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『例の件、情報が入ったよ。時間ができたら電話を』
そんな短いメールが届いたのは下校中、もう少し歩けばアパートが見えてくるといったタイミングだった。送り主は梶谷。例の件とはもちろん、昨日の質問の事だろう。
(まさか本気で昨日の今日とは……いや、ありがたいんだけど。ありがたいんだけどね)
あのような調べ方も分からない質問を丸一日で解決したというのだから恐ろしい。しかし、今の内に行動を起こしたい真田にとってそれは本当に幸運な事である。
メール画面を閉じて電話帳に切り替える。幸か不幸か、登録されている人数が少ないので一瞬で梶谷の名前に辿り着く。そして、内心かなり緊張しながらも逸る気持ちを抑えきれず電話を掛ける。まだメールを送信してから携帯電話を手にしたままだったのか、一度目のコール音で繋がった。
『――やあ、真田君。早めの連絡ありがとう』
「あ、いえ。むしろ僕の方の台詞で……」
『私も思ったよりスムーズに話が進んで驚いているよ。それで、その話をしようと思うんだが、直接会った方が話しやすい。今は大丈夫かい?』
「あ、はい。大丈夫です。どこで会いますか?」
実にトントン拍子に話が進む。梶谷 栄治という男は無駄な話をあまりしない。真田が何かを隠していて切羽詰まっているという状況を把握しているからこその事もあるからだろうが、助かる事には違いない。
何か動きがあるのなら一秒たりとも無駄にはしたくない。そう思っていた真田だったが、その時間を無駄にする羽目になってしまう。そのきっかけは、梶谷の次の発言。
『そうだね……人に話を聞かれない場所が良いかな。今からこちらに来てもらうのも悪い、私がそちらに出向こう。真田君の家なんてどうだい?』
「はっ!?」
その言葉に耳を疑わずにはいられない。電話越しに梶谷は確かに言ったのだ。真田の家に出向いて話をしようと。
すると、真田の発した素っ頓狂な声から拒絶の意思を感じたらしい。相手は続ける。
『駄目かな? ああ、ご家族を失念していたね』
「ああ、いや、ご家族は大丈夫なんですけど……」
『なら、君の家で構わないね? 住所はこのまま口頭で教えてほしいな』
「いや、その……」
一人で暮らす身、家族に問題はないのだ。その点においては真田の家というのは間違いなく誰にも話を聞かれない理想的な場所と言える。虚を突かれて思わず家族に問題なしと答えてしまった真田だったが、その通りであると嘘をついた方が良かったと後悔の念が頭を過ぎる。
問題なのは家族以外の人間。本来ならば存在するはずのないその人物が存在している事が問題なのだ。この点を隠したまま、いかにして家族以外の理由で拒否するのか。
必死に頭を働かせる真田。しかし、様子がおかしい事を察した梶谷は一段だけ声を低くして問うてくる。
『……ご家族は、大丈夫なんだろう? 私はそう聞いた。他に問題は?』
完全に家に招きたくないという考えが看破されている。妙に強く質問をするその言葉は、質問というよりかはむしろ他に言い訳があるのかと詰問されているようであった。
あまり突飛な理由は思い付かない上に現実味がない。結果として、ありふれた理由だけで真田は梶谷と論争しなければならない。
「……あまり人を呼ぶのは」
『なら手早く静かに話を済ませてお暇しよう』
「ペットもいます。知らない人はすぐ噛むんです」
『問題ない、動物の扱いには慣れている。何なら私が躾をしよう』
「友達が遊びに来ます」
『それは良い事だ。では今すぐに君の家に行って少し話をして急いで帰るよ』
「他人が家に入るとあまり気分的に……」
『この期に及んで気分を害すほどの他人だと思われているのなら、私はもう君達から手を引こう。申し訳なかったね』
「ぐ……」
嘘も込みでいくつか言い訳をする真田だったが、そのどれもが一刀で斬り捨てられ、来訪を拒否する理由になり得ない。正確には梶谷が無理矢理に家に行っても問題がないと断言している。唯一、拒否する事ができそうな理由も存在はしたが、それによって情報だけではなく有力な協力者まで失う事となってしまう。彼の脅迫は冗談とは思えないほどに真に迫っていた。
唾を飲み込む音が真田の耳の奥に大きく響く。その音は電話の向こうの相手にも届いただろうか。たとえ届いていないとしても、彼が自分の有利を確信するのは容易な事だ。
『どうする? 私としてはどこでも構わないんだけれど、ね』
(何がどこでもだ……心にもない)
ここまで話しておいてどこでも良いと思っている訳がない。真田がそれを信用して別の場所を指定すれば、逆に彼からの信用は失ってしまう事となるだろう。
梶谷も、真田がそう考えると予測してこれほどまでに強気な発言をしている。ならばどうするのか。自らのために信用を失うか、受け入れてまた別の方法で存在を隠そうとするのか。
そんな二択しか残っていないというのならば、もう考えるまでもない事である。彼は意を決して、口を開く。
「――分かりました。僕の家でお話をしましょう。住所は……」
住所までを伝え終わるとすぐに電話を切って、携帯を握り締めたままで走り出した。梶谷がここまで来るのにどのような手段を用いるだろう。徒歩か。自転車か。それとも電車だろうか。決まっている、最も早く、ある程度は時間も場所も選ばない。そして梶谷が持っていないはずがない。車だ。
どれだけの時間が掛かるのかは分からないが、それほど時間的余裕は長くない。全力疾走である。腕輪の力を借りてグングンと加速する真田の頭は、彼女に何を言うのか、それで一杯になっていた。




