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「おーい、ちゃんと決めろよー!」
「――っ!」
思考の海に漂っていた真田の意識が、すぐ近くから聞こえてきた声で引き戻された。どうやらゴールキーパー役になったクラスメイトの男子が暇を持て余して遠く、相手ゴール前の最前線での攻防に笑いながら野次を飛ばしたようだ。
その男子もゴールに張り付いているだけではなく少し前に出ていた。戦いに加わっていくような事はしないが、よりよく見えて、少しでも遠くに声が届くように。いつしか真田が最後方になっている。
「あー、おっしい! ナイスシュート!」
先程と同じ自軍のキーパーの声につられて長い前髪の隙間からあまり良くはない視力で捉えたのは、自軍の選手のシュートが相手のキーパーによって止められてしまったらしいという状況だった。真田にはこの距離から声を掛けられるような度胸は無いし、進んで声を掛けるほどそれほどクラスに馴染んでもいない。
自らの願いを自覚してしまっては、この男子が少し眩しくも見える。
俯いて小さく溜め息。すると、その時だった。
「真田くーん! 危なーい!」
名前で呼び合うクラスメイトの中で浮いた存在である事を示すその呼び名と注意を促す言葉に気付いたその時、すぐ近くの上空に影があった。サッカーボールだ。咄嗟に時間がゆっくり流れているように感じるというのは漫画などではよくあるような光景だが、この時の真田はその感覚に陥っていた。
周囲から音が消え、泥の汚れまでハッキリと見えるサッカーボールがゆっくりと大きくなる。このままでは顔にぶつかると思い、少し体を動かすと顔のすぐ近くを通ってボールが落ちた。その瞬間、時間の流れが元通りになり、驚きのあまり反射的に飛んできた方向に顔を向ける。
「ごめん! それこっちに思いっきり蹴ってー!」
どうやら、相手方のキーパーが止めたボールを思い切り蹴飛ばしたらしい。目を凝らすと両手を合わせて謝っているような姿が見える。その顔にはあまり見覚えが無く、合同で体育の授業を受けている別のクラスの男子だと理解した。
要請を無視するのは明らかに悪目立ちであるし、何よりも印象を悪くするのは本意ではない。てんてんと転がるボールに小走りで駆け寄ると、円こそ描かれていないがセンターサークルと定められている辺りをめがけて全力でボールを蹴った。非力な真田ではそうしないと届かないのだ。
しかし、結果はその予想を大きく裏切る事となる。
足に当たった瞬間、ボールがひしゃげるような感覚、その直後に凄まじい勢いで放たれるボール。その速度は世界的なサッカー選手によるシュートの速度を容易に超えていただろう。
そんな本人からすると良く言ってもせいぜいロングパス程度のつもりだったボールは一直線に飛び、目標としていたセンターサークルに達してもバウンドどころか地に落ちるような様子も見せず、その勢いにゴール前に密集していた選手達も反射的に散り散りになり、そのまま相手のゴールに突き刺さる。ネットに当たってなお勢いは死なず、試合前にみんなが総出で運んだ重いゴールを少し動かした。
「……え?」
状況を少しも理解できていない、呆然としたような真田の声と同時に、ボールが地面に落下する。それを点になった目で見届けた選手達が今度は一斉に真田を見た。彼を除く選手二十一人、そして試合に出ていない他の生徒が八人。それだけの目が同時に自分に向けられた経験はほとんど無く、動揺を隠せない。
「え……と……か、風、強かったですね……?」
何かで誤魔化そうとして無理に絞り出した言葉がこれだった。風など吹いていないし、そうだったとしても強過ぎる。少しも誤魔化し切れていない冷え切った空気にさらに混乱を始める真田だったが、それは鳴り響いたチャイムの音色によって救われた。
「お、お先に! 失礼します!」
それだけ言い残して全力疾走で更衣室へと向かう真田。そのスピードは魔法になど縁の無い一般人から見れば、オリンピックでの短距離走の金メダルなど目じゃないほどの圧倒的なスピードだった。




