義姉に会心の一撃を食らわせた人と婚約することになりました
アシュリー・プライド伯爵令嬢は、落ち着きがあり、自己主張もほとんどなく、控えめで、男性の一歩後ろを歩くような女性である。彼女は伯爵家の令嬢として、いずれは政略結婚をしなければならないことを理解していたし、仮に夫に愛されなかったとしても貴族としての体面が保てるのならばそれでいいと思える理知的な女性でもあった。
そんなアシュリーに父が持ってきたのは、ロード・パンベリー侯爵子息との縁談である。パンベリー侯爵は茶や織物などの加工業がさかんであり、中央の政治と距離は取っているが、自領の産業だけで十分潤っているところだ。ロードの兄が後継者だと聞いているが、パンベリー侯爵を支えるべく、ロードはパンベリー侯爵が持っている領地のない伯爵の地位が与えられ、次期パンベリー侯爵を支える右腕としての地盤を固めているらしい。王家に近すぎず、伯爵家に嫁ぐにふさわしい令嬢として、アシュリーに白羽の矢が立ったというわけだ。
父の話も、アシュリーは笑みを浮かべたまま、静かに頷く。政略結婚はいずれしなければならないと思っていたので、アシュリーに思うところは何もなかった。家にとってもメリットがあるならば、いいことずくめである。
しかし、アシュリーとは対照的に、この婚約に異を唱える者がいた。アシュリーの義姉にあたるナターシャ・プライドだ。プライド伯爵夫妻は結婚後長らく子どもに恵まれず、遠縁の子爵家の「恥かきっ子」として引き取ったのがナターシャである。引き取られた当時のナターシャは八歳だったので、彼女は自分が養子であることはもちろん理解していた。
ところが、ナターシャを引き取って二年後、夫妻にはアシュリーというひとり娘が生まれ、その一年後には跡取りとなるシエルというひとり息子にも恵まれた。もちろん、夫妻は子どもたちを差別することはしなかったが、ナターシャにとってアシュリーやシエルの存在はおもしろくない。とくに、アシュリーのことは気に入らないようだった。
小さいころは義姉と仲良くできずに悩んだこともあったが、ナターシャが養子だと知ると、義姉の複雑な心情をアシュリーも理解できるようになり、義姉の態度も笑顔で受け流せるようになったのである。
義姉は、アシュリーが自分よりいいものを持っていると、必ず異を唱えていた。そして、二言目には「わたくしが養子だから」と泣く真似をするのである。両親はそんなナターシャを叱るのだが、最終的にはその涙に負けて、ドレスや宝石などを買い与えていたようだ。その成功体験が、徐々にナターシャの自尊心を肥大化させていった。
今回の婚約も、同じである。
「ロード様って、とても麗しい方だって聞いたことがあるわ」
ナターシャの言葉に、父がぎょっと目を見開く。さすがに今回ばかりは、ナターシャに婚約者を変更するということはなさそうだ。
父はナターシャの適齢期にも、よい縁談をいくつか用意していた。しかし、ナターシャがあれこれとごねて、結婚適齢期を見事に逃し、結局「行かず後家」の状態になってしまっている。
「いいわね、アシュリーは。わたくしは養子だから、縁談にも恵まれないんだわ」
ナターシャは顔を覆って、小刻みに肩を震わせる。アシュリーはいつも通り笑顔をたやさず、父は困り顔だ。とはいえ、ロードの年齢を考えると、ふさわしいのはアシュリーである。ナターシャとは十近くも歳が離れているのだから仕方ない。
「ナターシャ、いい加減にしないか」
「……ひどいわ。わたくしにはいい縁談のひとつもなかったのに」
ナターシャの縁談には、公爵子息もいたと聞いている。しかし、ナターシャが何かと理由をつけて破談になってしまったらしい。自分に都合よく記憶を捏造するのはナターシャの特技である。
そうは言っても、ナターシャの状況はいっそ悲劇的でもあった。そもそも「恥かきっ子」として養子に出され、引き取られたあとに夫妻に立て続けに子どもが生まれ、 どうしてもナターシャと結婚したいという相手にも恵まれず、彼女はずっと孤独で愛に飢えているのである。
ナターシャは年齢の割に若く見られることも多く、花の盛りに男性からの誘いもひっきりなしだったことをアシュリーも覚えていた。それに、ロードも、プライド伯爵と縁ができるのであれば、控えめな自分よりもかわいらしいナターシャのほうがいいと考えるかもしれない。
「お父様、ご提案なんですけれど」
アシュリーはめずらしく、父にある提案をしたのだった。
ロードがプライド伯爵家にやって来たのは、婚約の打診をして一週間後のことである。とはいえ、パンベリー侯爵が調えたのであって、ロード自身の意見はそこにはない。見た目は気にしないので、幼なじみの伯爵令嬢とは正反対の性格がいいとだけは伝えていた。回りすぎるくらい頭と口が回り、平気で手も足も出る苛烈な女だけは嫌だと思っていた。
