第7話『間に合ってくれ私の足!』
修道院はまるごとひっくり返されたような騒ぎになった。
講堂、食堂、告解室、修道長室から孤児たちの寝室まで。
聖教騎士団は手分けして、修道院中を徹底的に探し回っている。
それでも行方不明のマーガリンは見つからない。
「これで地上階はあらかた見終わったか。では次だな」
騎士の一人がそう言った瞬間、私の心臓はぴたりと止まった。
「修道長、地下の案内を頼めるか」
「ち、地下もご覧になりたいのかしら……?」
修道長の声が、ほんの少しだけ上ずる。
私はその揺らぎを聞き逃さなかった。
「うちの地下には、使われていない倉庫ぐらいしかございませんよ。いまは湿気も強く、古い備品ばかりが積まれていて危険です。子供たちも近づけておりませんの」
嘘だ。
そこはつい先日までコロリがぶち込まれていた懲罰房だ。
つまりこのお婆さんは、懲罰房の存在を騎士団の前ではなかったことにしたいのだ。
そりゃあ神聖ぶった修道院に子供を閉じ込める独房なんてあっちゃあまずい。
なら、利用させてもらう。
「ねえ騎士様、地下に入るの? その格好で?」
私は心配するふりをして、騎士の白い外套を指さした。
「ああ、そのつもりだが」
「ほんとに大丈夫? すごいことになるよ」
修道長が一瞬だけこちらを見る。
“余計なことを言うな”ではなく“今はそれでいい”という目だった。
「騎士様やめときなよ。ほこりっぽいし。それに臭いし」
「ええそうなのです。昔は配給用の肉や牛乳を保管しておりましたもので……古い脂やカビなんかが……」
しめた。
修道長が乗ってきた。
そのときだった。
「アルさーん」
コロリが真っ黒な毛玉みたいなものを抱えて近づいてくる。
「ん? なにその黒いの……うわ、くさっ!?」
「んもう、ひどいです。これはピヨシですよ」
「ぴよっし……」
毛玉の正体はピヨシだった。
ススとほこりと地下の臭いを全身にまとって、なんか瘴気を放っている。
「じつはこの子が“地下”に迷い込んじゃいまして」
それを聞いた瞬間、騎士が眉をひそめながら自分の真っ白な外套を見る。
この毛玉ピヨシみたいになる自分の姿を想像してしまったのだろう。
もう誰が見ても、あきらかに嫌そうな顔だ。
コロリこいつ。
この状況を見越してピヨシを地下で転がしてきやがったな。
「あー、おほん。それでは念のため……任務だから、一応な」
騎士は灯りをかかげて地下への階段を二、三歩おりた。
そして奥を覗き込み、すぐに顔をしかめる。
渋い顔で引き返してくるなり、自分の髪や外套の臭いをくんくん嗅ぎはじめた。
「……うむ。確認した限り、異常はなさそうだな」
異常のかたまりが、階段のずっと先にあるんだけどね。
「騎士様、今後ともわたくしどもは協力を惜しみませんので」
そんな建前を恥ずかしげもなく述べながら、修道長はニコリ笑う。
その笑顔の下では、だらっだらに冷や汗をかいてるくせに。
ともあれ、今夜の捜索はしのげた。
それだけは間違いない。
私たち三人と一匹は、びしっと敬礼する騎士を見送った。
善人の仮面の下で、ほっと一息をつきながら。
「アレクシス」
「……はい、修道長先生」
「軽率なことは慎みなさい。いまは修道院の名誉に関わる非常事態なのですからね」
あんたの名誉でしょ。
と思ったけどもちろん口には出さない。
「はい。わかりました」
修道長は私の顔をじっと見た。
柔らかい偽物の笑顔のまま、鋭い目で。
それ以上は何も言わず、きびすを返す。
たぶん。いや、絶対に。
修道長は私たちを疑っている。
そもそもマーガリンと最後に会っていたのは私たちなのだから当然だ。
「アルさん、すごい顔ですよ。世界の終わりみたいです」
「世界の終わりだからね。ピヨシ……洗いながら今後のことを考えよう」
私とコロリは中庭でピヨシの汚れを落としてやった。
