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真田の視線は吉井の頬に向けられていた。当然のように、そこには赤々と燃える熱傷が存在している。名も知らぬどこかの大学教授なりに言うならば魔力傷。彼女に深く深く刻み込まれた呪いだ。
「……その火傷、痛みますよね?」
「うん。まだ現役バリバリ」
飄々と答えるその様子からはまったく平気そうに思えるが、実際はそうではないのだろう。その傷は常に痛み続け、ジクジクと主張をしているのだ。ただの軽度な火傷だとしても受傷した時のままの状態がいつまでも続くのならば相当に辛いものであるはず。そして、真田には分かりかねる事だが、痛みの面においてもただの火傷ではない可能性だってある。想像よりも遥かに痛んでいるのかもしれない。
「それについての話を、梶谷さんと夕方にしてました。魔力傷……魔法を使えない人間が魔法で怪我をすると治らない。でも、怪我の元になった魔法使いを殺せば治るかもしれない。要はこんな話です」
話をしていたその時には理解ができなかったであろう話題。魔法という概念を把握した今ならば少しは分かるはず。そう考えて要点を纏めて伝えたのだが、それに対して彼女の反応は何とも微妙なものだった。
「殺すって……駄目だよぉ、そんな事しちゃ。や、私もこれは治したいんだけど、何か別の方法が……」
縋るように言ってくる彼女は、恐らくは殺すという言葉に反応したのだろう。確かに、真田もいつの間にか驚くほど自然に発しているが、普通の感性ならばそれは非常に物騒な言葉だ。
思えば、何故真田はこんなにも当然のように殺すという言葉を言えるのだろうか。それはやはり彼にとって、彼ら魔法使いにとって、殺すという言葉の意味合いが少し変わっているからに他ならないだろう。
「大丈夫です。魔法使いはこの腕輪を着けてるんですけど、これがある限り、一回だけなら死んでも死なないんです。だから僕達は、情報を集めてあの男を追い詰めて……一度、殺します」
改めて口にする明確な目標。真田の手に、そして目に。グッと力が入る。頭の中では如何にしてあの男を殺すのか、その方法が幾通りもグルグル巡っていた。一度は逃した相手とは言え、今度は協力者の手を借りる事ができる。不意な状況ではなく万全の体勢で挑む事ができる。勝算はあった。充分に。そして、そんな思考に溺れていた真田には、向かい合う吉井の悲しげな視線に気付く事はできなかった。
真田を思考から引き戻したのは……否、引き戻すために敢えてそうしたのだろう。吉井が両手を打ち鳴らしながら発した能天気な問いだった。開かれながらも何も映していなかった真田の目に再び吉井が映り込んだ時、彼女は先程までの表情が嘘だったかのように楽しげに目を輝かせていた。
「……そだ、優介が魔法使えるようになったりした時の事とか、色々教えて? もっとちゃんと知ってたいなー、なーんて」
「え? ああ……そうですね。知ったからには全部把握してあった方が良いですよね。……じゃあ、初めから。これ、まぁザックリ二ヶ月くらい前の話なんですけど――」
そうして、真田は思い出しながらゆっくりと語り出す。レポートと名付けた日記帳に記録した経験は助かった。一度書いた事でより記憶に定着させる事ができたから。
よく分からない荷物が届いた時の事から全てを話す。その合間で吉井が「優介のお願い事ってなーにぃ?」や、「マジで!? 宮村悪いヤツ!」であるとか、「うーん……宮村ちょっと良いヤツ」などと口を挟んでくる。それ自体は少し邪魔に思えるものだったが、それだけ話に集中してくれている証左だ。
それだけ聞く姿勢でいてくれると落ち着いて一方的に話し続ける事ができる。真田にとっての発見だった。
話が真田と吉井との出会いに至り、篁達と協力する現在に追い付いた時にはもうすっかり深い時間になっていた。
たっぷりとファンタジーな話を聞いて満足そうな吉井は鼻歌混じりに浴室へと向かって行く。慣れない長話に疲れた真田は背もたれに思い切り寄りかかって大きく伸びをした。疲れはしたが、後ろめたさも薄れてとても晴れやかな気分だ。
順番に入浴を済ませると普段よりも早いが、何となくもう眠るような空気が流れる。夜行性の真田も話し疲れて眠くなっていたため宮村に連絡を取って今日は休みにした。
電気の消えた暗い部屋。ベッドの中には吉井が。ベッドから最も離れた部屋の隅には真田が毛布に包まって転がっている。タイマーをセットしたテレビから聴こえてくる声はごく小さく、むしろ余計に静けさを感じさせるようだ。
たまには健康的にと目を閉じて眠りの世界に足を踏み入れようとする真田の耳に、テレビとはまた違う、もうすっかり聞き慣れたようにも感じる小さな声が飛び込んできた。
