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立ち尽くしたままで目を閉じて思考を巡らせる。のだが、それを背後から聞こえてきた呑気な声が邪魔するのだった。
「――だっちゃん? なあ、だっちゃん」
「……その呼び方は激しく不本意なんですけど、何でしょう」
振り向いた先にいた男。そばかす顔で頭のてっぺんで髪がピョコンと立ち上がったその人物。校内に知り合いなどほとんどいない真田の事をおかしな呼び方で呼ぶ者など一人しかいなかった。レージと呼ばれる、真田の知り合いコンビの片割れだ。そう言えば昼休みの途中で職員室に呼ばれていた。職員室も特別教室棟だ。階段を上ればここに辿り着くという訳である。
「なあなあ、だっちゃんさぁ、何かしたん? すっげぇ奏美ちゃんキレてたけど」
だっちゃん、というのは真田の渾名らしい。つい昨日も変な渾名が増えたばかり。変な事になり始めたものである。なお、だっちゃんというのは『真田ちゃん』の略らしい。何故ちゃん付けなのかも理解に苦しむ。
それ自体も気になる事なのだが、それ以上に気になるものも発言の中に存在していた。
「かな……?」
「……えっと、雪野 奏美ちゃん」
「ああ、そんな名前だったんですね……」
「だっちゃんマジかよ」
知らなかった。奏美と呼ばれる人物は確かに存在していた気がする。だがそれが雪野と同一人物だったとは。レージも驚いたように目を真ん丸にしているが、真田もそんな目をしたい気分だった。それくらいの驚きがこの新たな知識にはあった。
ただ、彼も真田がこれまで自分達以外の誰かと話している光景を見た事がなかったため、何となく色々と察したのだろう。気を遣ったのか『置いといて』とジェスチャーで表現してから話題を戻す。
「で、よ。俺、奏美ちゃんがあんなキレてんの初めて見たわ」
「僕は……雪野さんに何かしたつもりはないんですけど」
「ホントに?」
「はい、本当に」
これは本当である。真田は雪野には何かをしたつもりはない。どうやら真田の被害妄想ではなく本当に彼女はかなり怒っていたようだったが、その理由自体はもはや明白だ。
「そう言えば、吉井さんの事を何か知りませんか?」
「吉井香澄ぃ? いんや、俺はなーんにも。……あー、奏美ちゃんピリピリしてたのこれが原因かもなぁ」
「? それは……どういう?」
雪野の情報源がどこにいるのか分かったものではない。彼が何かを知っているのかもしれないと考えて質問を振りカマをかけてみたが、どうやらシロである。
しかし、真田は吉井が原因である事が分かる。それは直接話したからであり、ここまでの発言を振り返る限りは怒気だけを感じ取っただけで話の内容までは把握していないらしいレージに分かるはずがない。それなのに何かを把握した様子のレージは何を知っているのだろうか。
「ん、ああ。奏美ちゃんと吉井香澄ってさ、幼馴染的な感じのヤツで仲良かったんよ。俺も二人とは保育園から一緒だったから知ってんだけど。まあ何年か前からはむしろ仲悪くなってたらしいんだわ……でも、やっぱ理由も知らずにずっと休まれたら気になるしイライラすんじゃない?」
「ははぁん……」
再び真田の中で繋がるような感覚。考えてみれば怒った原因は吉井にあっても、何故吉井のためにそれほどまで怒るのか理由は分からなかった。そこが幼馴染というピースで繋がり、情報源を恐れる必要性が薄いかもしれないという所まで思考が発展する。
(幼馴染って事は家も近所で知ってるか……じゃあ帰ってない事も知ってるだろうし、ああ、近所の人が僕の家にいる、もしくは帰る吉井さんを見掛けたなんて話を聞いたりして様子を見に来たって可能性があるな。ううん、でも、厄介だな……そう言い触らさないだろうけど、絶対ってワケじゃない。事態の解決は早めにしてしまいたいな)
二人が幼馴染という事は一刻も早く吉井の行方が知れないという事態の解決に向けて動き出そうとする可能性がある。同時に、居場所を知っている事もあって積極的には動かない可能性もある。少なくとも、雪野に見られていた時の吉井の様子は悪い扱いを受けているとは思えない程度に明るかったはずだ。もっとも、あの時の格好には難があったが。
「なーなー、だっちゃん? どしたー?」
「ああ、いえ……ごめんなさい、ありがとうございましたっ」
「え、ちょっ……だっちゃぁぁぁぁん!?」
レージにとっては実に唐突だっただろう。急に話を打ち切って走り出したのだから。真田は一刻も早く教室に戻りたかった。次の行動を想定するためにも雪野の様子を観察しておきたい。幸い、席順では教室の対角線上。一方的に見ている事ができる。
(危険があるって事が分かったのも充分に収穫だ……それを頭に入れて今後の事を考えよう)
教室に入った時、視線が集まった中で雪野の刺々しい視線が一瞬だけ刺さった。しかし、当然ではあるが彼女はその場で何か行動を起こすような事はしない。すぐに顔を背けて普段通りに行動している。その後、何があったのかなどとしつこく聞いてくる宮村とショーゴを振り払いながら、何で急に戻っちゃったんだよなどと泣き付くレージを無視しながら、雪野の様子を見ながらの半日が終了した。
放課後となって学校から出たが、雪野は行動を見せない。背後を尾行されている気配もない。この時、真田は確信した。彼女は少なくとも今は積極的に行動をするつもりがないと。
監視の目があると魔法的な行動はもちろん、吉井に関係する行動も難しくなる。
解決のため動くならば、今の内。




