第3話『そんなの、死んじゃえばよかったんだ』
少女は冒涜とともに降ってきた。
と言っても天からふわりと降り立ったわけではない。
修道院の裏庭にある古いリンゴの木からずるっとすべり落ちてきただけだ。
子供たちは口をそろえて神罰だと言っていた。
私はただの不用心だと思う。
「明日からもっと楽しいことしましょうね!」
その言葉を真に受けたわけじゃないけれども。
嘘じゃなかった、少なくともこいつにとっては。
言うまでもなくこの少女、コロリーヌは超問題児だった。
こいつときたら好奇心が強い……なんて表現ではまるで足りない。
なにせ目につくものすべてに、脇目も振らず頭からつっこんでいくのだ。
流れる雲を追いかけて崖から落ちる。
見知らぬキノコを食べてお腹を壊す。
踊りながら階段を下りて足首を捻挫する。
それらすべてを、修道院にきてからたった3日でやらかした。
そうしてついたあだ名がコロリ。
コロリーヌだからコロリ。
怒られてもコロコロ笑っているからコロリ。
放っておいたらすぐにコロッと死んじゃいそうだからコロリ。
本人は可愛らしいと笑っていたが、笑えないブラックジョークだ。
かくいう私はというと、流されるままコロリの保護者兼お目付け役にされていた。
「いいですかアレクシス。コロリーヌからけして目を離してはいけませんよ」
「はい、修道長先生」
いつもニコニコ笑顔を浮かべていた修道長も、コロリの話をするときだけはスゴイ顔をするようになった。
言い負かされた一件以来、苦手意識が顔の筋肉にこびりついてしまったようだ。
私も本音を言えば、こんな悪目立ちをするばかからは距離を置きたかったのだけれども。
当のコロリにはうっかり神様への冒涜を聞かれてしまった負い目もあり、断れないまま貧乏くじを引かされてしまった。
けしてコロリの言う“楽しい”を受け入れたわけではない。
だけどなんだかそうなった。
「アル。コロリが花壇のお花食べてる」
「ねえアル。井戸の底からコロリの声がするんだけど」
「大変だよアル! またコロリが!」
「アルゥ!! 」
とまあ、こんな具合だ。
10年という私のまだまだ短い人生の中で、今もっとも人から頼りにされている。
まるで嬉しくない、勘弁してほしい。
「アル、コロリが」
「またか」
私はおでこを手でおおった。
「で、今度は何をやらかしたの?」
「カブトムシと喧嘩してる」
「なんで?」
修道院の裏庭にかけつけると、コロリが“神様の木”にしがみついてカブトムシと樹液を取り合っていた。
「あれだけ美味しい実をつけるんですから、樹液もきっと美味しいはずです!」
コロリが舌ぺろぺろしながら、私には理解できない言葉を喋っている。
うわぁー、あたまいてぇー。
「降りてきなよ。危ないって」
「ひとペロだけ! ひとペロだけですから!」
「カブトムシ怒ってるよ」
ここビタークリークのカブトムシは、ちょっとでかい。
どれぐらいでかいかと言うと、だいたい子猫ぐらい。
ただ基本的には弱くておとなしくて、食物連鎖の最底辺に位置する生き物だ。
「ぬわーっ!!」
最底辺が書き換えられた。
カブトムシに負けたコロリが、木からころりと落ちてくる。
「ああ……だから言わんこっちゃない。ほら、森へおかえり」
黒光りするお尻をぽんぽんと叩くと、コロリの上で勝ち誇っていたカブトムシはブーンと飛んでいった。
問題はこいつだ。
この地べたに這いつくばっている敗北者だ。
「ありがとうございますアルさん。まずは何があったか聞いてください」
「……いいよ別に。だいたい見た通りでしょ」
「次は負けません!」
「勝ち負け以前の話からしよっか」
こんな感じのトラブルが、日に数回あるわけで。
出会った瞬間からわかっていたことだが、コロリには常識というものがまるでない。
それをこの一週間ちょっとで嫌というほど思い知った。
おかげさまで私はちょっとだけ野草に詳しくなった。
とくに、毒の有無に関しては。
口に入れるものだけは、食べる前に止めないとマズいから。
………………。
…………。
