初日
2009年11月22日日曜日、未曽有の不況の中、3連休中日の成田空港はすいていた。16:30発のチャイナ航空で台北を経由してのバリ島までの初めての旅だ。
新しい彼女との初めての海外旅行は、当然のこと信頼関係が薄く本当に来てくれるかすごく不安になるものだ。今回同伴の由利恵も無事に来てくれた。彼女は来月23歳になる大学4年生である。僕が6月まで東北のある県にいた時に2年間不自然な交際をしていた相手だが現在は彼氏と同棲しているとのことだ。以前、家に来た時でも居酒屋でドリンクした時もタバコは吸って無かったのでてっきりタバコは吸わない子と思っていただが、今回の旅行の冒頭でヘビースモーカーと知りびっくりすると同時に大きく幻滅してしまった。
バリ島 日記
初日
出発
2009年11月22日日曜日、未曽有の不況の中、3連休中日の成田空港はすいていた。16:30発のチャイナ航空で台北を経由してのバリ島までの初めての旅だ。
新しい彼女との初めての海外旅行は、当然のこと信頼関係が薄く本当に来てくれるかすごく不安になるものだ。今回同伴の由利恵も無事に来てくれた。彼女は来月23歳になる大学4年生である。僕が6月まで東北のある県にいた時に2年間不自然な交際をしていた相手だが現在は彼氏と同棲しているとのことだ。以前、家に来た時でも居酒屋でドリンクした時もタバコは吸って無かったのでてっきりタバコは吸わない子と思っていただが、今回の旅行の冒頭でヘビースモーカーと知りびっくりすると同時に大きく幻滅してしまった。
元来僕は、タバコを吸う人特に女性は苦手だ。この時代のJRは全車内駅構内全面禁煙なので由利恵は自宅からの4時間ですっかりタバコが恋しくなり上野駅でゆっくりと一服していたせいで中々改札に現れず。あやうく京成特急に乗り遅れるところだった上にその後もしばしば一服の雲隠れで僕を困らせた。
今日の飛行機B-747は9月にひとり台湾を旅したのと同じ時間、機種だったが今回も満席で帝国から少し遅れ深紅の空へ吸いこまれて行った。彼女と会うのは半年振りだがだいぶ容姿が傷んでしまってエロさが消えている。もうすぐ23歳という年齢からなのかお店を辞めてお客の男の目がなくなったのかタバコのせいか定かではないが隣に座っても僕の下半身を元気にする力はなくなっていた。 由利恵のタバコ臭は半端でなかった。同棲相手も相当のヘビースモーカーなのだろう、代謝物として臭気が出ているのはいけない。それを気にしながらも台北までの4時間はそれほど苦ではなかった。質素な機内食とビールにワインでほろ酔いになり各席にある小型モニターで映画G.Iジョーを見ている内にうとうと寝てしまった。台北からのトランジト便は横3列3列の少し小振りの飛行機でガラガラだった。各席にモニターが無く映画を堪能できず、5時間の道のりは長く感じられた。直行便なら7時間なので次回はなんとしても直行便にしたいと思った。だが時季外れとはいえバリ島5日間39800円は実に格安なので文句はいえない。他の乗客はぐったりと寝入っている者が多かったが由利恵はニコチン切れの為かあまり眠れなかった様子だった。
デンザバール空港着
どうにかデンザバン空港に着くと夜中の2時を回っていたが思ったとおり雰囲気、匂いは熱帯のそれで溢れており、なんとなく開発途上国らしき空気も漂っていた。僕が近年訪れた台湾、韓国、豪州ケアンズ、ゴールドコーストとは何かが違う。待ち受けていたH.I.Sの職員は現地人だったが発音はまあまあで口コミどおりホテルまでは5分ほどのデコボコ道だった。ホテルに着くと薄暗いフロントは古めかしく狭く従業員はみな浅黒く眼光も鋭く悪党面に見える。冬の日本から来たせいもあるが、気温・湿気・臭気が疲労・不安をより増幅させてくれた。部屋に案内されたが予想通りバスタブは無く快適な風呂トイレ環境では無い、一昔前までは日本の水洗化されていない和式トイレと日本式の風呂は欧米人から悪評だったがウォッシュレットに慣れた現代日本人にはアジアの旅はちょっと辛い、あとエアコン冷蔵庫TVは一応ありベッドも広くは無いが一人で寝るには十分な広さでベランダも暗くてよく分からないがそれなりの広さはある。一通り説明を受けた後もう3時だが近くにあるとガイドブックで調べたサークルKに水とビールを買いに行く事にした。