第2話『ひとつ残らずもぎもぎしましょう』
「あらあら、コロリーヌさん? 初日から“トラブル”かしら?」
どうやら騒ぎを聞きつけたらしい。
修道長が顔面に笑顔を貼りつけたまま、こちらにのっしのっしと近づいてくる。
ひじょーにまずい。
あれはキレてるときの笑顔だ。
修道長はルール違反にとても厳しい。
ほんのささいなミスであっても、すぐに子供を懲罰房に放り込む。
そして笑顔のまま何時間も強い言葉でなじってくる。
ところがコロリーヌと呼ばれた少女は、私の隣でニコニコと笑っていた。
修道長とは対照的な、かけらも邪気のない笑顔。
彼女は自分の置かれた状況にまるで気づいていないのだ。
「まさか、とは思いますが。とっても大事な“神様の木”にいたずらでもしていたのかしら? ねえ、アレクシス?」
修道長の目がこちらに向く。
アレクシス、何か知っているのでしょう?と。
まさか木にのぼって実をもぎって食べてました、などと言えるはずもない。
ほんとは、初対面の少女をかばう義理なんてないんだけど。
よりにもよって、私はこいつに神への冒涜を聞かれてしまった。
この状況、私は詰んでいるのではなかろうか。
「……べつに、ちょっと転んだだけです」
嘘をついた。
今はそれが一番賢い選択だと思ったから。
修道長はいぶかしそうに私の顔を覗き込んでから、コロリーヌに向き直る。
「転んだだけ、ですか。コロリーヌさん、そうなのですか?」
「はい! 木にのぼってリンゴをむしゃむしゃしてたら落っこちちゃいました!」
全部言いやがった。こいつぅ!
修道長の笑顔がギリリッと引きつる。
「木に? 神聖な“神様の木”に……のぼった? あまつさえ、あなたはその実を食べたのですか?」
「おいしかったですよ? おばあさんも食べます?」
ギリリリリィ~~。
笑顔から鉄がきしむような音が聞こえた、気がした。
今すぐにこの場から逃げ出したい。
孤児の私には逃げ場なんてどこにもないけど。
「……ふう。いいですかコロリーヌさん。この木はかつて女神ヴェリナス様の恩寵を授かった、それはそれはありがたい御神木なのですよ」
このあとに続く言葉は知っている。
“あなたはなんていけない子なのかしら”だ。
修道長はいつもそう言って、子供たちをあの暗くて冷たい懲罰房へと連れていくのだ。
だが、今回は、少し違った。
「それはステキですね! 恩寵ならばなおのこと、みんなで分かち合いましょう!」
コロリーヌは怯えるどころか、悪びれるそぶりもなくパァッと顔を輝かせた。
「ありがたみとは、神聖さそのものではありません。そこから人々に何がもたらされるか、ではないでしょうか?」
「あ、あなたは何を言って……」
「せっかく神様いただいたモノなんですから。手をつけないほうがかえって不敬です」
修道長が言葉に詰まった。
大人が、子供の理屈に押されている。
私はさんざん教え込まれてきた。
大人の言葉、ましてや聖職者の言葉は絶対に正しいのだと。
まだ10歳そこらの子供である私たちは、それが正しいと疑うことすらしなかった。
なのに、この少女は。
「アレクシスさん……いいえ、アルさん。今すぐみんなを集めてください」
「え? わ、私? あの、集めてなにするの?」
急に話を振られて、背すじがビクッとなる。
コロリーヌは私の手を取って、満面の笑みで言う。
「ひとつ残らずもぎもぎしましょう!」
マジかこいつ。
……私はおそるおそる、修道長の顔を見た。
修道長の顔から、はじめて笑顔が消えていた。
「コロリーヌさん、懲罰房へいきましょう」
有無を言わさぬ低い声。
悪い子をいさめる大人の必殺技、懲罰房。
修道長はコロリーヌの細い腕を乱暴に掴む。
「リンゴ、お嫌いですか?」
