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「はーい、アテンション!」
一通りの自己紹介が終わったタイミングで篁が手を叩く。それを受けて思わずそちらの方を素直に見てしまうのは日本人の国民性もあるのだろうか。少なくとも真田には敢えて無視するような反抗心は存在していなかった。割と真面目な面々が揃っているこのチーム、宮村も含め全員が素直に見ていた。少し反抗的なマリアも相手が篁だからか従っている。従っていないのは落ち込み気味に俯いてグラスを磨いている店長だけだ。
「さて、みんなには朝にメールを送ったはずだけど……掲示板は確認したね?」
「してねぇッス」
「何で!?」
宮村による即答。朝にメールを送り、まだ少し明るいとはいえすっかり夜の時間だ。それだけの時間があって確認していないと即答されればそれはショックかもしれない。別に無視をしている訳ではない事を強調しておきたい。
「いや、その、僕はちょっとバタバタしてまして……」
「俺パソコン持ってねぇし、ガラケーだと崩れて見にくいし」
「すみません、パソコンは使い方がサッパリで」
「少々忙しくてね、申し訳ない」
「全員!?」
真田は確認しておらず、宮村もどうやら確認はしていなかったようだが、まさかの他二人も確認してなどいなかった。気丈な篁も流石に少し涙目だ。繰り返し記述するが、無視をしていたのではない。真田は帰宅後に必死にもてなしの準備をしていたのだ。宮村も、日下もそして梶谷も、それぞれに事情がある。事情が重なるというのはたまにある事だ。まるで示し合わせたように偶然、事情と言うのは重なってくるものである。仕方がない。
両手で頭を抱えてゆっくり首を左右に振った彼女は、まだ落ち込んでいる店長に声を掛ける。
「ああ、もう……何かしら、この無駄な時間……てんちょー、パソコン!」
「だからアンタ、タブレット持ってんだからそれで見せりゃ良いでしょうが!」
マジギレである。落ち込んでいて感情の制御がきかなくなっている。こうは言いながらもグラスを置いて奥からパソコンを、しかもブラウザを起動して例の掲示板のページまで開いた状態で持って来るのだから徹底的に善人だ。
そんな優しさの塊であるパソコンを受け取って、真田達の方に画面を向ける。そこには『情報交換スレ8』と題されたスレッドの書き込みが表示されていた。
「これを見て」
「疾風のヤス……犯人ですか?」
デフォルトネームらしい『名無しの魔法使い』の中で一つだけ、名前欄に入力してある書き込みが存在している。疾風と言うからには風属性だろうか。大胆不敵な話である。
もっとも、この時の真田はそのような事よりもその名前を見てふと頭に浮かんだ事をそのまま口にしていた。何とも言えず犯人の感がある名前ではないか。犯人が誰であるのかと楽しませる創作物において、これほど有名な犯人もなかなか存在しないだろう。犯人が最初の段階で分かった状態からスタートする、どこかの警部補なんかに近しい物を感じる。
「信頼性の高い情報源よ。まあ、いつものコテハンってヤツね」
「情報集めるヤスとか、ほぼ犯人じゃないですか」
「お前、何の話してんだ?」
「衝撃のジェネレーションギャップですよ」
割と有名だと思っていたが、宮村にはそれが通じなかった。これに関して真田はもう驚くしかない。まさかもはや古いのか。だとしても真田と宮村はせいぜい一つしか歳が変わらないはずである。真田の表情はほとんど動いていないが、かなりショックを受けている。漫画だったら描き文字で『ガーン』と表現されている事だろう。ワナワナ小刻みに震える拳に触れつつ流れを強引に元に戻したのはやはり、唯一と言って良い常識人である日下だ。
「ま、まあまあ。とにかく読みましょう、ね?」
空いている方の手でパソコンを指差すと、全員が改めてそちらに注目する。彼はなんて必要な人材なのだろう。
例の犯人風の名前の誰か昨夜書き込みをしていた。以下、その内容である。
『多分、その赤い男っぽいのは風見ビルで夜中に清掃してる奴だと思う。そいつなら前に見掛けて軽く追ってみた事があるから家も把握済み。ビルから徒歩二十分くらいの安いアパートに住んでた』
以上。前に見掛けて軽く追ってみたの意味が分からないと言うか少々怖い。どのような生活をしているのだろう。そして、それと同じくらい強く、全員が同じ事を考えていた。
「何とまあ、ありがたい……至れり尽くせりですね」
欲しい情報が一気に片っ端から手に入ってしまった。勤務先から住んでいる場所の情報まで。これほどまでに早く、これほどまでにピンポイントに必要な事ばかりを教えてもらえるとは。この人物、なかなかどうして便利で助かる。こちらの目的を察しての事なのだろうが。
「これって、アイツの家まで特定できるかもって事だよな? 働いてる場所と家と、両方分かったんなら……」
「はい、そのルートを押さえれば間違いなく見付かります」
