お嬢様、試験会場へ向かう。
「おかしいですわね、いくらなんでも進まなすぎですわ」
馬車の中でアンネリーゼがつぶやくと、オリビアがソワソワしながら御者に確認する。
「ロイ、どうなっているのでしょう」
ロイと呼ばれた御者は、大声で御者席から答える。
「ダメでっさあ、全く動きませんなあ」
「まずいですね、試験はあと1刻で始まってしまいます」
「わ、わたし何が起きてるか見てきます!」
カティが持ち前の機敏さで馬車から飛びおりると、長蛇の列となった馬車の列の前方へ走っていく。
「余裕を持って出たつもりだったのですが。アンネリーゼ様、申し訳ありません」
「いいのよ、オリビア」
アンネリーゼは鷹揚に頷く。この進まなさはただ混んでいるだけではなく、何かトラブルがあるのだろうとアンネリーゼは予想していた。オリビアが悪いわけではないのだ。
今日は大学校の入学試験の日であった。帝都だけでなく、各地から貴族のご子息ご令嬢が大集合しており、道が酷く混み合っていた。それを見越して早めに出立したのだが……。
「お嬢様、オリビア様、この二つ先の交差点で事故のようです。馬車が横倒しになっていて、それで立ち往生しています。怪我人も何人か……」
駆け戻ってきたカティが馬車の扉を開いて報告する。
「なんと」
オリビアが眉を顰める。どうするか考えてるようだ。眉間に皺を寄せるのは困った時の彼女の癖である。ただでさえきつめの顔がさらにきつめになるのだから、やめた方が良いのに、とアンネリーゼは自分も少しきつめの顔つきであることを棚に上げて思う。
そして、アンネリーゼとしてもこれは困った事態である。何せ、アンネリーゼの狙いは歴代最年少での飛び級入学である。アンネリーゼが傑出した才女であるという世間へのアピールのためにも、来年まで先延ばしにするわけにはいかない。
(であれば、取るべき行動は一つね)
「オリビア、カティ。行きますわよ」
「お、お嬢様!?」
アンネリーゼは立ち上がると、カティの開いた扉から外に出る。春の日差しが陽気に輝いている。なんなら絶好のお散歩日和である。これなら大学校まで歩いて行けそうだ、とアンネリーゼは内心安心する。
アンネリーゼが考えたことは至極簡単である。馬車で行けないなら、歩いて行けばいいのだ。体力はあまりないけれど、ほら、あそこに大学校の建物が見えている。すぐそこだろう、とアンネリーゼは高をくくっていた。
しかし。
「アンネリーゼ様、お待ちください!そんな、お嬢様みずから向かわれなくとも」
「?」
後ろから追ってくるオリビアの言葉にアンネリーゼは「はて?」と首をかしげる。試験に私が自ら向かわずに誰が向かうというのだ。
その疑問はカティの言葉で氷解することとなる。
「そうです!お嬢様、事故現場に救援なんて、そんな危険なことを……」
「え、いや、そんな……」
そんなつもりはないのですが、と言おうと振り返り、目に入ったカティの目が期待にキラキラと輝いているのをみて、その言葉をぐっと飲みこむ。オリビアも言葉とは裏腹に、「わたしの自慢の教え子はどうこの事態を解決するのかしらね?」とでも言いたげなまなざしである。
……どうやら、この二人の自分への期待は、私が想像しているよりもかなり高いらしい。
(あわわ、困ったわ、どうしよう……。まあ、きっと事故も大した事はないわよね)
アンネリーゼは従者二人からぎこちなく目をそらして、馬車の連なる道を歩き始めた。
なんとかなれー、と一心に思いながら。
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「ねえ、あのお方、どうして歩いてらっしゃるの?とても素敵なお召し物ですけど」
「アンネリーゼ様、ってお付きの子が言ってるわよ。もしかしてモルガン家のご令嬢のアンネリーゼ様じゃないかしら。あの才女と名高い」
「まあ!初めて拝見するわ。どうしたのかしら」
(なんだか、やりづらいですわね……)
止まっている馬車や、道の両脇の建物の窓から聞こえてくる声。それを聞こえぬふりをしてアンネリーゼは進む。正直、アンネリーゼはこれまで限られたコミュニティでしか暮らしてこなかったので、衆目を集めるこの状況はなかなか身の置き所がないものであった。
そんなアンネリーゼの気持ちを知ってか知らずか、カティは少し前を歩いて声高に「アンネリーゼ様!現場はこちらです!」などと案内している。あの無邪気さ、少し腹が立ってきましたわね。
カティに導かれて少し歩くと、人だかりに突き当たる。着ている服から見て、野次馬の市民だろう。何人かは貴族の使用人が混ざっているようだったが、貴族そのものはいない。普通はそうですよね、とアンネリーゼも己の蛮行を恥じる。
どうしようかしら、とその人垣を前に逡巡していると、人だかりのざわめきのむこうから言い争う声が聞こえてくる。
(え、めちゃくちゃ喧嘩してますわね。怖いですね、迂回しましょう、そうしましょう!)
確かにこの道が大学校に繋がる最短ルートだが、道は一つではない。アンネリーゼはカティに目配せする。迂回しましょう、の意思表示だったはずなのだが、カティは大きく頷き大きく息を吸う。その表情に嫌な予感がして、アンネリーゼは慌てて制止しようとする。
「カティ、待っ……」
しかし、その言葉はカティの轟くような声に掻き消される。
「皆さま!ヴィンセント・モルガン宰相が御息女、アンネリーゼ・モルガン様がお通りです!道をお開けください!」
その瞬間、野次馬の無数好奇の目がぐるっとアンネリーゼに注がれて、アンネリーゼの身がすくむ。
「……っ」
(ひい、逃げ出したい!)
しかし、後退りしそうな足を踏ん張り、心を奮い立たせる。
(ダメよアンネリーゼ。ここで逃げ出すのは、完璧なお嬢様とは言えないわ!)
そう。わたしは決めたのだ。完璧なお嬢様をやり切るのだと。それがわたしが生き残るために唯一できることなのだ。
アンネリーゼがグッと背筋を伸ばして人垣を見ると、さあっ、と波が引くように、通り道ができる。アンネリーゼは腹を決め、事故現場の渦中へと歩を進めた。