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ラ・カンパネッラの大鐘が日没を告げていた。帝国議事堂では、ベリウスによる最後の演説が行われている。
「今日は自由を欲する全ての民の祝祭の日である。今日と言う日を生き延び、ソウルポイントの平等な配布を受け取った者は、真の個人として、共に戦った同胞と誇りあい、古傷を見せ合い、思い出話にひたろう。そしてまた、今この世にいるすべての生物が滅び去っても、子供が、孫が、その恩恵を受けるであろう。我が同胞たる皇帝の子供達に祝福あれ。
」
円形の議場の半分に万雷の拍手が巻き起こった。そしてもう半分は野次を飛ばし、口笛を吹いてなんとか妨害しようとしている。気の早い者は、席を立ってベリウスに殴りかからんとして、穏健派に止められている。賛成派は、呼び寄せた多国籍軍によって、国境で戦闘を行われている事を盾にベリウス法をなんとか強行採決に持って行こうとしていた。普段は居眠りを決め込んでいる長老議員まで、大口を開けて叫んでいる。その横を正装した禁兵が巡回している。シオンはその様を無表情で見つめていた。バルバロスには平素と変わらないように見えたが、心中煮えくり返っているのが手に取るように分かった。‘奴隷王‘と揶揄されるほど、多くの農奴によって巨万の富を築き上げた彼にとって、今回の事は痛恨事なはずだ。もし法令が施行されれば、人間も亜人も解放される。彼の為に労働する者は一人もいなくなるだろう。それだけではない。旧悪を追求されれば、身の破滅となる。
決闘を禁止する‘赤線‘を境に、議場は真っ二つに割れていた。持てる者と持たざる者に。
各国の王侯、貴族、大商人と市民議員、下級騎士、手工業者は互いに罵り合っていた。バルバロスは不思議でならなかった。シオンは何故投票日までこの事態を放置していたのだろう。自分の不利益になるのは目に見えていたのに。首魁の一人や二人、暗殺しておいて、分権派か無神論者に罪を着せれば済む事では無いか。
「ユグドラシル帝国元首、シオン・エルファーラウィー。」
シオンが立ち上がるとそれまで騒然としていた議場は水を打ったように静まり返った。トーガを翻してしずしずと歩き、人口が膾炙する美麗な白皙の表を皆が注視した。半妖精ゆえの長命から、開闢以来のその容姿は変わっていない。やがて壇上にたどり着くと、ベリウスが右手を差し出して来た。息を呑む声が聞こえる。シオンが無視して突き進むとどよめきが起こった。ベリウスは苦笑いして席に戻った。
壇上に立ったシオンが口を開くのと同時に、議場の扉が音を立てて閉まった。
「昨今の情勢を鑑みるに、経済不安、地域紛争、人種差別が……。」
バルバロスは後ろを振り返った。数人の禁兵が扉を開けようと四苦八苦している。何故扉を閉めたのだ?
「さらには、汚職、殺人、強姦、略奪が頻発し……。」
ベリウスに禁兵が話しているのが見えた。その左右の景色が陽炎のように揺らめている。
「ベリウス法(資産均等機会法)は一見善政のように思われるが、社会不安を増大させ……。」
どこからか子供の泣き声が聞こえた。
「国境で戦闘が行われている事を背景に、法を成立させようとするのは、執政権の著しい侵害であり……。」
ベリウスの周囲が陽炎のように沸き立つ。
「皇帝の御名に於いてベリウスとその一党を反逆罪で告発する。」
人型を取った揺らめきを見てベリウスが叫んだ。
「”影”だ!」
いっせいに議場のカーテンが閉められ、天井のシャンデリアの蝋燭が消える。
暗闇の中、恐慌が起こり議員達が出口に殺到する。ぼんやりとした揺らぎから7人の英霊が立ち上がる。禁兵が刀を抜いた。バルバロスがシオンに駆け寄る。ベリウスが巨人王の棍棒をその身に受ける。脳漿が飛び散った。長老議員が悲鳴を上げる。ハイ・エルフの射手が回廊から弓を放ち、‘赤線‘が血痕に染まった。白刃の音が闇に響く。死霊使いがデーモンを召還した。騎士が素手で立ち向かおうとしている。禁兵が扉に向かうが、古王のメイスに吹き飛ばされる。数人が窓を蹴破って外に出ようとしていた。壁が轟音と共に破壊され、竜王が頭を出すと、慄く議員をかみ殺した。魔王が”火球”の呪文を唱える。真昼のごとき明るさに、恐怖に打ち震える議員、必死の形相で折れた刀を杖になおも立ち向かおうとしている禁兵、平素と変わらぬシオンが浮かび上がった。一転して再び暗闇となる。怒号が響き、哀願の声、すすり泣き、苦痛の絶叫が議場に木霊する。やがてそれも静まり、炎の精霊が出現すると、議場が明るくなり、辺りは阿鼻叫喚の体をなしていた。賛成派の議員は全員殺害され、反対派の議員も呆然と座り込んだり、意味の無いことを叫んでいたりした。竜王の轟く鼻息がバルバロスの耳に届いていた。
「こんな、こんなことをしなくても……。」
「仕方なかった。」
「だからと言って、他に方法はなかったんですか?」
「皇帝がいなくなった。」
バルバロスは耳を疑った。それは天地が逆転するほどありえない話だ。‘砂の間‘に鎮座する皇帝のおかげでソウルポイントは循環し、世は平らかに治められているのではないか。力の源がいなくなれば、アースシーはどうなっていくのか。全く予想できない。
「居場所は分かっている。覇王の陣中だ。」
「どうするのです?」
「取り返す……しかあるまい。」
「”影”を使ってですか。」
「その為の英霊だ。」
バルバロスは8人の英霊を見わたした。
魔王、竜王、精霊王、妖精王、古王、巨人王、死霊王、おかしい、一人足りないのではないか? 人間の英霊がいないようだった。どこにいるのだろうか。




