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エル・イシュタールが生まれたのは、小さな山村の納屋だった。娼婦だった母は、父の名を決して明かさなかったが、エルは人里離れた山奥に住む、猟師の老人が父ではないかと思っていた。しかしその男も狩に出かけて戻って来なかった。長じてエルはバストークの傭兵団に入隊した。隊にはさまざまな男がいた。バストーク人、サンダイル人、イヴァリース人、英人もいた。純粋に金の為に戦う者もいれば、名誉の為、女にモテル為、戦いを愉しむ者もいた。しかしエルはそのいずれでもなかった。彼は自分の居場所を作る為に戦っていたのだった。彼は故郷の村では除け者だった。私生児の奴隷に誰が関心を払うだろうか?隣家に住む子供に石を投げつけられた。彼が路を通ると、酔漢から真ん中を通るなと殴られた事もある。物が盗まれると、女達の噂話の中心になった。財産と言えば己の肉体と身に纏った襤褸切れだけだった。
そんな彼にとって傭兵は天職のように思われた。入団の日、辻で応募者を募っていた団長に言われた。
「自分の可能性を信じてみないか?入団料は取るが……。」
殴りつけた。
憤る荒くれ男の中、団長は言った。
「必要なのはそれだけだ。」
殴り返された傷跡に、今でも微笑みと共に幻痛を覚える。この世界にたった一人になっても、やはり自分は傭兵になっただろう。そう思う。
後になって知ったが、そこは普通の傭兵団とは違っていた。
西大陸の南方、ゼテギネア帝国に燐した地にバストークはある。100年の間、絶え間ない進攻を受けていた山国の歴史は、国土の要塞化の歴史だ。峰の一つ一つが城であり、谷の一つ一つが堀だ。そこに住む部族は背高く、いずれも強悍で、弓と槍の名手であり、狩と戦を人生と捉え、山肌にある農地を耕したりしない。それは高原に住むゼテギネア人と捕虜の仕事だった。そうして100年の間、軍事力のみを磨き続けた。しかし人口が増え、国力が増すと戦士の数が余り始めた。
だから戦の合間、休戦になると国外に出稼ぎに出るようになる。言葉も通じず、独特の文化を持つ彼らは、自然と集団で各国に雇われた。
戦場での彼らの働きは恐るべきものだった。
いつしか”バストーク”と言えば、傭兵の代名詞になり、バストーク人が一人もいなくてもその名を冠する傭兵団が増えた。その方が通りが良く、また戦場で神が宿ると信ずる彼ら名を護符代わりにして……。
エルが入団したのは正真正銘バストークの一部族、ババンディギル族の集団だった。
彼らは変わっていた。
団長はサンダイル人で、隊の幹部も大半が他国人が占めていた。戦場も、報酬の分配も彼ら任せだった。関心がないようにも見えた。朴訥で寡黙な者が多く、誘われればついて来るが、酒保にも、売春宿にも自分からは行かず、文字を知らず、神も信じない。なぜなら神は宿るものであり、すなわち自分自身のことだから……。しかし傲慢なのかと言えばそうでは無く、陰気なようでいて子供の内は(彼らはほんの小さい時から戦場に出る)陽気で三里向こうから聞こえると言われるほど大声で笑う。当然と言えば当然だが、ここまで世界中に散らばると戦場で同国人同士で相対する事が頻発した。しかしそんな事も全く気にしないように見えた。愛国心が強いかと思えば、極端に個人主義的な所がある。つまり……良くわからない連中だった。
