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ユウ・ティトンは重い甲冑の中で身じろぎし、長い祈りの言葉を唱えた。家族の健康と心の平安を祈り、次いで今度の作戦がうまくいくことを祈った。左右を見わたすと雲海を眼下に十一騎の竜騎士が飛翔している。やはり祈りを捧げているのか、それとも何時もどおり何も考えていないのか、外からはわからなかった。鞍の下でワールウインドがユウの不安を感じ取っているのか、目を開き瞬いた。安心させるために軽く叩く。それでも不安は消えなかった。
心配の種はいくらでもあった。今度の作戦はうまくいくのか、いや、そもそもこれが初陣である自分が本当に部隊を指揮できるのだろうか。地上部隊は時間通り進攻してくれるだろうか。内通者がいると聞いたが、連絡は取れるのか。裏切り者を信用出来るのか。悩みは尽きない。
1947年8月14日午後3時頃だった。ユウは11騎の仲間と共に、ユグドラシル帝国に侵入するために、国境の上空を旋回していた。今作戦の為に2万の歩兵と5千の騎兵、50隻の軍船が用意された。そして12騎の竜騎士。ユウは仲間達の顔をすぐさま思い浮かべることが出来た。竜の夢を通して、他人にはうかがい知れない絆があった。彼らは(部隊の紅一点アミアを除く)人里離れた村落で幼少の頃から共に育ち、学び、遊んだ。すべては竜に乗るために。若くして竜に殺されたために竜騎士になることを義務ずけられ、竜の夢としか存在していない彼らは、いわば死人と同じだった。だが、長命強大な竜は滅多に死なないため、彼らはごく普通の子供として育った。共に泣き、笑い、竜に乗る為に、人里離れた山奥で竜と共に暮らした。獣肉を食べ、泥水を啜り、洞穴で雨を防いで、日々、竜の心を知ろうと勤めた。名前を教えあった仲間が、次の日には飢えて屍となっている事も珍しくなかった。そして彼らは生き残った。地上最強の生物である竜の乗り手として。
”宇宙樹”全体を見れば辺境に過ぎないロードスの竜騎士にとって世界を意味するユグドラシルの帝都、オラシオンは憧れの地だった。しかも、その皇帝を救いに行くとなればなおさらで、自分達は最強の戦士だと言う強烈な自負とも自惚れとも取れる感情から、楽観的になるのは仕方が無かった。しかしユウはオラシオンに立ち寄ったことがある為、そうした仲間達の風潮が不安でならなかった。
(そろそろ時間だ)
竜の夢を使ってガー・エプソマが報告する。彼は部隊一の年長で、生きていれば今年いわゆる”40”になる。派手好きで、竜騎士標準の‘棺桶‘と揶揄される超重量の甲冑に飽き足らず、兜に一本の巨大なスパイクを埋め込んでいる。そして盾には半裸の女が描かれていた。そんな野卑とも取れる趣味の持ち主だったが、年長者らしく部隊のまとめ役で、面倒見もいい。ユウの最も信頼する男だった。
(地上部隊は?)
(まだだ。覇王も案外頼りにならないな。)
ユウは舌打ちした。地上部隊と連携して攻め込む予定がこれで崩れた。内通者を見殺しには出来ない。
(仕方ない。中隊、進発する。)
旋回していた竜が翼を窄め、雲海に突入していく。視界を雲が横切ってゆく。風がごうごうと鳴り、一気に下降したせいで、視界が狭くなり、耳鳴りがし始めた。脳の血管が引き千切れる音がする。ガー、ケラトゥドゥス、レン、アネクテンス、ポリプテル、メギナス、アミア、フガイシュ、ラスボラ、プンティウス、ダニオ、そしてユウの順だった。
眼下にうっすらと見え始めた優美な町、国境のラトラスだ。左右に海が広がり、赤レンガの路と屋根、そして白漆喰の壁が美しい地峡の地で、尖塔が立ち並ぶオラシオンと比べると高い建物が少ない。唯一異彩を放っているのは、大騒動の末に削岩された運河、そこに立つ国境の城だけだった。
始めに異変に気がついたのはラスボラだった。
(妙だ。)
(田舎者のひがみか?)
レンがまぜっかえす。
(そうじゃない!)
一番の年少であるラスボラの紅潮した顔が目に浮かぶようだった。
(なんだ、言ってみろ。)
(城の楼閣に衛兵がいない。)
(中でサボってるんじゃないか?)