だけど心の中には、地下に隠した秘密がずっと影を落としている。
今夜はしのげた。
だけど、しのげただけだ。
…………。
その夜は、ろくに眠れなかった。
寝返りを打つたびに、地下で石になっているマーガリンの顔がまぶたの裏に浮かぶ。
あの驚いたまま固まった顔。
今にも「お前を見つけたぞ」と言い出しそうな、あの目。
ありえない。石像だよ。
頭ではそうわかっているのに、何度も飛び起きそうになった。
隣のベッドではコロリがすやすや眠っている。
なんなんだこいつは。
騎士ひとりを石に変えて地下に隠した当日に。
どうしてそんな穏やかで健やかな寝息を立てられるんだ。
「……大物すぎる」
小さくつぶやいて、私は毛布を頭までかぶった。
でも眠れない。眠れるわけがない。
考えれば考えるほど、ろくでもない未来しか浮かんでこない。
……いや、違う。
考えるなら、やるべきことを考えろアレクシス。
明日になったら、もう一度地下を見にいこう。
上手く隠したとはいえ、ほころびがないか確認しないと。
そう心に決めたところで、ようやく少しだけ意識が遠のいた。
………………。
…………。
……。
翌朝は嫌になるほどいつもどおりに始まった。
鐘が鳴って、みんなで起きて、黒い修道服に着替えて、講堂で長々と祈る。
ただし今日は、講堂の隅に騎士が立っていた。
いくら目を閉じて祈るふりをしても、気配でわかる。
黒い服の群れの中に白い外套があれば、そりゃあ目立つ。
子供たちも落ち着かない。
いつもなら眠気と退屈でうんざりするお祈りの時間なのに。
今日はみんなそわそわしている。
私はというと、祈りの言葉なんてひとつも頭に入ってこなかった。
地下のことで頭がいっぱいだったから。
「アレクシス。今日もお祈りに身が入っていませんね」
修道長の声音はいつも通り柔らかい。
表面上は。
「……はい、修道長先生」
修道長はにっこり笑っている。
笑っているのに、視線だけがやけに鋭かった。
ああ、やっぱり疑ってる。
少なくとも“何かある”とは思ってる。
そりゃそうだ。
昨夜、地下へ入るのを止めたのは私だし。
マーガリンと最後に話していたのも私たちだ。
朝のお祈りが終わると、騎士たちがまた修道院の中を歩き回り始めた。
仮にもマーガリンの最終目撃現場だ。
しばらくは人を配置しておくつもりなのだろう。
修道長も今日はいつも以上にきびきびしている。
作り笑顔が、ほんの少しだけ硬い。
完全保身モード、といったところか。
お祈りのあとは朝食の時間だ。
孤児もシスターもみんな食堂に集まって、静かにパンを頬張り、スープをすする。
いつもは私語の少ないこの場所でも、今日はあちこちでひそひそ声がしていた。
「騎士様って、あの女の人だよね?」
「逃げたんじゃない?」
「なにから? 異端者とか?」
やめてくれ。
その話題は私の胃にくる。
「……アルさん、アルさん」
隣の席でパンをむしゃむしゃしていたコロリが、小声で話しかけてきた。
「食べないんですか?」
「逆に聞きたいんだけど、食べれると思う?」
案の定だよ。
喉通らないよ。
隣に目をやると、コロリはまるでいつもどおり。
朝食をペロリとたいらげて、ピヨシにパンくずをあげていた。
「コロリは、なんでそんなに平然としていられるのさ」
「心配しても何も変わりませんから」
あっけらかんとそんなことを言う。
同じ10歳のはずなのに、どうしてこうもどっしり構えていられるのか。
人生の経験値に10倍ぐらい差がある気がする。
絶対にそんなはずないけど。
「……危機感は持ってよ」
「もちろんです。ねえピヨシ」
「ぴよっし」
「そいつも大概爆弾なんだよね」
今度は修道長が石になってみな。
トブぞ。私の意識が。
そのとき、食堂の入り口で修道長が子供たちを見回しながら咳払いをした。
