9 呪術師の【呪い】講座
アルカラが言うには世に【呪い】と言われた事象のほとんどは思い込みなのだそうだ。
「例えば……そうですねぇ」
言いながら懐を探り、アルカラは小さな木片を取り出して見せた。
薄い板状のそれは何かの役に立つようには見えず、どこかの木工作業場から拾ってきたようにしか見えない。
「アルベルト殿下……では流石に不敬ですね。フフン、ではそこの君、名前は?」
「ト、トリスタンです。トリスタン・エチュバリアと申します」
いきなり指定され、ギョッとしながらも自己紹介するトリスタンだが、それには目もくれずアルカラは「ふんふん」と頷きながら、いつの間に取り出したのか細いペンで先ほどの小さな木片に何事か書いていく。
「カミロ!」
セルバンテスが注意するように怒鳴るのも気にせず、書き終わると満足そうな笑みを浮かべて木片をこちらに見せつけるように掲げたが、そこにはトリスタンの名前が書かれているのみだった。
「それは?」
「実はこの木片はペリオーラ地方の僻地に伝わる風習の一つで、人を呪う時に使うものです。
クックッ、呪いたい相手の名前をこのように書いて、こうして……」
言いながらアルカラがそれほど力を込めずに木片を曲げようとすると、パキッと小気味いい音を立てて、木片と一緒にトリスタンの名前が真っ二つに割れてしまった。
それを見た僕もだが、やられた本人であるトリスタンの青ざめようは、咄嗟に慰めの言葉も出ないほどだった。
それだというのにアルカラはそんな僕らを見てカラカラと笑って
「……というのは全部、嘘です」
悪びれもなくそう言うのだった。
「カミロ! 相手は侯爵家の跡取りだぞ。不敬なことに変わりはない」
「ククッ、少し実感していただこうと思っただけですよ。
これはですねぇ、“やっているところを見られて効果を発揮する【呪い】”です。
君、トリスタンくん、顔色が悪いが、やられてみてどう思ったね?」
「う、は、はい。あまり良い気分ではありません。こう、言葉にできませんが腹の底からモヤモヤするというか、頭の中が混乱するというか……」
「クッ、君は結構、繊細なほうですねぇ。
全部、つまりはさっきの木片はただの木の板、ペリオーラ地方の僻地に先ほどの風習は無い、とどのつまりは【呪い】を掛けたように見せたのは全くの出鱈目と聞いてもなお、気持ちが悪いでしょう?
そこに【呪い】がなくとも呪われていると思いこむ一因はこれです。
恨まれる相手から『呪ってやる』『呪ってやった』と聞く。あるいは噂で聞く。人によっては心当たりが無くとも呪われたと思い込む。ましてや脛に傷を持つ者なら尚更です。
ボクが嘘だと告白しても、トリスタンくんはそれを『そうだったのか』と安心もできないし笑い飛ばしもできない。それは、『嘘だと言うのが嘘かもしれない』という疑念が晴れないから。
君と、ボクの間に確固たる信頼関係が無いが故です。
それは、ボクらが今日が初対面でお互いによく知らないのにボクが呪術師だと君は知っているから。ボクなら【呪い】を確実に掛けられる……」
「そ、それは……、そん……な」
「では次に、これを」
狼狽えるトリスタンを横目にアルカラはまた懐から、今度は紙片を取り出した。
「この紙に、君が自分の名前を祈りを込めて書いてください」
「祈……り?」
「なんでも良いですよ。自身の無病息災でも家庭円満でも、なんなら神への帰依でもいい」
戸惑いながらもトリスタンは近くにあったテーブルで紙片にフルネームで自分の名前を書く。
それをアルカラは受け取り繁々と眺めたあと
「はい、よろしいです。ではこの紙でこちらを包んで……」
言いながら紙片で先ほど割った木片を包み、端の方を持ってこれ見よがしに掲げて
「『安寧の神よ、哀れなる貴方の子に掛けられた【呪い】を祓い、祝福を授けたまえ』」
まるで呪文のような節回しで言葉を紡ぐと、アルカラの手にあった紙片が木片ごと火に包まれた。
アルカラがそれを満足そうに眺め、持っていたそれを空中に放り投げると、小さな炎はフワッと瞬き、……宙へ消えて灰も残らなかった。
「さあ、これで君の【呪い】は解呪された。灰の一粒も残らなかったのがその証拠です」
アルカラの、どこか胡散臭い笑顔が逆に信じてしまいそうになる。
トリスタンに掛けられた【呪い】は嘘だった。だから解呪も何も無いはずなのだ。だが、確かにトリスタンの顔色は良くなっているし、表情もどこかホッとしている。
「と、まあ、思い込みやペテンの類の【呪い】の正体はこんなものです。それでも体調を崩す人は崩すし、不幸を呼び込む人はどんどん不幸になります。逆に、他人などどうでもいいと心底思っている人間には効きません。
我々が扱う呪術とは全くの別物なのです」
「では呪術とは……」
「まず、他人に見られてはいけません。それだけで効果が出ません。そして術の痕跡を見つけられても効果が無くなります。まあ、それを回避する術もあると言えばありますがね。そして、他人などどうでもいいと思っているような人間にも効きます。先ほどの児戯など比べるまでもありませんね。ただ……」
アルカラは彼独特の胡散臭げな笑顔のままで告げた。
