表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/3

1.魔法が使えない私



「駄目ね、また失敗・・・」



王立魔法学院の実技教室で、私は小さくため息をつく。机の上に置いた花瓶は、魔法で水を満たすという簡単な課題のはずが、一滴も水を生み出せないままだ。


「花瓶に水を満たす、基礎中の基礎の魔法なのに――」


周囲では水の魔法が次々と成功している。透明な水が空中を舞い、まるで生き物のように踊りながら花瓶へと注がれていく。歓声と拍手が教室に響く。


「すごいわ・・・!」

「なんて美しい魔法」


私は手の中の杖を強く握りしめた。理論は完璧に頭に入っている。魔力を集中させ、杖を介して水の元素を具現化する。これだけのことなのに、どうして私は――。



(アレクシス様なら、一瞬でできるのに)



「ジュディ、まだできないの?」


声の主は、金色の長い巻き毛を優雅に揺らしながら、ヴィオラ・ブライトンが近づいてきた。公爵家の次女である彼女は、私の幼なじみで親友。そして、魔法の才能も社交性も申し分のない優等生だ。


「待たせてしまってごめんなさい、ヴィオラ。私、やっぱり魔法の才能がないみたい」


「まあ、そんなことないわ。ほら、こうよ」


ヴィオラは軽やかに杖を振る。透明な水が美しい弧を描いて空中を舞い、花瓶に注がれていく。まるで踊っているような優美な魔法に、教室中から歓声が上がった。


「素敵な魔法ですね、ブライトン令嬢」

教授が満足げに頷く。「セントクレア令嬢も、もう少し頑張りましょう」


私は小さく頷いた。専門課程も残り半年。卒業までに最低限の魔法は使えるようにならなければ。

それに――。



(このままじゃ、アレクシス様の婚約者として恥ずかしい)



幼い頃に決まった婚約。氷の魔法使いとして名高い、アレクシス・フロストグレイ閣下。二十歳で王立魔法学院の教授という、前代見聞きない才能の持ち主。


昔は、私の拙い魔法の練習にも付き合ってくれた。庭園で氷の蝶を作って見せてくれた、優しい婚約者。

でも今は――教授という立場で、天才という肩書で、私とは違う世界の人になってしまった。


「ジュディ、今日も放課後、図書室で勉強する?」

物思いに沈む私に、ヴィオラが心配そうに覗き込んでくる。


「ええ、ありがとう。でも今日は一人で」


ヴィオラは何か言いかけたが、結局小さく肩をすくめただけだった。


***


放課後の図書室は静かだった。

窓から差し込む夕陽に照らされて、埃が金色に輝いている。


私は魔法理論の基礎を開き、ため息をつく。どれだけ理論を学んでも、実践になると全く魔力が動いてくれない。



(このままじゃ、アレクシス様に申し訳ない)



幼い頃から、アレクシス様は私のことを気にかけてくれた。でも、それは同情だったのかもしれない。魔法が使えない婚約者への。


窓の外に目をやると、中庭を歩く人影が目に入った。

凛とした佇まい、氷のように透き通った銀色の髪。アレクシス様だ。


思わず息を呑む。

横には、いつものように側近のルーカス様が付き添っている。



(やっぱり、素敵な方・・・私では不釣り合いね・・・)



私の胸が切なく締め付けられる。

幼い頃に決まった婚約とはいえ、こんな私が相手として相応しいはずがない。


アレクシス様が顔を上げた瞬間、視線が合ってしまう。

私は慌てて本に顔を伏せた。動悸が収まらない。


「きゃっ!」


慌てた拍子に、机の上の花瓶が傾く。

水がこぼれ、開いていた本を濡らしてしまった。



(ごめんなさい、図書室の本なのに・・・)



拭き取ろうとしたその時。

本の水滴が、ゆっくりと宙に浮かび上がった。



「え・・・?」



私の魔法?でも、そんなはずは――。

顔を上げると、窓の外で杖を構えるアレクシス様と目が合った。




***




本は無事だった。

けれど、アレクシス様にまた迷惑をかけてしまった。



「申し訳ありません・・・」



誰もいない図書室で、彼には聞こえないとわかっていたが、思わず呟く。

窓の外では、アレクシス様がルーカス様と何やら話をしている。


その横顔は、いつも通り整っていて、近寄りがたいほどに凛々しい。

昔から、私の心をときめかせる存在だった。



(でも、きっとアレクシス様にとって、私なんて・・・)


「美しい花が悲しい顔をしている理由をお聞かせいただけますか?」



突然声をかけられ、私は飛び上がりそうになった。

振り向くと、見知らぬ紳士が立っていた。


黒い髪に琥珀色の瞳。どこか異国的な雰囲気を漂わせている。

その立ち姿には、生まれながらの貴族としての気品が感じられた。



「失礼、自己紹介が遅れました。クロード・アーデントと申します。隣国からの視察で参りまして」

「あ、はい・・・ジュディアナ・セントクレアと申します」



伯爵は紳士的な笑みを浮かべると、私の手を取って軽くキスをした。



「噂には聞いていましたが、本当に愛らしい方なのですね」

「え?」



突然の出来事に戸惑う私の背後で、窓ガラスが軋むような音を立てた。

振り向くと、窓の縁に薄い氷が張り始めているのが見えた。



「あの、申し訳ありません。そろそろ失礼させていただきます」



私は慌てて荷物をまとめ始めた。

アーデント伯爵は残念そうな表情を浮かべる。



「これから毎日、学院に参りますので。また、お話しさせていただけますか?」

「え、ええ・・・」



曖昧な返事をして、私は図書室を後にした。

廊下に出ると、冷たい風が頬を撫でる。



(アレクシス様の魔法?)



でも、振り返る勇気はなかった。

早足で寮へと向かう。




***




寮の自室に戻り、窓辺に立つ。

夕暮れの空が、茜色に染まっていた。


今日も魔法は使えなかった。

今日も、アレクシス様には迷惑をかけてしまった。

そして、見知らぬ伯爵にまで気遣わせてしまった。



けれど――


「私には、魔法が使えないのに」



夕暮れの部屋で、私は小さくつぶやいた。

明日も、明後日も、きっと同じ。



(このままじゃ、いけない)



胸の奥で、小さな決意が芽生え始めていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