(地上軍が進攻して来るのにか)
ガーの語調には緊張がこもっていた。言われてみれば、確かに不自然だった。城は用途としては関所にすぎなかったが、大きさは桁違いだ。その城郭に人の姿がまるでない。
(逃げた、とも考えられる……。)
(オラシオンの腰抜けらしいな。)
ユウは時間も空間も無い、ただ一人の孤独な場所、暗黒の中、瞑想する。こうでもしないと竜の夢に接続された全員にばれてしまうので、おちおち独り言も言えない。
<俺が行くか。いや、駄目だな。
誰に行かせるか、それが問題だった。いつもの演習ならユウ自身が偵察に行く状況だったが、いまは指揮官だ。うかつに動いて消滅する場合もある。その覚悟は”鎧の試練”でつけて来た。だが歩兵一万人を養う金がかかってる竜とその付属品を失えばそれだけで国力が損なわれる。その意味で、自分と同様にガーも真っ先に除外される。
人によって判断に差異が生じるだろう。戦力にならない者を捨て駒にするという非情な選択もありうる。だが自分は信頼出来る者を選びたい。信頼できて、生存能力が高く、個人で動ける竜騎士を。一瞬彼女の存在を想い、硬直した。しかし振り切って、
(プンティウス。城を策敵しろ。)
(はいよ。)
飄々とした返事が返って来た。
プンティウスは今作戦の前、実家に帰った時、母親に聞かれた事がある。
「今度はいつ帰って来るの?」
母親は今でもプンティウスが死んだ事を受け入れていない。山に山菜を取りに行った息子は、”なわばり”に侵入されたことを怒った竜に咬み殺された。変わり果てた息子の死体を前に茫然自失で立ち尽くしたことも、葬儀で涙を流して現実を否定していたことも、死んだ息子が竜に乗って帰ってきたことも。山菜鍋を囲んで、幼い末娘は兄の帰りを喜び、父親は沈黙している。息子は以前と変わりないように見えた。母を労わる優しさも、父親に対する真摯な態度も、妹をからかうどこかとぼけたような表情も。
羊飼いの朝は早い。出発の日、プンティウススは事情を説明しようと努めた。高原の清冽な空気の中、竜を背後に珍しく熱心に話す息子を、母親は他人を見るような目で見ていた。プンティウスは最早ここに自分の居場所が無いことを悟った。だから彼にとって隊はただ仕事をする所ではない。文字通り全てであった。
風切り音と共に滑空して城に近づく。テールウィップに乗って初めて気がついたことがある。飛翔する喜びだった。話に聞いていた竜騎士はもっと荘厳なもので、アースシーを平らかに統治する皇帝のように物語の中の住人だった。しかし竜の乗り手になると、自らが竜の夢にすぎないことを忘れる瞬間がある。今がそうだった。ただひたすらに速く、力強く、どこまでも飛翔する。そんな時、竜そのものになったような感覚を覚える。その心が分かり、竜の目で見ているような。心中に力が沸いてくる。自分は地上最強の生物、歯向かう奴は咬み殺してやる。
ラトラスに咆哮が鳴り響いた。
街の中心を貫く路に市民がばらばらと出て来る。テールウィップを指差して何か叫んでいた。隊列を組んだ衛兵がその背後から前進し、弩を巻き上げる。プンティウスは笑った。例え大弩の直撃を受けても、この距離では貫通することは難しい。弩ではなおさらで、初矢まで一分もかかる兵器では、準備しておかなければただの重荷だ。
無視して突き進む。
城郭を飛び越え、天守に直立する四つの楼閣、その上空に出た。大きい。これなら百人や二百人ではかえって守りきれないだろう。戦時には千人程度詰めていると考えた方がいい。今次の作戦には、”火球”の使用が許可されていた。時期は基本的に自由裁量に任されているが、常識的に考えて千人の篭る城に向かって使用すれば全員助からない。それではただの虐殺だ。なんとかおびき寄せる方法を考えなければならない。さっきはうまくいったが、圧倒的戦力差がいつも有利になるとは限らないようだ。
門にも、楼閣にも人影が無い。天守をもっとよく見ようと、停止飛翔する。
(下がれ!)
プンティウスは驚愕した。テールウィップの意思を初めて聞くと共に、城の楼閣がぐんと伸び、竜を鷲づかみにしたからだった。骨が軋む音がする。
城が地響きを立てて動き出す。
砂煙が舞い、小山ほどの大きさになったストーンゴーレムは、竜を放り投げると、両手を組み、頭めがけて振り下ろした。プンティウスの脳裏に母親の声が蘇った。
「今度はいつ帰って来るの?」
ユウはテールウィップの頭蓋骨が砕ける音を聞いた。彼の悲しみの声も。