先日この辺りを歩き回ったのも、あの男の住む家を探しての事だった。もっともそれは、あの男を発見する事が前提であり、いつでも戦闘を仕掛ける事ができるようにという目的であったのだが。
しかし今回は違う。あの男は未だにその姿を見せてはいない。そんな状態ではあるが勤務先と一緒に判明しようとしている。その二点が分かったのならば、あの男の基本の行動ルートはその二点を結ぶ道なのだ。家しか知らなければどのように行動するのかも分からないが、今ならば日々の行動の予測がしやすい。
夜中にビルの清掃をしているという事は、最も戦闘を行ないやすい時間帯に家、あるいは仕事先であるビルを出てもう一方に向かうのだ。戦うにあたって、実に作戦が立てやすい。立てやすいのだが、それにはまだ足りない。今はまだ一向聴。
真田がそのように考えている事を読んでいたかのように、篁はパソコンをカウンターに移動させてから賑やかな声を発した。
「そゆこと。そしてぇ? はい、マリア! じゃじゃーん!」
「はいはい、じゃじゃーん」
篁に乗っかってはいるものの明らかにやる気のない声で追従しながら、マリアはカウンターの上に置いてあった畳まれていた何かを取ってスッキリとスペースの空いたテーブルに広げる。それは見覚えがないようで、同時に何となく既視感があるような不思議な感覚。
「おや、地図だね。これは……風見のか」
「はい、その通りです。これを使って、まずはその男の家から特定しようかと思います。さあ、作戦会議だよ! 元気に行こう!」
場を仕切って篁が手を叩くと、全員で丸いテーブルを囲んだ。それほどテーブルも大きくはないので全員で一列になって囲む事はできていないが。
なかなか大きくてテーブルには収まりきっていない風見市の地図は実に入り組んでいる。ここからノーヒントで何かを考えなければならないとなると頭が痛くなりそうなほどだ。そんな地図を真上から見て、宮村は首を捻った。
「風見ビルってどこだっけ、駅近じゃないよな」
「ああ、そのビルならこの辺りだよ。ちょっと辺鄙かもね」
篁が指差したポイントには確かに風見ビルの表記が存在していた。そこは歩いて探索した際にも近くを通ってはいたが、少々細い道に入る上に魔力が渦巻いていて足を踏み入れなかった場所である。一度足を運んだ事のある場所であるがビルの存在を知らなかった宮村には見付けるのが難しかったかもしれない。
「ここから徒歩二十分……一・六キロか。一・五から二キロ程度を目安に考えておこう」
「二キロ……あ、俺、文房具出します。じゃあこの縮尺だと……っと、この線の間ですね」
学校帰りの格好でここまでやって来ていた日下が、床に置いていた鞄の中からナイロン製でライトグリーンの筆入れを、そしてその中からシャープペンシルを取り出す。隅に書かれていた数字から頭の中で計算し、目算でビルを中心に二キロとなる場所に点を打った。ちょうど、それらを結ぶと『米』という字になりそうな八つの点。それらを結んで円を書く。
そして、続いて同じように一・五キロの場所に点を打って円を書いた。二つの円が二重丸を描いている。この二つの同心円の間、ドーナツ状のスペース。ここに探すべきアパートが存在している可能性が高い。
そんな書き込みの加わった地図をボーっと見ていたマリアが問い掛ける。
「ねーえ、この地図アパートとか書いてないわよー?」
施設などの名前は記載されていたが、この地図にはアパートなどは記載されていないようだ。建物である事は分かるがただそれだけ。情報は特にない。
「ホントだねー。さえちゃんすっごーい、よく気付いたねぇ」
「それで呼ぶの止めてってば! マリアはマリアよ!」
あからさまに子供扱い(実際その通りなのだが)した吉井にマリアが噛み付いていた。この二人は精神的な年齢がなかなかどうして近しい。仲良くなった訳ではないのだろうが、とりあえず傍から見ている分には楽しそうな二人を微笑ましく見守る一同。放置しておいても問題はなさそうである。
「まっ、あの二人は放っておいて。まずは風見ビルから二キロ圏内にある集合住宅から調べましょっか」
篁が音頭を取って話を前進させようとしたが、それよりも先に梶谷は動いていた。自らの携帯電話で話している内容について調べている。地図アプリを用いて風見ビルから二キロの範囲にある集合住宅を。
「……十件あったね。いや、別棟を合わせて考えると八件か。そこからさらに、範囲内で考えると……三件」
「うっへ、絞り切れなかったか……」
宮村が顔をしかめる。これで一軒だけに絞る事ができたのならばそれで決まりだったのだが、そう簡単には済まないようだ。この残り三軒の中から当たりを見分けなければならなくなったのだが、ここからはどうにもヒントに欠ける。
三軒にまで絞る事ができただけで上出来として後はなるようになるだろう、そう宮村は口にしようとした。いや、ほぼ全員がそのような事を考えつつあった。しかし、そこで一人が口を開く。その人物はいつの間にかカウンターの席に座っていて、先程避難させたパソコンのキーボードに指を置いている。
「あー、梶谷さん? ちょっと、良いですか?」