由利恵も行きたいと言うが危険なので連れて行かなかった。部屋を出ると階段に従業員と称する怪しい男がおり行先を聞くのでサークルKと言うと都中まで案内してくれた。ホテルの裏口を出てすぐ右に日本よりだいぶ小さめな店舗があった。お店の前には数台の車と怪しい若者が3,4人たむろしていた。店内にはツアーで一緒のアベックが買い物をしていた。彼らも水などを買っていて僕に湯沸かし器はありませんでしたよね?と問いかけて来たが確かに無かった。このカップルは日本からの中国人らしい、僕がビールを選んでいるとバリ人には珍しい背の高い茶髪のイケメン風の若者がどこから?何人でとか色々質問してきた。彼が言うにはBINTANという地場のBeerがお勧めとの事だった。Beerの種類は少なくとりあえずBintamとハイネケンにミネラルウォーターを買ったが350mlで150円くらいとかなり高い、ミネラルウォーターはブランド品の2Lが百数0円と高いので40円の地場品の安いのを買った。店を出るとさっきのイケメンが外の黒い車の近くにいたが渋谷と金文字のプリントがボディーにあった。どこか甥のヨックンに似ているが残念ながらその後は見かけなかった。 部屋に帰ると由利恵が待っていた。シャワーを浴びるというので僕はビールを飲みながらCNNを眺めていたらしばらくしてお湯が出ないという由利恵の小言が聞こえたがどうにもならないと無視した。シャワーから出てきた由利恵はスッピンだったが今まで見た女性の中で一番落差が大きい、どこと無く話題の市橋達也に似ており性欲を減退させた。愛らしかった睫毛は消え去り眉毛も半分しかなく下唇だけがだらしなく突き出ていた。
由利恵は髪を乾かそうとドライヤーにアダプターを付けコンセットに差込みスイッチを入れると物凄い音がしてドライヤーは壊れた。タイでは使えたそうだが残念ながやバリではだめだった。本当は由利恵も怒りたいのだろうが二人ともおおらかなO型なせいか長旅の疲れも手伝いそのまま寝てしまった。
寝苦しい暑さで目が覚めた時にはカーテン越しに強烈な朝日が差し込んでいた。ドアを開けベランダに出ると景色はまさにバリだった。椰子の木やらバナナやらいつ見ても熱帯植物は非日常の真骨頂だ。雪国出身のせいか熱帯植物に物凄くひかれるが、この景色を文章で表現することは無理だろう。ただ、なぜか鳥の鳴き声がしているのは不思議と熱帯のイメージと呼応する。小学校6年の時に福島の常磐ハワイアンセンターで初めて偽熱帯を経験し、25才の春にほんもののハワイに行った感動が遠くから蘇ってきた。
2日目 Bakung Sari通り
部屋に戻りあまりに暑いのでエアコンのリモコンを調べると運転モードが送風になっていた。冷房モードにすると心地よい冷風が出てきてまたうとうとしてしまった。
気がつくと8時過ぎだった。朝食に行こうと由利恵を誘ったが、眠くいつも食べないとの事なので1人でレストランへ向かうことにした。中庭の見えるレストランはバリ風でお客は10人ほどだがほとんどが欧米人だった。料理はフルーツとジュース、卵料理、トーストにバリ風焼き飯と日本式焼ソバから選べてバリコーヒーが付いた簡素なものだ。今朝はとりあえずジュースと焼き飯に目玉焼きを食べたがまあまあだった。食後にホテルを出て忙しくバイクの行き来する路地裏を1,2分歩くとクタの街に出た。ホテルと同じ名前のBakungSari通りの両側は小さな土産物屋、マッサージ店、両替屋、ホテル、ツアー代理店などが並び賑やかだ。どの店も店員さんが片言の日本語で社長!見ていってよ!などしつこく声を掛けてくる。5分ほど歩くと大きな交差点があり角に洒落たホテルがあった。後で分かったのだがひとり7千円でランクアップ出来ていたらこの***に泊まれていたがこのミスは大きかっただろう。吹き抜けのレストランには美形の欧米人が朝食を楽しんでいた。その隣にはHISがあり交差点を渡りクタビーチまでの1,2分はテントの店や露天がずらりと並び開店の準備をしている。初めて見るバリ島のクタビーチは日本ともハワイともサンゴのビーチとも違いパラソルとベットが遠くまで並びぽつりぽつりとサーファーが波と戯れていた。ホテルから履いてきたサンダルが足に馴染まずだんだん痛くなってきたので帰ることにした。部屋に戻ると由利恵はまだ寝ていたが声をかけると目を覚ました。僕は、ビーチや通りの状況を説明しベランダに出るようにさとした。