「――あのね?」
「何です?」
「私さ……まあ、別によくある話なんだけど、親と上手くいってないんだぁ。あんまり関心薄めというか……忙しいみたい。あ、それで昔から自分で料理に挑戦したりしたんだけどね?」
「そう、ですか」
家族と上手くいっていないというのは、今の時代そうなくはない話だろう。忙しいという彼女の親とは状況が異なるが、近所の不仲な夫婦の息子も、そんな状態のままもう少し成長したら思い悩むのかもしれない。
そして、彼女の料理の腕にも合点がいった。昔から必要に駆られて料理をしていた彼女とでは、昨年から趣味として細々と続けている真田は比ぶべくもない。
「そうなんです。で、私が意外としっかりしてたからもっと気にかけてくれなくなって……それがきっかけでちょっとだけ、ちょっとだけ悪い子になっちゃったり。それでね? あの日は昔から色々と溜まってたのが爆発しちゃって……何と言うか、飛び出しちゃったんだよねぇ」
「…………」
口調は明るい。しかし彼女の表情をこの場所から、この暗がりの中で窺う事は不可能である。様々な事を学んで少しずつコミュニケーション能力を成長させてきた真田でも、まだちょっとした声色や話し方から心理を読み取る事は難しい。彼にできたのは、変に茶化さず話を聞く事だった。
「で、財布は持ってたんだけどそんなに沢山お金があるワケでもないし、もう真っ暗で凄く不安だったの。そしたら足音がしてぇ、あんな事になったってワケ」
「本当に、すみませんでした……」
「いやいや、怒りたいんじゃなくて。こっちこそよくある話を語っちゃってごめんね?」
「いえ、それなら僕だって本でも読めばどこにでもあるような話をドヤ顔で喋りましたから」
本の中でのよくある話と現実のよくある話。その二つは重さが違う。そんなつまらない冗談だったが、暗い部屋の中の雰囲気を少しだけ明るくする。
「ふふっ……それでね? すっごく怖かったんだけど、目の前に知ってる人がいたの。まあでも、知ってるって言っても話した事はなかったんだけど……そんで、その人が大丈夫だって言ってくれたの。ぜーんぜん現実感がなくって、でもその人が現実に連れて帰ってくれて、落ち着かせてくれて……嬉しかったぁ」
彼女の声は少しずつ小さくなっていった。まるで、他者から自分自身へと語りかける対象を変えたようだ。これは独白だ。他には誰もいない舞台の上で、彼女は回想し、気持ちを吐露している。
「何か、すっごい安心して、ホワッとして……そうだ、私って、あの時にはもうやられてたんだなぁ……」
「……いえ、火傷したのはもう少ししてからです」
そんな彼女の舞台に、一人の観客が至って真面目な声で水を差す。彼はいつの間にか体を起こしていて、真っ直ぐに彼女を見ていた。
吉井もまた体を起こす。交わる視線に舞台と客席、ベッドと床の高さはあったが、二人は対等だった。対等に意見を、文句を言い合える。そんな関係。彼女はいつものように、ぶぅと唇を尖らせる。
「もう、そうじゃなくってぇ」
「ホントに、話の分からない人だ……」
「どっちが」
呆れたように呟きながら、背を向けて真田が再び寝転がる。売り言葉に買い言葉、怒ったように吉井もまた背を向けてベッドに潜り込んだ。本気で喧嘩をしている訳ではない、するはずがない。ただの、犬も食わないような下らない喧嘩だ。
それを証明するかのように、二人は挨拶を交わす。
「――お休みなさい、吉井さん」
「うん、お休み。優介」
互いに顔を背けあっているが、その表情は全く同じ。薄く笑みを浮かべたまま、テレビのタイマーが切れてもなお、しばらく寝息も聞こえない静寂を過ごした。
真田は目立たない事を良しとした。好かれる事はないが、表立って嫌われる事もない。そんな立ち位置を、彼は頑なに守ってきたのだ。
しかし、それが今となってはどうだろう。宮村と友人になり、吉井には気に入られ、雪野には嫌われてしまった。この三人はクラスでも目立つ部類だ。良くも悪くも、大いに浮いている。そんな三人を中心として真田の人間関係は構築されている。こうなっては、もはや目立たないどころか台風の目だ。
けれど真田は、それをも良しとする。変わりたいと願い、変わろうと行動をする彼は、この現状を受け入れた。
いや、正確にはこの時の真田の頭に変わるための一歩などという考えは存在していなかった。彼はただ、自分がしたい事を真っ直ぐにしようと考えていた、ただそれだけだった。
何もできなかった自分の責任、手段を選ばぬ敵に対する正義感、そして何より、共に過ごした家族への愛を。全てを集めて、彼は決意した。
(絶対に、僕が何とかしますから……)