「ん、ええ。どうしましたか?」
話し掛けられた梶谷が丁寧語で返す相手。この中で唯一の社会人として接している相手。つまりは店長、木戸 典子である。彼女は話し合っているこちらに背を向けたままで話を続けた。
「その三軒、名前教えてもらえます? 字も」
「――なるほど。まずは風が鳴くと書いて《風鳴荘》。次に、全部カタカナで《メゾン・ド・カワカミ》。最後が《アーバンコート風見》。風見は漢字で」
「はい、はい……お、良いねぇ」
彼女の言葉から何をしようとしているのか察したらしい、小さく頷いて言われた通り字まで丁寧に答える。なんともアパート然とした名前ではないか。その名前それ自体にヒントとなるような要素は存在していない。店長はただ、その名前を聞きながらカタカタと途切れさせない素早いタイピング音を響かせて嬉しそうな声を発した。
「んー? 店長、どうしたんスか?」
「風鳴荘、三・六万円。アーバンコート、四・二万円。最後にカワカミ、なんと一・五万円」
「あら、家賃?」
彼女はアパートの名前を聞いて、それを使って検索をかけていたのだ。そうして、その三軒のアパートの大体の家賃を調べ上げた。するとどうだろう。それぞれ平等に横一列に並んで目立つ者はいなかったが、今は一軒だけ明らかに他の二軒とは違う、大きな特徴が見えてしまっている。
クルリ、こちらに体を向け直した彼女の表情は「やってやった」と言わんばかりに嬉しさが溢れていた。
「プライバシー保護を考えて住所は書かなかったんだろうけど、安アパートだなんてわざわざ書いたのはヒントなんじゃないかと思ったのよ。大方、こっちが何のために質問したのかは分かってるだろうし。そしたら一個だけ、分かりやすく安い所があるじゃない。他の部屋も同じような額だから、少なくともこの部屋だけ色々あって……なんて事はなさそうね」
妙に饒舌に語るその心境は実に分かりやすい。魔法云々となると手が出せない彼女としては、何かしら分かりやすい形で協力ができるという事は喜ばしいようだ。
誰かが思い付いたかもしれない案。しかし、今は一分一秒すら惜しむべきである。そこで誰よりも早く真っ先に思い付いたのは間違いなく彼女の手柄だった。彼女によって、まったくのノーヒントだった状態から《メゾン・ド・カワカミ》に例の男が住んでいるという可能性が大いに高まった。
その事に日下も興奮気味で、テーブルに両手をついて身を乗り出すようにして声を上げる。
「じゃ、じゃあ、そのアパートに例の男が住んでるんですね!」
「落ち着きなさい、可能性の話だ。もしかするとまったく外れているかもしれないよ。――ただまあ、可能性は高いのではないかと思うけれどね」
そんな彼を冷静にたしなめる梶谷もまた、面白くなってきたとピクピク表情を動かしている。誰もが同じ事を考えていた。そここそが例の男が住んでいる家だ、と。もちろん純粋にそれを信じている者もいれば、あくまで可能性に過ぎないと冷静に考えている者もいる。しかしそれでも、最も怪しいという考えは共有する事ができている。
ここからの行動の方向性、最優先であたるべき目標が決まった。着々と準備が整い始めている、そう感じた篁が一度大きく力強く頷いて見せた。
「……よし、決まりね。できれば今夜からもう動き出したいところだわ。まずはこのアパートをマークして、当たってたら今夜で終わり。外れならまた考え直しましょう」
「でもよ、当たったら終わりってほど簡単じゃないぜ? アイツ、近付くと熱いし、逃げ足も結構だ。確実に殺るならその辺の作戦も欲しいよなぁ」
実際に例の男に遭遇した宮村の言葉ももっともである。掴みかかる事もできないほど接近戦に特化した能力、素早い逃げ足。どれをとっても一筋縄ではいきそうにない。確かに準備は整いつつあっても、未だ『確実』などどいう言葉とは遠い。
揃って黙り込み、作戦を頭の中で練ろうとする。ほんの数秒ではあったが店内に重苦しい雰囲気が漂った。しかし、その雰囲気を店長が打ち破る。
「……おおっと、私とした事が。仕事を忘れるなんて店長失格だねぇ、参った参った。適当に飲み物を出すから、少し休憩しようか。話してばっかで喉も乾くでしょ?」
ことさら大袈裟におどけて見せながら、明るい声で彼女は言った。この空気の中で考え込んだとしても良い案など出ようはずもない。何より精神的にも肉体的にも良い事などないだろう。休憩を挟むというのは、もしかするとこの状況下で最も素晴らしい案だったのかもしれない。
篁もその考えを悟ったのか、綺麗にパシンと手を鳴らしてからテンション高く大きな声で反応を返す。
「あらヤダ、店長ったら太っ腹!」
「もちろん、払うものは払ってもらうけどねぇ」
「あらヤダ、店長ったらシビア……」
ほんの一瞬前まで高かったテンションも現実に引き戻されて急降下。そのテンションと連動しているようにしおしおと姿勢を低くなっていく彼女を見てみんなで笑った。その瞬間に重苦しかった空気は霧散して、楽な空気が戻ってきた。紛れもなく、彼女達のファインプレーだと言って良いだろう。




