調味料
その日の午前、ユウヤは城の執務室で、事務仕事をしていた。
まだ皇帝に即位したわけではないため、正式な権限があるわけではない。
というより、ユウヤはそもそも魔王を打倒した功によって皇帝位に着くわけであって、未知数である政務能力は元々当てにされておらず、実務の中心は宰相であるスペンサーとアンジェラが担い、ユウヤは最重要事項についての承認のみを職務とする、という予定であった。
しかし、ユウヤが帝都の主な建築物を一人で建設してしまうという全く想定されてない自体が発生したため、様々な業務が前倒しになってしまったこと、法律の制定においてあり得ないレベルの能力を発揮したことで、実務に駆り出される羽目になってしまったのであった。
ユウヤの机の上の巨大な書類の山が、見る間に決裁済の箱に移されていく。
「これでよし、と」
書類の処理が一通り終え、一息ついて椅子に座ったまま伸びをするユウヤを見て、隣の席で執務をしていたアンジェラがため息をつく。
「相変わらず早いわねぇ。ちゃんと見てるの?」
「心配しなくても、ちゃんと見てるぞ。なんなら今日処理した書類の内容、一から暗唱して見せようか?」
「……いや、いいわ」
「今日は昼から各大臣、というか大臣予定者の拝謁を受けるんだったよな? あれ? そういえば、誰が大臣になるって、聞いてないと思うんだけど」
「特に報告はしてないわね、ユウヤとは面識がない者もいるし」
「面識がない者もって……ある者もいるのか?」
「いるわよ? まぁ、拝謁を受ければわかるわよ」
皇帝の即位式は来月に迫っていた。帝国の運営は内務省、外務省、軍務省、建設省、教務省、魔道省が担うことになる。それら六省の責任者となるのが大臣であり、皇帝、各皇后、宰相に次ぐ、実務上の帝国トップということになる。
正式な任命は即位式の日になるが、即位式が終わり次第所掌の業務を速やかに始める必要があるため、人事自体はとうに終わっており、現在は、帝国立ち上げの係員達からの権限移譲がある程度終わった所であった。
そういうわけで、今日は各大臣就任予定の者から、挨拶と引継ぎ完了の報告を受けることになっていたのである。
昼食の後、ユウヤ達は拝謁の間に移動する。
部屋は、豪華に飾り立てられた玉座を始めとして、シャンデリア、カーペット、タペストリー、その他の装飾に至るまで、その用途にふさわしく飾り立てられていた。
両側に林立する貴族達の間を、6名の人物が横一線となって玉座の前まで進み、一斉に膝をつくのを見計らって、スペンサーが年に似合わぬ朗々とした声で話し始める。
「それでは、皇帝陛下となられるユウヤ様に対する、各帝国大臣就任予定者からの拝謁を執り行う。まず総務省、フレデリック・ノース」
「ユウヤ様、お初にお目にかかります。カレドニアから移籍してまいりました、フレデリック・ノースと申します。以後お見知りおき願います」
「他に人無しとして、わざわざ引き抜かれたと聞いた。本来の内務から商務から各省の取りまとめまで、所掌が広く大変だと思うが、よろしく頼む。スペンサーとアンジェラかともよく協力して進めてくれ」
「はっ」
「次、外務省、ダニエル・モンテス」
尖った耳以外はエルフらしからぬ、スキンヘッドの大男が立ち上がる。
「ご無沙汰しております。元アクィタニア王国シェンノン大使、ダニエル・モンテスでございます。覚えておられますか?」
「カレドニアからアクィタニアまで一緒に旅した仲だ、忘れてるはずがないだろう。まさか、部下になるとは思わなかったな」
「ご一緒した旅の中で申し上げた、竜人族と緊密な関係を築いたことが選任の決め手となりました」
「あったな、そんな話」
ちなみに、帝国の外務省は大陸外の国ではなく、大陸に存在する六王国との交渉等が所管である。大陸外にも国はあるらしいが、距離が離れていることもあり、民間レベルの細々とした交易程度しか関係がないらしい。
「次、軍務省、シーマ・ツァンフェイ」
「ん?」
スペンサーの声に反応した顔にユウヤは眉を寄せる。
見覚えがある顔、どころではない。戦ったことさえある。
「お久しぶりでございます、ユウヤ様 我はシーマ・ツァンフェイ……」
「ちょっと待て。何でシェンノンの王太子がいるんだ?」
「廃嫡となりましたので、今後、軍務省にてユウヤ様にお仕えいたします」
「は……廃嫡!? 何があった?」
「特に何も」
「いやいやいや、何もなきゃ廃嫡なんてならないだろ!?」
「あえて言うなら、我の希望ですな」
「はぁ?」
「戦士たるシェンノンの民にとって、強き者近くお仕えすることは至上の名誉。最強たるユウヤ様にお仕えするのは、王に次ぐ強者にして、王の嫡男たる我の権利にございます」