「そんな紛い物の中にごく稀にこっそりと本物が混ざっていることがあります。
そして……ククッ、ボクなら他人の掛けた呪術がどんなものか見れば判るし、解呪も大体できます。少なくとも、今までできなかったことは無い」
実に頼もしい言葉だと感じるとともに、そんな人間がいて、必要とされている世間に薄ら寒いものを感じてしまった。
「これ以上のことをお知りになりたいのであれば、ぜひ、マルディシオン協会へおいで下さい」
ニマッと笑うアルカラに腰が引けると
「いけません、第一王子殿下。一度でも足を踏み入れれば、二度と出て来れなくなるかもしれませんよ」
セルバンテスが僕とアルカラの間に体を滑り込ませ、少し厳しめの口調で止めてきた。
「ドナト……、随分な言いようだな。殿下に誤解されたらどうするんだ?」
友人同士であるはずの二人が険悪な雰囲気になったのだが……。
「お前が第一王子殿下を気に入ったのはよく分かった。だが、だからこそ殿下をお前の犠牲にするわけにはいかない」
セルバンテスの不穏な台詞に不安を感じ、僕は意味を訪ねるつもりでオシアスを見た。トリスタンはいつでも前に出られるように僕の後ろに控えている。
そんな僕達の様子を見ていたオシアスは、僕と目が合うと「はぁ」とも「ふぅ」ともつかないため息を吐いた。
「カミロ様はかなり癖のある方ですが、あれでなかなかのおしゃべりなんです。外ではそこそこ分別を付けていらっしゃいますが、自分の領域であればそれこそ遠慮なぞしません。
カミロ様に気に入られてマルディシオン協会にある彼の研究室に連れ込まれたが最後、三日三晩はおしゃべりに付き合わされます」
僕の耳元で囁くオシアスはうんざりとした目付きでアルカラを眺めている。もしかしなくても経験者なのか……。
僕の隣で聞いていたトリスタンも、先ほどの経験が吹き飛んだのか口を開けて呆れた表情をしている。
セルバンテスは大袈裟な物言いをしているだけなのだろうが、流石に今の状況で三日三晩拘束されるわけにはいかない。
「せっかくのお誘いだが、今は取れる時間がない。僕に必要な知識だけ提供してもらえないっだろうか? もちろん、問題が解決した暁には相応の報酬も払うし、要望があれば出来る限り叶えよう。
それから、セルバンテスも僕のことは名前で呼んでほしい。オシアスの師匠であるし、これから先も相談に乗ってもらう機会があるだろうから」
「ククッ、まあ、普通の人は協会に足を踏み入れたくは無いでしょうからね……。いいでしょう、報酬の件、お忘れなく……」
「では、改めてよろしくお願いいたします、アルベルト殿下」
セルバンテスが肘でアルカラを小突きながらそう言ってくれた。友人同士なのだし、なんだかんだと気心の知れた仲なのだろう。
「それでボクは、呪われているかもしれない誰かを見て、呪われているなら解呪すればよろしいので?」
「そうだ。できればその呪いがどんなモノなのかも教えて欲しい。どこの、誰が、いつ施したのか……。
それと……もし呪わていなくて彼女の思い込みだったとしたら…………、さっきの手法で解呪されたように思い込ませて欲しい」
「……彼女」
ふむっと言った雰囲気で片眉を上げてアルカラがつぶやいた。
見てもらうには会わせないわけにはいかないのでフィロメナのことを掻い摘んで伝えた。オシアスは約束通りほとんどのことを伏せて協力を取り付けたらしく、セルバンテスは真面目な顔で、アルカラは相変わらずのニヤニヤ顔で、でも真剣に聞いてくれた。
「ククッ、死に戻り……ですか。今までのボクの経験の中でも遭遇したことも聞いたことも無いですねぇ。んん〜、実際に彼女を見てみないと判りませんが、【呪い】の類では無いかも知れませんよ」
「だが、時間を操る魔術というのも聞いたことはありません。やはり、ご令嬢の思い込みの線が強いのでは……?」
遠慮がちにセルバンテスがそう言うが、フィロメナの様子を見る限りただの思い込みとも思えない。そう彼らに訴えてみるが
「クックッ、先ほどの実験でも分かったと思いますが、思い込みとは存外侮れないものですよ。強く思い込むことができれば、ただの木の棒っ切れで火傷を負うし、ありもしないモノが見えたりもします。共感できる者がそばにいれば伝染もします」
そう言われてしまうと「そうなんだろうか」と思えてしまう。あの悪夢はフィロメナに感化されて見てしまったものだと……。だが、あの生々しさも焦燥感もただの夢というにはいまだに脳裏にこびりついて僕の心を締め付ける。あれをただの夢だと片付けてはいけない、そんな気がするのだ。
「夢を……悪夢を見た。フィロメナがギロチンに掛けられる夢だ。僕は二人いて、一人は空からその様子をただ見ているしかできなかった。もう一人は僕だが僕じゃなくて、物見台にいてフィロメナが処刑される様を女と見ていた……」
思い返してもただの夢とは思えない。…………それもまた、思い込みなのだろうか。
「フッ、どちらにしろ見てみないことには判断はできません。会いにいきましょうか、その、死に戻りを繰り返していると言うエチュバリア嬢に」




