルくらいですよね?」

「まあ……うん、そんなとこか」


 自らの射程範囲を感覚的に捉えていた宮村は首を傾げるが、頭の中で思い浮かべてみると何となくその程度だろうと頷く。真田は実際に相対して認識しているので分かっている。フォームを変えた事でその射程に変動がなかっただろうかと質問をしてみたのだが、本人がそれを把握していないのだから変わってはいないのだろう。


 直線で二十メートル、手を伸ばすには遠すぎる距離だが、走るには短い。一気に詰める事はできるが、逆を返せば相手が速ければ一気にそれだけ離される事もある。


 しかし真田は、机上の空論と言うべきか信頼と言うべきか悩む所ではあるが、さも当然のように宮村に注文を出すのだ。


「じゃあ宮村君側から始まった場合、全力で相手を射程内に収め続けて下さい。で、走りながら当たらなくても良いからパンチ打ち続けてもらいます」

「当てなくて大丈夫なのか?」

「はい、牽制ができれば充分です。なので……全力で(・・・)、走ってもらえると助かります」


 男の足の速さも走りながらパンチを打つ事の難しさも正確にイメージできていない宮村は当てなくても良いという条件を破格と見て安請け合いする。逆に真田は、少なくとも相手の速さに関してはイメージできるので簡単な仕事にはならないと分かった上で、念を押すように言った。その口元は、しめしめとばかりに僅かに歪んでいる。




(ったく……気持ちいいパンチも打てねぇし、当たらねぇし、パンチ打ったらこっちのスピード落ちるし……)


 真っ直ぐに走り始めて迎えた最初の分かれ道。正面と左右、三つの選択肢が存在していたが、男は悩む素振りも見せずに左に曲がった。その直前に放たれた風弾はそのままだったら初めて当たりそうだったのだが、男が直角に曲がった事で的が消えて真っ直ぐ飛び続け、やがて消える。

 当てなくても良い。それ自体は確かに楽な事である。しかし思うように飛ばないとなると当てていないと言うより当たらないといった感覚。フラストレーションも溜まりっぱなし。イライラしてくる感情を拳に乗せて放ったパンチもやはり明後日の方向だ。


 再び分かれ道、今度は左右の二方向。それを男が右へ曲がった、その直後の事だった。パンパンパンと三度乾いた音が響いたかと思えば、それと同時に同じく三度、どこかから眩しい光が明滅した。いつしか慣れ切って平然と過ごしているとは言っても暗闇の中、その光は予測していなかった男にとっては衝撃に等しい。


「くっ……何だこりゃ!」


 走りながら驚いて光源を探そうと周囲を見渡す男、それとは対照的に宮村は落ち着いていた。先程までの苛立ちもない。何故ならば、作戦が動いているのだと改めて認識したからである。


(光った! よし、こっからが勝負だぜ!)


 あの光も作戦の一部、それが発動したという事は、自分は役割を果たせている。その事が彼に冷静さを取り戻させた。自らを作戦の歯車として、プライドをかなぐり捨てて当たりもしないパンチを放つのだった。

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