けだるそうに起きた由利恵は眩しく照りつける太陽と熱帯の木々を眺めながらタバコを吸いながら自分もビーチへ行きたいと話し準備を始めた。化粧に15分ほどかかり私らは最小限の荷物を持ちホテルを出た。途中何軒か土産物屋を覗きしつこい店員を振り切りクタビーチに着いた。まだ10時と早いためか人影は疎らだがバリの浜は静かに打ち寄せる波が日本とは全く別の景色を映し出している。日本海側で生まれ育った僕にとって夏の海は波のない静かな海で時には遠くに佐渡島の影が見え冬の海は鉛色の空と荒波が打ち寄せる演歌の世界なのだ。波打ち際から少し離れたところに荷物を置くと服を脱ぎ水着になり海に入った。熱帯とはいえやはり海水は少し冷たい、由利恵は少し肥えた身体に黒い水着がまとわりつき無邪気に水と戯れている。しばらくすると由利恵は体を焼くと言い砂浜で寝そべったがビキ二ーを付けているとはいえ惜しげもなく豊満な胸を晒しているので通りかかる人は皆チラリと見ていくが僕には何んの欲望も起きなかった。幸いうす曇りのせいか1時間ほどビーチにいたが日焼けはたいしたことがなく済んだ。僕は色白なので日焼けに神経質だが割と白い由利恵は全くの無頓着に焼いているが、だいじょうぶなのかとこの時は思った。ホテルへの帰り道にレストランでランチを食べた。オープンテラスからの風と大きな扇風機の風が絡み合いあっという間にBintanビールを2本飲んでしまった。部屋に戻ると由利恵を抱く前に熟睡してしまった。ホントは由利恵も抱いてもらいたかったのかもしれない、途中2回由利恵に起こされたがとても起きられなかった。やっとどうにか起き上がると3時45分だった。中庭のプールに行こうかと思ったがすでに日陰になっていたのでベランダでたたずんでいると由利恵が戻ってきた。Duty freeに行きたいというので無料のTXIチケットとディナー券を持ち部屋を出たが、僕の熟睡中に由利恵はバイクタクシーに乗り別なビーチを見てきたそうだ。無警戒というか積極的というか一歩間違えば危ない目に会うだろうがもっともそういう性格でなければ僕とここには居ないだろう。10分2万ルピー程でDuty Freeに着いた。入口の警備は厳重で中は2階建てで広く閑散としており1Fレストラン近くでは伝統舞踊があるようだ。みやげ物を物色した後で中華レストランに入り伝統舞踊を見ながら軽めの食事をしたがシンガポールもニューカレドニアで見た舞踊も同じ系統だ。日本の佐渡おけさも亀田甚句も興味がないので違いが分らないのと同じかもしれない、由利恵は大学の先生から舞踊をよく見てくる様に言われているとの事だ。その辺はアバズレとはいえ国立大学の学生の片鱗だろう、少しは見習うべきだったかもしれないが今となっては手遅れだ。
ホテルに戻りベッドに横になりながらテレビを見ていたがどちらからともなく関係を結んでしまった。半年ぶりとはいえ遅漏の僕は由利恵の中で果てることなく最後は彼女の口技に頼った次第だった。体どおしが仲良くなると心の壁も低くなりお互い小腹が空いたので近所のお店に夜食を食べに出た。ホテル右手のバイキングスタイルの店は閉店しかけていたので日本語を話す店員の勧めで左手の食堂へ入った。親切かお節介か店員さんが付いてきた。最後まで彼らの親切の意図がわからなかったが、取りようによれば日本語の練習をしてるのかもしれない、観光が主産業のバリでは日本語スキルが重要なのだろう。しばしば事件に捲き込まれてる日本人女性をゲットするには必要不可欠なスキルでもある。
日本語のメニューから魚とカニの卵炒めにBintanビールとジュースを注文した。ついてきた店員さんは、バリ焼酎の売り込みや明日のO.Pツアーの斡旋やらに忙しい、ビールを楽しんでいるとカニ卵炒めが出てきた。上海ガニに似た川ガニは非常に美味だがなにせ食べにくい、22万円もかけて去年上前歯2本を高価な差し歯にしたので無茶はできない、次にきた魚も美味だったがこれで600円程とは信じられない値段であった。
クタビーチ
ホテルのプール
Duty Free Shop
3日目
バリ達人ツアー