お嬢様、没落への第一歩。
事故現場にカティに連れられ現れた騎士団のうち、一番体格の良い騎士がアンネリーゼに駆け寄り敬礼する。かなりそり返った敬礼で、もはや空を見ているのではないかというほどだ。
「帝国騎士団 第17地区副隊長のオランです!良家のご令嬢とお見受けいたしますが、現状をお教え頂けますでしょうか!」
アンネリーゼはすっと背を伸ばし、凛とした佇まいをできる限り演出する。
「モルガン伯爵家のアンネリーゼと申しますわ。馬車が横転する事故だったようで、馬車は立て直しておきました。怪我人はあそこに避難しています」
「なんと、宰相のご令嬢でいらっしゃるとは!」
敬礼の角度が更にそり返る。
「ご尽力感謝します!では、処理を開始します!」
そう大声で宣誓すると、オランは騎士団員のもとに戻り、何やら指示する。直ぐに団員が散らばっていき、テキパキと片付けられていく。
(これ、私が馬車を立て直す必要もなかったかしら)
その手際の良さに舌を巻きながら、アンネリーゼは怪我人を介抱していた少年に話しかけた。
「お疲れ様、後は騎士団がなんとかしてくれるわ」
「ありがとうございます、えっと、……アンネリーゼさん?」
こちらを見て自信なさげにいうその姿に、ああ、と合点して、少しおかしくなる。そういえば、自己紹介は互いにしていなかった。
「ふふ、そうです。モルガン伯爵家のアンネリーゼと申しますわ。あなたは?」
「ネムスといいます、よろしく」
伯爵家の令嬢と聞いても一切表情を変える事のないその少年に少しリズムを崩される。アンネリーゼの予定では驚いて飛び上がり心酔され一生の忠誠を誓われる……のは行きすぎだが、少なくともこんなフランクには扱われないはずだったのだが。
アンネリーゼの後ろからカティがネムスを威嚇している。間違っても飛びかからないようにそれを手で制しながら、精一杯の笑顔を作る。
「ところで、これは皆さん大学校の受験に向かわれるんですか?」
長蛇の列になっている馬車を眺めながらネムスが尋ねる。
「そうですわ」
「なるほど、こんなに貴族の方が多いんですね」
「それはそうでしょう。知らなかったんですか?」
大学校は、まず学費を払える家庭が限られる。上流貴族であれば難なく出せる金額であるが、中流貴族ですらなかなか厳しい。下流貴族は一人を通わせられれば御の字である。当然平民に出せるわけはなく、学園に入るのは特別に才能がある者にパトロンがついた場合に限られる。
「こりゃ肩身が狭いかもなぁ……」
ぼそっとつぶやくネムスにアンネリーゼは首をかしげる。この少年は何を言っているのだろうか?
そうこうしているうちに、壊れた馬車の撤去が終わったのか、馬車の隊列が動き始める。先頭の馬車から、ぞろぞろと動き始め、大学校へと向かっていく。
(……?あれ?なにか忘れているような)
アンネリーゼは何か引っかかるものを感じる。先頭の馬車、先頭の馬車……。
「ああああああっ!」
「ど、どうされました、アンネリーゼ様?」
カティに尋ねられるが、それに返事をする余裕もない。先頭の馬車はみるみる離れていく。
(や、やってしまいました!ハラルドを騎士団に突き出すのを忘れてました!)