「シェンノンの跡継ぎはどうするんだよ!?」
「我が従弟、王の甥が立太子されております。奴も大臣の位を狙っておりましたが、模擬戦で叩きのめしてやりました。まぁそこそこ強くなってはおりましたが、まだまだ我の敵ではござらぬ」
「……それでいいのか、シェンノンは……いいんだろうな。もういいや、よろしく頼む」
その後、建設省、教務省の大臣は初対面であったが、最後の一人でありいいつの女性、魔道省の大臣はユウヤもよく見知った顔、顔の左に刺青のような模様に物憂げな切れ長の目の美人であった。
「魔道省、モーガン・ル・フェイ」
「この度魔道省大臣に指名されました、モーガン・ル・フェイでございます」
「久しぶり……というほどでもないな。引継ぎの合間に魔法陣の設置の手伝いをしてもらったりとか、色々助かった。これからも色々頼む」
「手伝いと言っても、一番問題になるはずの魔力の充填を全てお任せ致しましたので、大したことではありません。今後も気兼ねなくご用命くださいませ。魔力の充填だけはお願いしますけど」
次の日の午前。
仕事を終えたユウヤの姿は城の自室、正確には居室に併設された部屋にあった。
居室が皇帝に相応しい豪華なものであるのとは対照的に、この部屋は装飾の類が一切ない、簡素で実用的なものとなっている。
「さて……上手くいっているといいが」
ユウヤは部屋の一角にある戸棚を開け、一つの壺を取り出す。
皇帝の物というにはあまりにも簡素なその壺を、あくまでも丁重に、押し頂くようにして両手で捧げ持つと、慎重にテーブルに置く。
蓋は閉まっているものの、その壺からは仄かに馥郁たる香りが漂う。
ユウヤはその香りを、胸いっぱいに吸い込んだ。
あの、夢にまで見た、懐かしい香り。
「香り、よし……腐ってはなさそうだ」
蓋を開け、柄杓でほんの少量を掬い、コップに移す。
透明なコップに、黒色とも暗褐色ともつかぬ、それでいて透明感がある液体が揺れる。
「コップってのは趣的にちょっと……小皿を調達しないとな。まぁ、今度でいいか」
ユウヤは、ともすれば震えそうになる小指で液体の表面にそっと触れると、その小指をおもむろに口に持っていった。
余りにも懐かしい、その味わいが口中に広がる。
ユウヤの頬を、一筋の涙が伝った。
「……これ、これだ……永かった……」
忙しい職務の間に、幾度もの失敗にもめげず、理解してくれる者もおらず、幾度もの失敗を繰り返し、遂に辿り着いた、その味。
ユウヤの胸中に去来するその感動は、しかし唐突に打ち切られた。
ユウヤの後ろから、視界の左右両側に、突如足が伸びてきた。
次の瞬間に、肩に数十キロの重さが降ってきた。
「ねぇユウヤ、何やってんの?」
「ヴィキか……降りろ、重てぇ」
「重くないもん!」
ユウヤに肩車された体勢のまま、ヴィキが頬を膨らませる。
「あのな……皇后のやることじゃないだろ」
ユウヤがたしなめるも、ヴィキに聞いている様子はない。
「ねぇねぇ、何これ? ちょっといい匂いかも。飲み物?」
「……確かに口に入るものじゃあるけど、飲み物じゃ……おい」
ヴィキはコップを手に取るが早いが、そのまま中身を一気飲みした……瞬間、ヴィキは今口に入れたそれを一気に噴き出し、激しくせき込んだ。
「ゲホゲホゲホッ!!な、何よごれ!じょ、じょっぱ……ゲホッ!」
「あーあーあー、しょうがねぇなぁ、全く……人の話を最後まで聞かないから」
テーブルを拭き、ヴィキの背中を暫くさすってやるユウヤ。
暫くしてようやくせき込むのが止まったヴィキが、涙目でユウヤを睨む。
「何なのよ、これ!口に入るものって言ったじゃん!」
「口に入るものとは言ったけど、飲み物とは言ってないだろ、人の話は最後までちゃんと聞け」
「口に入るのに……飲み物じゃないの?」
「飲み物じゃなくて、調味料だ」
「調味料?」
「そう……これは、醤油っていう調味料だ。この世界では、ラエティア原産の大豆という豆から作れる」
「ショウユ……? 聞いたことないけど」
「この世界には多分なかったものだからな……前世ではあって当たり前の代物だったんだけどな」
「こんな……馬鹿みたいにしょっぱいものが?」
「そりゃヴィキが一気飲みしたからだろ。まともに使えば、とてもいいもんなんだ。それに……これはとてつもなく……米に合う。ヴィキの実家のエピルスが力を入れ始めた、米にな」
とても胡散臭いものを見るような表情になるヴィキ。さっきの体験がトラウマになっているのだろう。
「米に、会う? ホントに……?」
「ああ。今から、醬油を使った米料理を試作してやるよ」




