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多くの従者達が立ち働いている。その中央に位置する円卓には幾多の果物がうず高く積まれていた。零れ落ちそうなほど。
覇王の好みだった。果物は季節によって採れる物が違う。にもかかわらず、覇王は食膳にありとあらゆる果物をのせ、興ずる事を要求した。自身の権力と版図の強大さを確認する儀式なのだと延臣達は自身に頷く。
大天幕の中では、盛大な宴が催されている。各国の大使が引きも切らず簡易的というにはあまりに豪奢な玉座に坐るティラノスの元へ、会談を求める。彼は鷹揚にうなずきながら美麗字句を駆使して結論を先延ばしにしていた。なぜなら玉座に坐っているのは影武者にすぎないからだった。
本当のティラノスは陣にいる。彼は如何なる魔法的な能力も身に着けていなかったが、兵と同じ食事を取り、眠り、辛苦を共にすると言う点で、他の王侯と違っていた。第一王子とは言え、マナを持たないために父王に疎んじられて、追放されたのにもかかわらず、王座につけたのはとてつもない働き者であるという事と、慣習に惑わされない先進性のためだった。影武者に豪奢な生活をさせているのはその方が何かと都合がいいからにすぎない。
「出来たか。」
幕舎に入るなり、開口一番そう切り出した。彼の言葉は常に短い。その意図を把握出来ず、解雇された秘書は数知れない。
「後二時間で完成です。」
アモルファスがそう返した。ゴーレムが出現したと聞いたティラノスはすぐさまカタパルトの組み立てを命じたのだった。
幕舎は兵士が使う天幕とは違い、ティラノスが遊牧民族を征服した時にその利便性に目をつけ使い始めたものだ。自らを文明人と任じているサンダイル人は嫌がったが、その利点は明らかだった。まず持ち運びに便利で、短い時間で組み立てが出来、頑丈で、通気性が良いため夏涼しく、冬暖かい。表面に獣皮を使用しているため、矢も貫通しない。
しかしゴーレムは何の痛痒も感じずに踏み潰してゆくだろう。いかな覇王と言えども、ゴーレムと戦った経験はなかった。
「半時間だ。」
そう言い捨てると、常に開放されている入り口から出て行った。
ラトラスの白い城壁に沿って三角天幕が規則正しく並んでいる。午後の日差しは強烈で、兵士達は顔面汗にまみれながら立ち働いていたが、ティラノスを見ると、作業を止め、集合地点に急いだ。夏の草花を踏みしだきながら、ティラノスはずんずん進んで行く。歩きながら、近衆が鎧を装着させていく。最後に兜を受け取ると、愛馬グリーンフィンデルに跨り、大音声を発した。
出発の合図だった。苦戦している竜騎兵を助けなければならない。2万の兵力と言えども時間稼ぎが精一杯だろう。しかし今この瞬間は勝利することだけを考えていた。そしてもう一つ。
(あの子を帰してやらねばなるまい。)
珍しく後を振り返った。
アモルファスの傍らには、子がいた。喧しい宮廷の延臣は征服欲から帝都に攻め込むのだと信じているが、実際は違う。ティラノスにとって、文化の粋を集めたと言われるオラシオンも、万物の源であり、この世界の要石である皇帝もどうでも良かった。人生の下り坂にさしかかり、これまでの所行を振り返ると、戦慄する。長い戦争、短い平和。マナを持たない自分がどこまでいけるのか、そんな個人的な理由から戦い始めた。二十歳の年から三十年、気がつけば覇王と恐れられ、一挙手一投足に人民が注視する。そんな支配者としての顔の他に、もう一つの一面をティラノスは持っていた。
(ソフィア……)
彼女は健やかだろうか。幾多の出会いと別れの中でティラノスと共にあり続けた女性。覇王の子を身ごもったことを知ると、黙って去っていった女性。彼女のたった一つの望み。「この子を帰してやって下さい。」
硝子を通して日差しが降り注ぐ。サンルームには季節の植物が、匂い立つような芳香を放ち、果物がたわわに実っていた。籐椅子に腰掛けた初老の女性。傍らに立つ男は今では皮膚とかした甲冑を身に着けている。
「いずことも知れない世界から来た子供です。オラシオンの皇帝なら、きっと帰すことができるでしょう。」
「俺がオラシオンに行く意味を知っているか?」
ソフィアは微笑んだ。心底悲しそうに。
「覇王の野望もここに極まれり……ですね。」
「承知。」
他になんと言えばよかったのか。その子供が自子であるかもしれないことに、どれほどティラノスがこだわっているのかを、彼女は知って言っているのだった。
覇王に後継者はいなかった。
自分が死ねば、第二帝国は分裂するだろう。人生は須臾。せめて最後くらい善行をして人生の幕を閉じたいと思うのは感傷だろうか。
サンダイルの槍兵、イヴァリースの騎兵、バストークの傭兵団が整列している。ティラノスの合図に進発した。
(死への行進だ。)
ストーンゴーレムの巨椀が兵士を吹き飛ばす。一転、空が暗くなり、豪雨のような矢が降り注ぐ。繰り返し、繰り返し竜が炎を吐き、ランスが石とぶつかる打撃音が辺りに響く。騎兵がゴーレムの足元でぐるぐる輪乗りをしている。声が枯れた百人長の怒号が響く。カタパルトが唸りを上げ、巨石を放り投げる。ユウは疲れ果てた竜をゴーレムに体当たりさせた。続いてガーも足に向かってぶつかってゆく。轟音と共にゴーレムが倒れた。ティラノスはグリーンフィンデルで先頭を駆ける。蟻が甲虫に襲い掛かるように、兵が群がってゆく。倒されたゴーレムはなおも人馬を引きちぎり、押しつぶす。
「ロードスの竜騎兵よ!」
ティラノスは空に向かって叫んだ。
「このままでは全滅する。元を断たねばならぬ。」
「いずこに?」
「帝都。」
ユウはレンの乗騎、アガニメールが血溜りの中に突っ伏すのを見た。皇帝の元に返ったのだった。
(東へ)
今では10騎に減った竜が翔る。




