9
「魔力傷……あの男を、殺せば……」
前述の会話を基に梶谷によって纏められた説明を聞いて、真田が最初に口にした言葉はこれだった。梶谷の前に置かれたコーヒーカップへ視線を向けながら、前髪に隠れたその目は思い詰めたように暗い色をしている。
吉井は話の空気にようやく適応してきたようで、神妙な顔つきで口を閉ざしていた。そのため、真田の言葉に対して反応を返せるのは梶谷一人だけ。
「一応言っておくが、これは魔法使いでも何でもないただの男が興味本位で調べ上げて妄想に等しい推測でこじつけた事だ。彼も言っていたように、確証は持てない。だが……私個人としては試す価値はあると思うね。彼が魔法は意志の力だと言った時、そう思った。私はそんな事を一言も口にはしていないからね」
確証は持てない。しかし、話半分よりはもう少し信用寄りで聞いても良い話だ。そこに希望を抱いても良いかもしれない。
「殺すというのはどうすれば良いんでしょう」
「ふむ……恐らく、魔法使いを殺すというのはこの場合、魔法使いとしての存在を殺すと言い換えても良いかもしれないね」
「つまり、腕輪を壊して魔力を発生させられない状態にするという事ですか? 暗示を掛けられない状態に……」
「そう、その通りだよ。その男を殺す事で魔力傷は君の悩みと一緒に消える。きっと、ね」
「…………」
殺すと言っても文字通り命を奪う訳ではない。する事と言えば腕輪を破壊するだけだ。それによってあの男の意志は魔法に変換される事がなくなり、火傷を残し続けようとする暗示も解けるはず。行動は決まった。覚悟も決まったつもりだった。そのため、梶谷の問いに対して真田は即答する事ができる。
「真田君、どうするつもりだい?」
「方針は、変わりません。あの男を探すのは今までもずっと同じです。ただ、そこにゴールが見えてきた以上、一度も失敗は許されないくらいの気持ちで挑むべきです。失敗すればその分、これは長く続くんですから」
先が何も見えないならば闇雲な行動にも意味はある。しかし、こうしてゴールが見えたなら、その行動はただの寄り道だ。ここからは最短ルートで結果を出さなければならない。その考えは理解できたらしく、覚悟を確かめるかのように梶谷は敢えて突き放すような言い方をした。
「その通りだ。私達は……いや、君は失敗が許されない。幸い、私達は貴重な情報源と戦力を得たばかりだ。それをどう使うか、君と祈ちゃんでよく相談すると良い。これは君の事件だ。君が、動け」
「――はい。出来る限り。ただ、魔力傷の話がガセの可能性もありますから、もし良かったら他に……例えば、魔法の怪我の治し方みたいなテーマでまた話を振ってみてもらえますか?」
「ふぅ……酒も彼と話すのも好きではあるんだが、酒を飲んだ彼が嫌いな上、彼と話していると酒が不味くなる。だが、飲ませないと話もしてくれそうにない。非常に食べ合わせが悪いが……まあ、仕方がない。私も君の協力者だ、殺さずにいてくれた恩もある。助力は惜しまないよ」
梶谷はげんなりとした顔をしている。心から例の大学教授と酒を飲みたくないらしい。それでもさらに話は聞いておきたい。信用する価値はあると思ってはいても、やはり絶対ではない以上は保険も必要だ。第二、第三の案も同時に練りながら行動したい。
受け入れてくれた事に対して素直に感謝の言葉を告げたが、他にも言わなければならない事があった。そう、このような話をしていて忘れそうになったが、梶谷に真田の秘密が思い切り知られてしまっているのだ。
「ありがとうございます。それで、この件は……」
「私からは誰にも言わないさ。だが、考えてみてほしい。心の底から協力を望むなら、その理由くらいは明らかにした方が話が早いと思わないかい? 特に、肝心なのは仲間になったばかりの人間なのだから」
「……考えておきます」