「うるさい! 子供は黙って大人の言うことを聞きなさい!!」
横暴だった。
そして、滑稽でもあった。
コロリーヌは、修道院へと預けられた初日に、懲罰房にぶち込まれた。
私は、この修道院にきて初めて。
修道長を、大人を。
怖くねえな、と思った。
………………。
…………。
……。
その夜、私は寝室を抜け出した。
もちろん、ルール違反だ。
修道長に見つかれば私も懲罰房に入れられる。
だけどそうした。
黙って懲罰房に連れられていくコロリーヌを見て。
怒り狂った修道長のあの言葉を聞いて。
なにもせずにただ眠ることが、できなかった。
懲罰房は、修道院の地下に設けられた独房だ。
もともとは配給用の肉や牛乳を保管する倉庫だったらしい。
私は周囲を警戒しながら、そっとその忌まわしき空間に立ち入る。
ひんやりとした空気が、石造りの床や壁から伝わってくる。
私は扉の鉄格子からそっと中を覗き込む。
「アルさん?」
「わっ!」
コロリーヌの大きな青い目が、鉄格子の向こうからこちらを見つめていた。
「……起きてたの?」
「はい、眠れなくて。でもアルさん、どうしてここに?」
言葉に詰まった。
黙って置いて去るつもりだったのだが。
私は観念してチュニックのすそから夕食のパンを取り出す。
そして鉄格子の間にねじこんだ。
「……これ。おなかすいてるかなと思って」
「差し入れですか? わあー! ありがとうございます!」
「声が大きいよ。……別に、食欲なくて余ったから、持ってきただけだし」
そのとき私のお腹がグゥと鳴った。
ひぃ、カッコ悪い。
コロリーヌはパンを受け取ると、半分ちぎって私に差し出した。
「いっしょに食べましょ」
「……うん」
受け取ったパンをもそもそと食べる。
冷めて硬くなったパンは、まずかった。
「おいしくないね」
「そうですか? 私は今まで食べたパンの中で一番おいしいですよ?」
「嘘つけ」
パン食べたことないのか。
ほんとはもっとふわふわしてて、温かくて。
そんな言葉が頭の中でぐるぐる回るのに、口からは出てこない。
「あの、さ。怖くないの? 大人が」
ようやく出てきたのは、そんな言葉だった。
「怖い? どうしてです?」
「だってほら、嫌でしょ。怒られて、こんなところに閉じ込められるの」
「そうですか? 私は楽しいですよ? アルさんとこうして秘密のお喋りができますから」
恥ずかしげもなく、笑顔でそんなことを言う。
私はいつ修道長に見つかるかってビクビクしているのに。
コロリーヌは半分のパンを頬張りながら続ける。
「理不尽だ。って思ったからここに来てくれたんでしょう? アルさんも」
言葉が心のど真ん中に刺さった。
「自分で考えて、自分で正しいと思ったから、アルさんは今ここにいるんです。こんなに楽しいことがありますか?」
「それは、そうなんだけど……楽しくはないでしょ」
「私のために、あなたはそうしてくれたんです」
「……う」
頬が熱くなった。
こいつ、私と同じ子供のくせに。
まるで修道長よりもずっと大人と話しているみたいだ。
初日から懲罰房に入れられた、ばかな子供のくせに。
「私は……楽しくないし」
「ふふふー、アルさん私よりも嘘つきですねえー」
「うるっさいなあ! 私、もう行くから!」
とっさに否定できなかった。
正直、ドキドキしている。
たぶん、ルールを破って忍び込んでいるから、ってだけじゃない。
「……おやすみ、また明日」
それだけ言ってきびすを返す。
鉄格子の向こうから、明るい返事が聞こえる。
「はい、おやすみなさい。明日からもっと楽しいことしましょうね!」
今日の騒ぎを見る限り、それはごめんこうむりたい。
だけど私の高鳴る心臓は、正直者だった。




