<15>
ティラノスは剣を振りかぶった。
「お止め下さい。」
フリンが言った。
「何故止める?こいつは影だ。」
「影?その男がですか。」
黎明が、うずくまり白髪頭を伏せた男、固唾を飲んで見守っている第三軍の兵士達、普段のおどけた様子とはかけ離れたフリンを照らした。
「何故斬るのです。」
「こいつは反乱の首謀者だ。」
「軍法に極刑は無いはずです。」
ティラノスは返答に窮した。
「それでも自ら手を下そうとするのは何故ですか?」
そう、いつもならこんなことはしない。自分でも分からなかった。
「あなたは自分の弱さを認識していない。」
吃驚した。そんな一丁前の言葉を吐くなんて、あの泣き虫フリンとは思えない。
「僕を殴った理由、それを思い返して下さい。」
少年時代、逼塞した環境、鬱屈した感情を持て余して暴力に逃げた事があった。その対象は自分より弱い者、大概がフリンだった。
「さぞ嫌だったろうな、あれだけ頻繁に殴られれば……。」
「それが間違いだと言っているのです。」
「何?」
「確かに殴られたのは痛かったですよ。ティースは力が強いから。」
一寸笑って、
「でもいっしょにいるのは嫌ではありませんでした。あなたは僕を必要としていた。今よりももっと。」
「そんな昔話、何の意味も無い」
「そう、何の意味もありません。あなたの劣等感も。」
「なっ、お前は、何を。」
「皆、聞け!」
フリンは第三軍、騒動が起こっていると聞いて集まって来た兵士達、寝ぼけ眼の延臣、各国の大使に向けて呼びかけた。まるでティラノスのように。
「この中に覇王が父王に追放された事を知らない者はいるか?」
群集は首を振った。
「魔力が無いことは?」
「誰だって知ってるさ。」
「そうさ。」
「それがどうしたんです?」
「子供が生まれたことを知らない者はいるか?」
「馬鹿、止せ!」
「みんな知っている。」
「おい、それは秘密なんだろ。」
「でも参謀がああ言うから……。」
「こっそりお祝いしたよな。」
「ああ、あの夜は楽しかったな。」
「劣等感に日夜苛まれていることは?」
「知ってる。」
「それは秘密でもなんでもないよな。」
「ああ。」
「いかがです?」
ティラノスは顔面蒼白で立ち尽くしていた。
「あなたの認識している世界、それは誤解し、思い込み、弱さを大きくしているだけのことです。」
「貴様……。」
「ティースの過去は歪み、劣等感の根拠は無く、追放された事、母君が流浪の末に死去された事を自分のせいだと思い込み、得た物より失った物の方が多いと感じて、強者だから人が付いて来ると信じ、苦痛を隠しています。」
「フリン、お前は……。」
「でも本当の世界は違います。あなたは青春を謳歌し、誰よりも心強く、失った物よりも得た者の方が多いのです。父君の事、母君の事はどうしようもなかった。あなたは子供だったんですから。そして何より……。」
フリンの厳しい表情が緩み、笑顔になった。染み入るようだった。
「広大な土地を支配し、人民があなたの命令に唯々諾々と従うのはあなたの弱さの為、弱さを強さに変える力の為です。」
「そうだ!」
「覇王だから付いて来たわけじゃない。」
「誰よりも速く先陣を切る。」
「一兵卒とも気軽に話す。」
「戦友と呼んでくれる。」
「同じ飯を食う。」
「誰よりも働く。」
「部下を褒めてくれる。」
「だから付いて行くんだ。」
「ティース万歳!」
自然に歌が始まった。これまで陰でこそこそ口ずさんでいた歌。覇王の一代記。
幸福な少年時代、魔力を無い事の発覚、追放された悲しみ、母の死、気の置けない仲間達、その武勲を。
合唱する部下を不思議なものを見るような眼でティラノスは見つめた。
「分かってくれましたか?」
「ふんっ。」
ティラノスはフリンを軽く小突いた。照れくさそうにフリンが背後に下がった。
「影よ。」
仰向いた顔は死の恐怖に怯えているただの男だった。
「お前が私の影ならば、許すわけにはいかない。お前も、私自身も。」
フリンの心配そうな視線を感じた。
「罰を与える。鞭打ち10回だ。」
歓声が上がった。
打たれる男はどこか安堵したように、粛々と刑についた。
再び歌が大きくなる。今度の歌には新たなくだりが付け加えられた。覇王が自らの弱さと向き合い、勝利した、その武勲が……。