慌てて騎士団を探す。幸い、先ほどの副隊長、オランがすぐそばにいたので呼び止める。
「オラン様!」
「おや、アンネリーゼ様、いかがされました?」
「あの先頭の馬車が、この事故の原因なんです!止めてください!」
「なんと!詳しくお教えください!」
アンネリーゼはことのあらましを説明する。しかし、最初は「とっちめてやりましょう!」とでも言わんばかりであった眼光が、ハラルドの名前を出した瞬間に曇る。説明を終えたところで、困った顔で顎を掻きながら言いにくそうに口を開く。
「ああ、ええと、アンネリーゼ様、大変申し上げにくいのですが……」
「……ハートランド家、ですか」
「いやあ、えーと」
「つまり、そういうことですのね」
「……わかっていただければ幸いです」
「……理解はしたわ。納得はしていないけれど」
「え?アンネリーゼ様、どういうことですか?」
カティがキョトンとした顔で聞いてくる。
「カティ、あとで説明してあげますわ」
「だって、あのムカつく高慢チキなハラルドとかいう……」
「カティ!!滅多なことを言わない!!」
オリビアの雷のような叱責に、アンネリーゼも思わず身をすくめる。カティもびっくりしたようで、俯いて涙目になりながらカクカク頷いている。
「オラン様」
目を逸らす副団長に構わずアンネリーゼは続ける。
「ハートランド家の当主がこの国の軍務大臣、騎士団のトップということも存じ上げています。ですが、この事故は被害者も目撃者もかなり多いですわ」
「……」
「これでお咎めなしでは、市民に示しがつかないのでは?」
オランはアンネリーゼに向き直る。
「アンネリーゼ様、あなたは噂に違わず清廉な方なのですね。わかりました。上に報告をあげて対応を協議します」
「……わかりましたわ。よろしくお願いします」
処分を確約された訳ではないが、これが手の打ちどころだろう。アンネリーゼは軽く頭を下げた。
はっきり言って、モルガン家の貴族社会における立場は低い。父の代で成り上がった新興貴族である。もともとは下流、せいぜいが中流貴族であったが、父が王にその実力を認められ、片腕として働くようになったのだ。だから、宰相といえど立場はあまり強くない。それに比べ、ハートランド家は代々このロザン帝国の軍務を担ってきた。その権力の強さは折り紙付きである。
(だからお父様は聖教会に謀反しようだなんて思うのかしら)
そんな事を考えていると、いつの間にか自分たちの馬車がここまで進んできており、御者のロイが御者席から大声で呼びかけてくる。
「お嬢様ー!乗ってくだせぇ!」
「オリビア、後をお願いできるかしら。怪我した方々の治療費を出してあげて。お父様もお許しくださるでしょう」
「承知しました。お嬢様、試験頑張ってくださいね」
オリビアをその場に残し、カティと共に馬車に乗り込む。そういえばあのネムスとかいう少年は、と馬車のタラップに足を載せたところで振り返ると、騎士団に指示しながら怪我人の搬送を手伝っているようだった。
(なんだったのかしら、あの少年)
視線に気付いたのか、軽く手をあげて、ここは任せろとでも言わんばかりである。その気さくな態度に対してカティが自分の後ろで威嚇し始めたので、カティを馬車に早々に引き上げ、ロイに出発を指示した。
揺れる馬車の中でアンネリーゼは深く息を吸う。
(試験の前に色々ありすぎましたね……ちょっと疲れました)
少しでも緊張を緩めようと目を閉じて椅子の背にもたれかかるアンネリーゼであったが、何やらぶつぶつと呟く子が聞こえ、薄目で対面のカティの様子を伺う。
「……許せない、あの男、アンネリーゼ様に嫌味を言うなんて、貴族だなんて関係ない、許せない、『魔斧』にでもやられてしまえばいいんだ……。あのネムスとかいう少年も、アンネリーゼ様と気安く話して……」
「……カティ?」
「はい!アンネリーゼ様!」
声をかけると、普段通りの様子に戻り、ほっと胸をなでおろす。
「ありがとう、色々手伝ってくれて」
「いえ!アンネリーゼ様の素晴らしさを世間に知らしめるためなら労力は惜しみません!」
(……教育を間違えたかしら)
あまりの自分への狂信ぶりにアンネリーゼは引き気味に苦笑いするほかなかった。
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アンネリーゼと名乗ったその少女の乗った馬車を見送り、少年、ネムスが抱いた感想は「捨てたもんじゃないな」であった。
アンネリーゼの物腰は柔らかで、気品のある態度であったが、端々に経験の少なさからくるのであろう自信のなさが見てとれた。しかし、高潔であろうとするその姿はネムスの心を打った。
正直、ハラルドとかいう貴族に絡まれた時には、この国のレベルが知れるな、と思った。選民意識に凝り固まり、その特権を振りかざそうとする、絵に描いたような腐敗した貴族であった。しかし、アンネリーゼは全く違った。
(あの子には期待できるな)
元々、辺境の村で生まれたこの少年は、いわゆる「転生者」であった。魔法のない現代の医者であった記憶を持つ少年は、治癒魔術が使えない中で、前世の知識を生かして村の診療を担っていた。魔術の研究で認められたこと、十分後進が育ったことから、帝都まではるばるやってきた、その矢先の出会いであった。
ネムスの生涯の目標は、『治癒魔術に頼らない医療を広めること』であった。
それはすなわち、治癒魔術を独占し、この帝国を牛耳るクローヌ聖教と敵対することを意味していた。
こうして、アンネリーゼは知らず知らずのうちに、己を没落へと導く1人目の重要人物に出会ったのであった。
アンネリーゼがその事に気づくのは、まだまだ先の話である。
読まなくても問題ありませんが、今回登場したネムスの前日譚があります。「異世界医学は遅れてる!?」という作品です。
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