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暁降ちを望む  作者: コウ
魔力の傷
111/333


 午後十一時、安い居酒屋の個室に二人の人物がいた。一人はパリッとした黒のスーツを着た、しっかりとした身なりの男。もう一人はワイシャツとグレーのスラックス姿であったが、それは明らかに着古したヨレヨレの物だった。

 前者は当然、梶谷 栄治。残り少ない人生を毎日遊び倒して過ごしても余るほどの金を持った男である。後者は染めた白髪が不自然なまでに黒い癖毛の、不景気という言葉がよく似合う疲れた顔をした五十がらみの男であった。


「本当に珍しいな、栄治さん。久し振りに僕に連絡をしてきたと思ったら魔法の話が聞きたいなんて……あんたは現実的な話が好きだとばかり思ってたよ」


 一杯目から頼んだ冷酒をちびりと口にしつつ、相手の男は言う。その声もまた覇気に欠けたものだ。そのような態度で《魔法》などというファンタジーな単語を言うのだから妙な話である。

 梶谷は現実派だ。生まれから裕福で厳しく躾もされ、後に地位も手に入れた彼は、現実的ではないような大きな事をも成し遂げてきたが、それは彼にとっては現実的に考えても充分に可能な事だった。彼はいつだって、自分にとっての現実を見て生きてきた。


 魔法は現実的な話ではない。だが、事実として自らの手に腕輪はあるのだから、それは彼にとっての現実である。とは言え、自分が魔法を使える事など話せるはずもないので、そこは誤魔化さざるを得ない。


「アドレス帳を整理していたら君の名前が目に入ってね。それでふと思ったんだよ、現実的か幻想的か、それは話を聞いてから私が判断する事だって」

「ふぅん……歳をとって頭が柔らかくなったな、とうとう腐ってきたか。……奥さんは?」

「夜は私の時間さ、好きに過ごすよ。だが、日がある内は全て妻のための時間だ」

「そうか。愛妻家、だな」

「君も見習うと良い」


 二人で静かに鈍い言葉のナイフを刺し合う。別に険悪という訳ではない。これはこれで、友好の証である。こうして話す事は久し振りの事であるが友人なのだ。

 ジョッキを伝う水滴を指で拭い取り、梶谷がビールを三分の一ほど一気に飲む。一夜干しのイカを面倒だったのか素手で一切れ摘み取って口に運び、聞きたい事があると呼び出しておきながら完全に飲みの姿勢になっている様子が気に入らないのか男は話を本題に戻そうとした。


「魔法の話だったな」

「ああ。講義をお願いできるかい、教授?」


 その茶化すような口振りが不愉快だったらしく眉間に皺が刻まれた。これほど不味そうな表情で飲まれたら酒も悲しむというものである。


「ふん……確か、魔法使いと一般人における魔法による負傷の違いだったか」

「概ねその通りだ。例えば魔法で火を発生させたとして、その火は一般的な火と同じものなのか? 仮に違うものだとすると、いわゆる魔法とは縁遠い人間にとって悪影響を及ぼしたりはしないだろうか」


 質問を受けて、僅かに険しさが緩んだ。このような話をする相手などいないだろうから、それも仕方のない事だと梶谷も判断したが、上機嫌になられるとそれはそれで気味が悪い。しかも酒が入ったせいで変に饒舌というか早口だ。


「頭の固い現実主義者の割には面白い事を考えたもんだ……。栄治さん、結論から言うと、その二つの火は別物だろう」

「やはり別物なのか?」

「ああ。魔法使いは一般社会に紛れて生活をしている。だけど、一般社会に馴染むのは大変だ。自分といわゆる普通がどれだけ違うのか、それを研究して書き留めたものを読んだ事がある。……昔の妄想家が書いた与太話かもしれないが、現代の妄想家がソースにするには相応しいと思わないか?」


 彼は自分を妄想家と評した。しかし、これに対して梶谷が全面的に同意でもしようものなら、この機嫌は再び一気に沈んでしまう事だろう。全面的に否定してもやはり機嫌が悪くなるだろう。まだ飲み始めてそれほど時間も経っていないのに、彼はすっかりアルコールが回っている。絡み酒の気があるのだ。

 このような状態になったらとにかく曖昧な返事で誤魔化すしかない。イカの刺身を取って食べつつ、投げやりな口調で返す。


「妄想だろうと真実だろうと、私は面白い話が聞ければそれで良いさ」

「子供が寝る時に話をせがむのは普通だが、それを大人になっても同じ感覚でやられると偉そうに見えるもんだな。あんたのその、人に話をさせて当然みたいな所、嫌いだねぇ」

「私は君のその誰にでも喧嘩を売ろうとするような話し方と、弱い上に酔うと面倒なのにやたらと酒を飲もうとする所が嫌いだよ。さあ、歳を考えると眠るには良い時間だ。お話を聞かせてもらえるかい?」


 何を言われても梶谷は自分のペースを乱さなかった。彼の言う通り、梶谷は話をさせて当然――人よりも上の目線でいる事が当然なのだ。言葉で何を言われたとしても自分の立ち位置は揺るがない。そんな、あるいは傲慢な感覚がこの変わらぬマイペースを貫かせていた。


 自分の発言に何か思う所がある様子ではなく、それどころかより上から話を要求してきたのだから、彼の機嫌は再び急降下。聞こえるように舌打ちをしてから酒で口を湿らせて話を始める。


「ちぃっ……魔法は魔法で対抗できる。さっきの火を例にして考えてみると、僕の手が魔法で真っ黒に焼かれた場合、そうだな……時間を、状態を戻す魔法でも使えれば擬似的に治療できるだろう。あるいはもっと分かりやすく魔法的に、怪我を治す魔法でも良い。つまるところ、自らが発生させられる……いわゆる魔力だな、それを用いて結果を無効化するんだ」

「自らが魔力を発生させられない人間にはその限りではない、と?」

「魔力ってものが刻み込まれるんだよ。魔力ってウイルスが侵入してきても、それに対抗する抗体を持っていないし生成もできないから、後は病気の天下だ」


 分かったような分からないような説明であった。彼の頭の中には答えが既に存在しているからこそ普通に理解できるのだろうが、梶谷はそうではない。


 僅かずつではあるが確実に回り始めているアルコールによって頭の回転の方も僅かずつ鈍り始める。どうも完璧に理解している訳ではない様子を感じ取ったのだろう、男はポケットから黄色い百円ライターを取り出した。規制の前から家に溜め込んでいた旧型の物だ。簡単にスライドして火を点けると、ユラユラ揺らして見せてくる。


「仮にこれを魔法の火だとしよう。これで、僕の服に火を着けたとする。そのまま僕は普通に燃えるね。そこであんたが慌てて水を掛ける。普通の火はもちろん、魔法の火も魔力という要素の他に火の要素も持っているのだから、普通に水で消す事ができる。さて、普通の火と魔法の火、違うのはここからになる」


 話の途中、男は懐から煙草を取り出そうと探るが出てきたのは空の箱だけ。どうもなくなってからそのままだったようだ。両切りのゴールデンバットをチキンレースでもしているかのように根元まで吸うほどの愛煙家である彼は心底残念そうに肩を落としているが、梶谷は煙草は吸わないので渡す事はできない。


 諦めて火を消して、液状のガスの残量を確かめるように耳元で軽く振ってから元のポケットに納める。煙草が吸えず明らかに不機嫌さを増しているが、説明は続けてもらえるようだ。

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