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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

鳥篭

作者: 杜々裏戸

文学ではないと思われるので2。流血等の表現があるのでご注意下さい。残酷な描写ではないと思うのですが、流血表記があるので念の為にタグ付きです。



彼女が閉じ篭るようになった原因が何か、正直いって詳しくは知らない。

 ただ外の世界で何事かが起こって、その所為で彼女は、彼女の小規模な世界から出られなくなったのだと人伝に聞いただけだ。

 把握し理解しているのは、その日以来彼女が変わったこと。

 有体の言葉だが、あれだけ明るく活発だった彼女が、まるで(ヒビ)の入った硝子の人形のようになってしまったのは、意外といえば意外だった。

 まるで天才の人形師が外見だけ彼女に似せて作り、中身は正反対のものを押し込めたようだ。それほど彼女は完璧に、真逆。




 重苦しく締め切ったカーテンの上に、更に何枚もカーテンが吊り下がっている。

 誰か名のある作家の作なのか、繊細に渦を巻いた傘の下、照明はもう長い間灯りを灯されることも無く闇の中で打ち沈んでいる。

 足元に散らばる布は眠り姫の脱ぎ散らかした着替えか、それともベッドから落とされたシーツだろうか。一つ一つを取り上げて畳み、無人のソファに積み重ねる。

「いるの?」

 鈴を転がすような声、小鳥の羽ばたきのような声。――乾涸びた老婆のような少女の声が、かさりと小さな音を立てる。

「ええ」

 応えを返すと、近くで身じろぐ気配がした。

 暗闇に慣れた視界にベッドの天蓋から下がるカーテンが揺れ、浮き上がるように真っ白な姿が現れる。

 色彩の感覚など麻痺した部屋の中、長い髪に縁取られた少女の頬、猫のように大きな目が瞬いて存在を確認するように。

「待っていたのよ。ねえ、猫は空を飛べるかしら。仔犬に鱗はあるかしら」

 歩み寄ってきた小さな身体に腕を取られて、甲高い子供の声が楽しげに揺れ動く。

「豚に角はあるのかしら。馬は地面に潜って、象くらいある鼠は居るの?」

「…………、さあ……」

「なんだ、つまらない。あなたも知らないのね」

 少女が唇を尖らせて、抱き込んでいた腕を離した。

 開放された腕で足元の布を拾い上げ、それも畳んでソファの上――に、積み重ねた上に置く。

 答えずにいると、彼女は猫のような目を猫のように動かして、自分の真っ白な手首を口に運んだ。噛み跡だらけの薄い皮膚から、ぽたり。溢れ出た雫も黒色で。

「わたしには分かるのよ。どうしてかしら」

 まっすぐに伸ばした腕から、ぽとり、ぽとり。

 暗い世界で闇の入り口のように真っ黒な雫が床に落ちて、小さな小さな水溜りを作る。

 ぽとり、ぽとり。……ぽたり。

 身じろぎもしない彼女の目が、睫の下でからりと乾いて、透明な鎖のように絡み付いて離さない。

「痛いのよ」

「…………」

「苦しいの」

「…………」

「それなのに、誰も分かってくれないのね……そして」

 暗闇の中で仄白い足が小さな黒い池をびちゃりと踏み潰す。

 侵食されるように黒い赤が幼い足先を塗り潰し、まるで呑み込まれるかのように。

 ちんまりとした唇が開き、最後の音を、世界に捨てる。

「誰も分かってくれないことを、人は弱さだと蔑んで、侮辱の理由にするんだわ」

 金色の光を纏って、大きな眸が瞬いた。猫のように。



 彼女は狂っている。

 いつから狂っていたのか覚えているかと誰かに聞かれても、答えられる自信が無い。

 他人(ひと)がその狂気をどんな風に表現するのかも知らない。箍が外れたような、頭の螺子が取れたような、正気を失ったような。何とでも表現出来る“狂い”。

 果たして彼女がその狂気に蝕まれているのか、呑み込まれてしまったのか、それとも彼女自身が生み出しているのかを知る術は無い。

 彼女は狂っている。他に的確な言葉が無いほど完璧に、完全に。狂っている。

 だが――だが、それが何だというのだろうかと、頭の中で声が囁く。

 そうだ確かに、彼女は違いようもなく狂っている、いっそ純粋なほどに。だが、それがどうしたというのだろう。狂っている(、、、、、)のは誰し(、、、、)も同じで(、、、、)はないか(、、、、)

 雑多な宗教と複数の倫理観、理解し得ない矛盾した認識に、幾度も塗り替えられてはまた作り直される常識と呼ばれる檻。

 格子の間から腕を伸ばそうものなら瞬く間に斧と化した定義が振り下ろされ、鈍った神経を貪るように切り刻んでいく。

 どう盛り付けられても貧相でしかない細切れの人間は、銀の皿の上で為す術も無く空っぽの食卓を見詰めるのだろう。

 そしてそれら“正常”な全ての先に広がる、何処までも続く真っ白な道…………けれどその上を歩こうものなら、檻の中で嘲笑う食材の蔑みが降り注ぐのだ。

 矛盾と混沌、混乱と汚濁に塗り固められた世界の中でさも真っ当な顔をしながら、誰もが狂った頭を抱えて白い物を黒と呼ぶ。

 終わりの見えない空白を胸に抱えて頭上の刃に怯え、或いはその存在すらも忘れ去って、鮮やかに疎ましく色とりどりに塗られた粗雑な壁を前にして――それが希望だと、誰かが叫んだ。




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