……。
とまあ、ここまでのトラブルは可愛いものだった。
楽しいかどうかはさておき。
お祈りと掃除と畑仕事ばかりやらされる修道院生活で、退屈を感じる暇がなくなったのはたしかだ。
だけどその日のトラブルは、違った。
「アルさん、あれなんですか?」
修道院の敷地の端っこに、赤だか黄色だかの丸い塊が落ちていた。
子供の頭よりちょっと小さなそれは、ほんのわずかに動いているようだ。
ダッシュで駆け寄ったコロリを追って、まだらな玉の正体をたしかめる。
小さなくちばしに、ひょろっと伸びた蛇みたいな尻尾。
「……コカトリスの“ひよこ”だ」
「そうなんですね、初めて見ました」
「嘘つけ」
コカは一般的な家畜だ。
昔は危険な野生動物だったらしいが。
今はすっかり飼いならされてあちこちの牧場で見かけるし、市場で卵も売ってる。
普通に生きてりゃ、見たことないってことはないだろう。
ほんとに今までどこで生きてきたんだコロリのやつ。
「怪我してます?」
「そうだね。たぶん牧場から逃げ出したところを狼にでも襲われたんでしょ。よくあることだよ」
安全なところにいればよかったのに、ばかなやつだ。
まあ、この傷じゃあ長くはもたないだろう。
残念だけどちょっと手当した程度じゃ、これはどうにもならない。
……司祭様でもいれば話は別だけど。
「じゃあ治しますね」
目と耳を疑った。
コロリはコカのひよこに手をかざす。
まるで、“魔法”でもかけようとしているかのように。
「ばか! なにやってんの!」
思わずコロリの腕を掴んだ。
「なにって、魔法ですよ?」
見ればわかる。
それが問題だと言ってるんだ。
コロリは本当に。
本当に、なぜ止められたかわかっていない、といった顔で私の目を見た。
「魔法は戒律で禁止されてるでしょ。使ったら死ぬんだよ?」
私は、それを知っている。
たぶん、他の誰よりも。
女神ヴェリナスの恩寵とされる魔法は、高位聖職者の特権だ。
民間人が魔法を使えば、子供だろうが即処刑。
そんなことは言葉を覚える前に教えられる。
それがこの世界の常識なのだから。
「でも、いま助けないとこの子が死んじゃいます」
「仕方ないよ。ダメなものはダメなんだから」
「私は助けたいです」
まっすぐな青い目が私を射ぬく。
「アルさん。戒律は、救える命を見捨てていい理由にはなりません」
修道長を論破したときと同じ目だ。
「違うんだよ、コロリ。これは好奇心とか、そういういつもの可愛いトラブルじゃない。魔法を使って誰かの命を救うことは、ただの命の二律背反なんだよ。それが……」
「戒律ですか?」
私は目をそらしてうなずいた。
そう。私たちはこのひよこと同じだ。
世界はヴェリナス聖教という安全な柵で囲われている。
その柵から飛び出したら、身の安全は保証されない。
「……わかりました」
コロリのその言葉に、私はほっと胸をなでおろした。
思いとどまってくれたのであれば、これ以上なにも言うことはない。
コカのひよこは、可哀想だけど。
「治癒魔法!」
「……は?」
ぎょっとした。
逸らしていた目を正面に戻す。
コロリの小さな手がひよこにかざされて、白く光っている。
「おまっ、わかっ、わかってない! ぜんぜんわかってないじゃないか!!」
私が止めに入る間もなく。
ひよこの傷は完全にふさがっていた。
遠くで鐘の音が聞こえる。
ヴェリナス聖教は、私たちの魔法を。
戒律違犯を、けして見逃さない。
……やってしまった。
聖教騎士団が来る。
もう終わりだ。
絶望のどん底に突き落とされた私をよそに。
コロリはコロコロといい笑顔でひよこをなでている。
今まさに命の危機が迫っているというのに、人の気も知れないで。
「アルさん見てください。この子、元気になりましたよ」
私の中で、暗い心の底に沈んでいた思い出とともに。
真っ黒な感情が弾けた。
「そんなの、死んじゃえばよかったんだ!!」
コロリの手が、ぴたりと止まった。
感情的に生きても良いことなんてひとつもないって、わかっているのに。
言ってしまった。




