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「こんにちは、お邪魔します」
「ん? おや、いらっしゃいマリアちゃん」
マリアと呼ばれた声の主は女の子。セミロングの黒い髪、白いブラウスを着て紺色のスカートを履き、そして背中には赤い四角い物体。そう、それを端的に表現するならば……ランドセル。
子供だった。クリクリとした大きな目の可愛らしい、利発的な小学生の女の子。重ねてもう一つ別の事に気付く。その子が入ってきた瞬間、新たな魔力が一つ増えたような、そんな気がした。
その子は店長に向かって改めて挨拶を返した後に店内を検めるよう見渡してから、叫んだ。
「こんにちは。祈ちゃんは……って、あぁぁぁぁぁぁぁあっ!」
「うぉ、うるせっ……」
「あー、そう言えばこの子にも話を通さないといけないわね……」
その甲高い叫びでグラスやテーブルが震えたような気がした。漫画アニメ的表現かと思ったが、これが共鳴というものなのだろうか。とりあえず、耳が痛い。右耳まで聞こえなくなるのではないかと思うほどの声の中、耳を塞いで顔を歪める宮村と当たり前のような顔で呟いている篁の姿が対照的だった。
「ちょっ、ちょっと! 祈ちゃん! 誰よ、その人達! ああ、何で男の人がこんなに……っ!」
ズンズン歩み寄ってきて胸の間の辺りを人差し指で連打しながら問い詰める。体が小さい割にいちいち声が大きな子だ。あまり男が好きではないのか何なのか知らないが、とにかく凄まじい剣幕である。可愛い顔も声も台無しこの上ない。
「どうも、私達は歓迎されていないようだね」
「何と言うか、子供に全力で拒否されると落ち込みますね……」
「誰が子供かっ!」
「うわっ……ご、ごめんなさい……」
子供とは言われたくないらしい。その言葉を口にしてしまった日下が威嚇されている。牙を剥いているように見えたが、どうもただの八重歯だ。
連打を止めない手を取って制止させながら、まさしく子供扱いするような優しい声色で落ち着かせるよう篁が語りかける。
「はいはい。マリア? この人達が前に話してた、協力しようと考えてた人達」
「前ぇ? ……あー、はいはい。何となく言ってた気がする。へぇ、ふぅん……これが……」
そんな話をした事を覚えていなかったかのような曖昧な返事。それでも一応は協力者として相応しいかどうか確かめてみようと思う気は起きたらしい。ランドセルをカウンターの上に置いてから、腕組みをしてまずは宮村の顔をジッと見詰める。
ちなみに、この段階で真田は絡まれたくないと気配を消して自然と後ろの方に身を隠していた。もっともこのまま一人ずつ見られたら必ず絡まれる羽目になるのだが。
「……すっげぇ品定め始まったんだけど」
「あはは……ごめんね、この子ちょっと人見知りするタイプで」
「人見知りってこんなに初対面の相手をガン見するんでしたっけ」
視線が自分に移ってきて引き気味の日下だが、一応警戒心を与えぬよう笑顔で接している。大人である。「何だコイツ」感を一切隠そうとしていなかった宮村よりも遥かに。
「まあまあ、警戒心が解けるまでの辛抱だから」
「まだケーカイしなくなるかどうか分かんないじゃない! 良い? マリアがちょっとでも気に入らないと思ったら絶っっ対に協力なんてしないんだから!」
「マリアちゃんは今日も元気だねぇ……はい、喉渇くだろうからいつものカフェオレここに置いとくよ」
「あ、うん。ありがとう典子ちゃん……じゃなくて! 今はこの人達の話よ!」
ノリツッコミである。カウンターに置かれた冷えたカフェオレが蔑ろにされて涙を一滴流している。お飲み物を出されてもなお、彼女の勢いは留まる所を知らない。二人目の審査も終えたらしく、次へ移る。真田は気配を消しているので、あとはもう一人だけ。
「今日は一段と声張るわね。知らない人がいて緊張してるのかしら」
「ふんっ……む、おじいちゃん、何だか見た事あるわね……」
「おや、そうかい?」