この梶谷の言葉は、割と鋭く真田の心に突き刺さる。秘密を抱えた後ろめたさというのは、つまり罪悪感なのだ。隠し事をしていて悪いという気持ちは当然のように真田の中に存在している。ここから先は失敗できない。しかし、何も知らせないままその意気込みを押し付けるのは流石に傲慢が過ぎるのではないか。
今までは探す事は探すが、見付からなければ諦められるくらいの心の余裕があった。しかし、今は確実に相手を探し出して、確実に殺さなければならない。逃げ足の速い、逃走の見極めも早い、何より既に一度逃がした相手だ。そんな相手を殺すために連携は不可欠だ。火傷は自然に治るだろうと考えてここまで互いの名誉のためにと隠し通してきた事が、これほど大掛かりな話になってきて足を引っ張る。
明かすのか。ならば、どう明かすのか。それとも上手く言い包めるのか。どうすれば良いのかと考え込みながら曖昧な返事をする真田を見ながら、梶谷は実に愉快そうに微笑んでいる。ここに至って確信したが、この男はなかなかどうして性格が悪い。
「ああ、そうしてくれ。では、私はこれでお暇させてもらおうか」
「え、もうですか?」
冷めかかったコーヒーを飲み干して、梶谷は立ち上がった。彼が訪れてからゴタゴタとはしたものの、話が始まって、終わってすぐ席を立ったのだ。随分と早く帰ろうとするので思わず引き止めるような反応をしてしまう。
それに対して彼は、極めて意地悪く返すのだ。
「手早く済ませて帰る約束だったからね。だろう?」
「うっ……」
確かにそう言っていた。しかしそれは真田の言い訳に対する発言であり、梶谷は既にそれが嘘であると知っている。もはや手早く済ませて帰る必要性はない。それでもこう言うという事はつまり、よくも嘘をついて追い返そうとしてくれたなとチクチク刺してきているのだ。
ニィと口角をつり上げていやらしく笑う顔を見て何とも面倒な人間だと真田も思ったが、梶谷はその表情を一気に崩して冗談めかして肩を竦めて見せた。こういうポーズは実に絵になる。
「それに、君達の夜は長くなりそうだからね。気が済むまでじっくりと腰を据えて話しなさい。それでは……吉井君、コーヒー美味しかったよ。では、また」
「あ、はい! えっと、お元気でー?」
颯爽と、軋む床をほとんど音も立てずに歩いて彼は去って行った。二人の重い空気から解放されて我に返った吉井が玄関まで見送って声を掛ける。それに応えた何度か見た事のある肩越しに軽く手を振る姿は相変わらず妙に決まっていた。
もっとも、何と言って良いのか分からずに疑問形になったその言葉には失笑していたが。
静かだった。実に静かだったが、間違いなく嵐だった男は去った。後には飲んで行ったコーヒーの香りと、玄関に立ったまま二人とも言葉を発さない静寂だけが残る。
話さなければならない事がある。先程の話の解説と、隠していた真実と。それを話そうにも口が動いてくれない。だが、このまま口を開かない訳にもいかなかった。このまま一晩なにも話さない事など不可能であるし、何より沈黙の重さに真田の胃が耐えきれそうになかった。このままでは真実より先に血を吐きそうな勢いである。
「――吉井さん」
真田の口から出たのは普段よりも低い声だった。話そうという覚悟の重さの分だけ下がった声である。しかし、それとは対照的に普段よりも一オクターブ上の余所行きの声が、その声で発せられたまったくもって状況にそぐわない言葉が、覚悟を邪魔する。
「今からお買い物も面倒だねー……今日は何かある物で作ろっか。この私が腕によりをかけるから、お楽しみにっ!」
「あっ……」
自らの二の腕の辺りを軽く二度叩いて、吉井はキッチンへとパタパタ駆けて行った。真田はと言えばあまりに唐突過ぎて呼び止める事も叶わず彼女を見ているしかない。
その後、鼻歌混じりに冷蔵庫を物色しながら夕食のメニューを考え調理を始める彼女から今は話すなと言わんばかりのオーラが発せられていて、まともに話ができたのは夕食も食べ終え片付けまで済んだ後の事であった。