「みなさん。今日はあまりうろうろしないように。騎士様方の捜索のさまたげになりますからね」
わざわざ釘を刺すあたり、修道長も相当気にしているようだ。
騎士たちの前でわざわざ聞こえるように言ってるし。
朝食を終えたあとも、修道院の空気は重いままだった。
シスターたちはいつも以上に静かに動き回り、子供たちもみょうにお行儀がいい。
聖教騎士が近くにいるだけで、みんな大人しくなる。
権威って便利だな。嫌になる。
「アルさん」
食堂を出たところで、コロリが袖をつついてきた。
「このあとどうします?」
「地下の様子を見にいきたい。でも動きすぎると怪しまれる」
「それは困りましたねえ」
「他人事みたいに言うなよ……」
ほんとに他人事みたいな顔をしやがって。
とにかく、このピリピリしたムードの中で目立つのはまずい。
いつもどおりの生活を演じてやりすごさなければ。
その矢先、私は気づく。
「あれ? 修道長先生は?」
いない。どこにも見当たらない。
さっきまでそこで騎士と話していたのに。
私がきょろきょろしていると、近くの孤児が教えてくれた。
「修道長先生なら地下へ行くって言ってたよ」
「……は?」
血の気が引いた。
「なんか壊れた椅子とか、棚板とか運んでた」
「地下に?」
「うん、地下の倉庫にしまうんだって」
わかった。
修道長が何を考えたのか。
昨日、騎士に向かって修道長は言った。
地下にあるのは懲罰房ではなく、使われていない古い倉庫だと。
だったら今ごろあのお婆さんは。
自分のついた嘘を本当のことにしようとしているのだ。
壊れた椅子やら棚板を運び込んで。
見た目だけでも“本当に倉庫でした”って形を整えたいのだ。
考えてみれば当然だ。
騎士が今日また地下を調べにきたら、困るのは私たちだけじゃない。
修道長だって、自分の建前が崩れるのは困るのだ。
だがその“倉庫”には、いるのだ。
石になったマーガリンその人が。
「まずい……! コロリ!」
「はいっ!」
私は廊下を蹴った。
呼び止めようとする孤児を無視して走る。
コロリがピヨシを抱えたまま私の後ろを追ってくる。
息が詰まる。
胸が痛い。
でも足は止められない。
終わった。
いや、まだ終わってない。
お願いだから。
いや、誰にお願いするんだ。
間に合ってくれ私の足!
「っ……へぅ……アルさん速いですっ……!」
「ごめんコロリ! 先に行く!」
貧弱な上にピヨシを抱えているコロリは、とっくに息を切らしている。
ごめんよコロリ。だけど待っていられる状況じゃない。
すべりこむように、地下への階段をかけ降りる。
地下に続く通路は昼間でも薄暗い。
ひんやりした空気が肺に刺さった。
湿気と古い脂と黴の臭いが鼻をつく。
奥のほうで、がたん、と木箱を置く音がした。
「……っ!」
間に合ってない。
私はさらに足を速めた。
懲罰房の前までたどり着いたとき、扉が半分開いていた。
しまった。
嫌な汗が背中を伝う。
扉の隙間から、ランタンの灯りが揺れているのが見えた。
それから、息を呑む音。
「……ああ、女神ヴェリナスよ……なんてこと……」
都合のいいときだけ神様にすがる、聞き慣れた声。
腰が抜けそうになった。
私は扉を押し開けた。
「修道長先生!」
懲罰房の中は、昨日より少しだけ散らかっていた。
壊れた椅子。棚板。木箱。
修道長が運び込んだのだろう。
古い備品が入口近くに転がっている。
そしてその奥。
昨日、私たちがそれを隠した場所で。
修道長がへたり込んでいた。
笑顔は完全に消えていた。
手にしたランタンを取り落としそうになりながら。
目の前のものを見上げている。
布はめくられていた。
騎士の象徴である外套は白ではなく石の色。
驚いた顔の、聖教騎士マーガリン。
……だった石像の前に。
修道長がぺたりと尻もちをついている。
間に、合わなかった。