鼻息荒く見ていた彼女も何か気になる事があったのか首を傾げている。そのテンションの落差にも(間違ってはいないのだが)おじいちゃん呼ばわりにも動揺する事など一切なく同じ方向に首を傾げてみせる梶谷のその姿。貫録。
「まあ良いわ。次は――」
流石に不躾に睨み付け続けるのも躊躇したのか、梶谷の番は割とあっけなく終わってしまった。最後に残ったのは一人だけ。後回しにし続けていても結局はその時はやって来る。それを見事に体現してしまっていた。
最後の一人の姿を見付けて、マリアは他の三人を押し退けて目の前まで歩み寄った。下からグイッと見上げられると、真田の目を隠していた前髪を無効化してダイレクトに目を見られてしまう。
「う、うう……よ、よろしくお願いします」
ここで目を逸らすのは不自然だ。後ろ暗い所があるのではないかと思われても癪なので無理して彼女の目を見詰め返す。口ではできるだけ良い印象を与えようと挨拶などしてみたが、その目は緊張感で力が入ってしまっていた。
真田は子供が得意ではない。子供には話が通じない印象しか持っていないためだ。話す事が苦手な彼は、せめて話の通じる相手と話したいと考えている。
結果として、傍から見ればそれは一方的な観察などではなく、互いに睨み合うと言ったような実にピリピリとした状況になっていた。
「むぅ……」
「うー……」
そのまま、睨み合いは十秒ほど続く。間に何も挟まずこれだけ長く誰かと目を合わせた事はどれだけ久し振りの事だろう。もはやほとんど意地で睨んでいる(別に睨みたい訳ではなかったが)と、不意に彼女の頬が不自然に赤く染まり始めた。
かと思えば、突然その顔を背けて後ろを向かれる。
「い、良いわ! 別に、最後の人に免じてってワケじゃないけど認めてあげる。アレなんだからね! ソーゴーテキに判断した結果認めたの! 最後の人とか、関係ないからね!」
「!?」
三つほど重なった声にもならない驚きの声。これは誰のものだっただろう。少なくとも、真田のものではなかった。
「ほほう、マリアちゃんってば……」
ニヤニヤ笑いを隠し切れないまま呟きながら、覗き込むようにマリアの顔を見ている店長は何故だか妙に楽しそう。
「ちょっと意外な展開……でも協力関係を結ぶにあたっては良いんじゃないかしら? こう、政略結婚的な」
篁も笑っていたが、何やら企んでいるような怪しげな怖さがその顔から見てとれる。
「えっ? はい?」
そして、真田は展開に置いて行かれてあたふたと周りを見る。たった十秒ほどで激動だ。
何が何やらといった様子であったが、とりあえず協力してもらえるようになったとだけ理解した。後は面倒だったので考える事を止めた。
「ふふ、面白くなるわ……さて、何だか凄く急激だったけど、これで障害はなくなったわ。これで、正式に協力関係を結びましょう。同盟締結ね。一応だけど、代表の方と握手でもしておこうかしら」
話が再び進み始める。双方が全員了承しているのだから、もう誰も止めはしない。それは良いのだが、真田が納得できていないのはまた別の事だ。
代表という言葉を受けて当たり前のように先頭に立てる人物である宮村か単純に年長者である梶谷を前に出そうとしたが、何故か三人共に真田を前に出そうと道を開けていたのだ。ここまで話し合いの議長を務めてはいたが、それで代表にまでされるとは。
笑いながら「代表、頼んだぜぇ?」などと言って背中を押され、無理矢理に代表選出されてしまう。
「えぇー……何で僕が……その、どうぞ、よろしくお願いします」
「うん。よろしくね、前髪クン」
だからその呼び方は何なのだ。アレか、例の渾名なのか。そんな事を考えるやら何故か握手している手に妙にジットリとした視線を向けているマリアに何となく萎縮するやら、女性と握手しているだけでも緊張してしまうのに他にも心のメモリを圧迫する要素が多くて頭の中はゴチャゴチャである。
篁は離した手を数秒間だけ見詰めた後にまるで食べ物を冷ますように息を吹きかけてからマリアの手を取って「ほらほら、間接シェイクハンドー」などと二人じゃれている。