彼らは常に二人で狩をする。戦場でも同じで、ベテランと若手、協力して戦う。バストーク人はそのペアを‘卵‘と‘鶏‘と呼ぶ。そしてその考えは隊全体に及び、ペアを基本とし、2組集まって小隊長、中隊長、大隊長、少尉、中尉、大尉、少佐、中佐、大佐、少将、中将、大将で、机上では大将は8192人の傭兵どもを統率することになる。面白いのが団長は他におり、歴代の大将は全員バストーク人だった。そして大将になっても性向は変わらず、一傭兵同じように戦った。全ての位階が投票で選ばれる為、そのようになったのかも知れない。
エルは今年三十、‘卵‘と呼ばれるには年がいっているが、‘鶏‘と呼ばれるには若い。しかし隊の中では若手に分類される。なぜなら相棒のアイサディは50を過ぎている為だった。ただしペアは年齢によるのでは無く、戦歴による。エルはもう10年戦場を往来しているが、アイサディの戦歴は40年、10歳の頃から隊で立ち働いていた。
彼は生粋のバストーク人だった。
相棒になって2年だが、未だに分からない事が多い。戦乱相次ぐアースシーにあっても時間の大半は雇い主探しと待機に宛がわれた。その間、二人になると時間を持て余し、エルから話しかけるのだが、必ず最後は鶏の話になる。アイサディは故郷に‘豪邸‘を持っており(10人の妻が待つ荒野が豪邸呼べるのならだが)、多くの鶏を飼っている。彼は今まで出会った鶏を全て覚えており、許しがたい事にその内の一羽の名前は‘エル‘だ。そんな話しかしない彼だったが、話が退屈かと言えば、そうではなくて出会った鶏から今まで旅した各地の景色、風俗、戦場など多彩な話を引き出した。そして経験の積んだ傭兵らしく、小銭の稼ぎ方や女を口説く方法、そして戦場での生き残り方をバストーク人特有の訥々した喋り方で話すのだった。いつしか回りには人が集まり、野次を入れたり、笑ったり、涙に暮れたりした。隊の皆は傭兵らしくなく、バストーク人らしい彼を愛しているようだった。
だが戦場ではアイサディは一変した。
彼は‘神宿り‘を経験した事が無いと言い、そのことをひどく気にしていた。その為か、普通の傭兵が命を大事にする為、余り突出したがらないのに対し、時に皆殺しにする勢いで一人突き進んだ。剣が折れれば剣を、槍が折れれば槍を奪い取り、振るった。いつしか戦場で対峙する傭兵達から‘戦神‘と呼ばれるようになった。
その彼が救護所に運ばれたと聞いたエルは信じられなかった。戦闘がひと段落すると、すぐさま駆けつけた。天幕の中には、傷ついた兵士が大勢ひしめいていた。寝台が足りず、地面に直接横たわっている者もいた。その中に、‘戦神‘はいた。片腕と両足が無く、右目が潰れていたが、生きていた。残った瞳で宙を見、エルが傍らに立っているのに気がつくと言った。
「今日始めて神が宿ったよ。」
いつもの訥々とした喋り方ではなく、エルの知らない頃、子供に戻ったような陽気さだった。
「女を初めて経験するのを似ていた。始まるまではあれこれ考えるが、事が始まれば、後は自然の流れに身をまかせるだけだった。いつもは何人殺したかなんて、覚えていないが、今日は違った。一人一人の表情や、どこに槍を突き立てたか、どこに切りつけたかまで覚えてる。事の最中はあれこれ考える必要もなくて、向こうから倒されに来ているような感覚だった。相手の恐怖や、驚き、悲しみが伝わってきた。足の裏の芝生の感触、頬を撫でる風、頭上の太陽まで感じられた。神と合一した。そう信じられた。そう思った途端、相手の心がわからなくなり、刃を受けた。そして……このざまだ。」
そうして笑った。半生を戦場に生きた戦士の最後の言葉は、「卵が孵る時が来たな」だった。
エルは彼の事を理解出来なかった。何の喜びも無く、戦場での錯覚を信じ、死んでいた馬鹿な男だと思った。しかし自分が‘神宿り‘を経験すると、バストーク人が何故、あれほどこだわるのかが分かったような気がした。