プライド伯爵家には娘が二人おり、年齢の近い妹に婚約を打診したと聞いていたが、プライド伯爵からの返事は「まずは顔合わせをして相性を確かめたい」とのことだった。パンベリー侯爵家の申し出を断るはずがないという傲慢なことを考えていたわけではないが、前向きな返事がもらえると思っていた侯爵にとっては少し意外で、侯爵家としての誠意も示すいい機会だとロードは父の言うがままプライド伯爵家に赴いたのである。
定刻通りプライド伯爵家に到着すると、一家勢ぞろいでロードを出迎えた。その歓待ぶりに驚きつつも、ロードはひときわ大人しく片隅でほほ笑む令嬢を見つける。彼女がアシュリーだろうとロードがあいさつしようと一歩踏み出すと、目の前にもうひとりの令嬢が立ちふさがった。
「令嬢」と表現するにはいささか年嵩で、年齢のわりに落ち着きのない派手なドレスを着た令嬢は、甘えるような声を出す。
「はじめまして、わたくしナターシャ・プライドと申します。ロード様とお呼びしてもよろしいかしら?」
「はあ……」
生理的に無理だと思ったが、ロードはぐっとこらえあいまいな返事をする。プライド伯爵夫妻にちらりと目をやると、困ったようにしきりに小さく頭を下げていた。
わけもわからず、そして結局アシュリーとは一言も言葉をかわすこともなく、ロードはプライド伯爵家の中庭へと案内された。用意されたティーテーブルの席につくと、自分の目の前にはアシュリーではなくナターシャが陣取っている。父はアシュリーに婚約を打診したと思っていたが、間違ってナターシャに打診したことになっているのだろうか。もしそうであるなら、「まずは顔合わせを」と言ったプライド伯爵の返事も納得できる。ロードは心のなかでプライド伯爵の思慮深さに脱帽していた。
プライド伯爵と貴族的な当たり障りのない雑談をかわし、伯爵夫妻が席を立つ。当然のようにナターシャはロードの前から動かず、アシュリーも笑みを浮かべたまま一言も発しない。どうやら、ナターシャ、アシュリー、ロードという組み合わせで顔合わせをするらしい。アシュリーのほうが結婚相手にふさわしいとロード本人に自覚させるための采配かと、ロードはひとりで納得した。
「ロード様、あの」
「失礼ですが、アシュリー・プライド伯爵令嬢でよろしいでしょうか。先ほどはごあいさつできず、申し訳ない」
ナターシャの言葉をさえぎり、ロードはアシュリーに声をかける。笑みを浮かべていたアシュリーは意外そうに目を見開くと、すぐに表情を戻して礼をとった。
「こちらこそごあいさつが遅れ、大変申し訳ございません。アシュリー・プライドと申します。どうぞアシュリーとお呼びください」
「ありがとうございます。私のこともロードとお呼びください」
「ありがとうございます、ロード様」
アシュリーの貴族令嬢然とした受け答えに、ロードは感心する。ロードの見てきた令嬢と言えば、苛烈な幼なじみか、やたらベタベタくっつこうとする者か、くねくねしながら行く手を塞ぐ者くらいである。アシュリーのように落ち着きがあり、控えめで、楚々とした令嬢を見たのは初めてのことで、ロードはアシュリーと婚約したいとめずらしく強く考えていた。
「ロード様!」
ロードが感心していると、視界をさえぎるようにナターシャが首をはさんでくる。
「せっかくのご縁です。もっと楽しいお話がしたいわ」
聞いてもいないのにペラペラと話し始めたナターシャに、ロードはいつも通り無視を決め込む。本来であれば失礼極まりないことであるが、ロードが無視をしても相手は「無視された」と思わず、なぜか「クール」と解釈されるのだ。その理由をロード自身よくわかっていなかったが、幼なじみの令嬢曰く「顔面補正」とのことらしい。ますますわけがわからなかったが、煩わしい会話が嫌いなロードにとっては、顔面なんたらだろうがありがたい話だ。
ナターシャがひたすら話し続けるので、失礼にならない程度にアシュリーを観察する。アシュリーは変わらず笑みを浮かべたまま、しかしロードと目が合うとぱっと目を逸らす。目が合えば令嬢にメンチを切られていたロードにとって、これもかなり意外な反応であった。
やはり婚約者にするならアシュリーがいい。ロードはそう思い、改めてプライド伯爵にアシュリーとの婚約を申し込もうと決意する。ナターシャへの打診は誤解だったと伝え、父経由で詫びの品も送らなければ。未婚の令嬢の評判を万が一でも下げるわけにはいかない。
ロードはナターシャの話をすべて聞き流し、今後の算段を冷静に計算していた。
「お義姉様と、わたくしと、同時にお見合いをしてみるのはいかがでしょうか?」
アシュリーのその提案に、ナターシャは「いいの?」とうれしそうに言い、父は渋々了承した。パンベリー侯爵には、明確な返事をせず、ただ「顔合わせがしたい」とだけ伝えてもらう。
もしロードがナターシャがいいというなら、自分は静かに身を引くつもりであった。他家では、婚約したあとに「やっぱり姉妹をかえて婚約したい」という破棄騒動があったということも聞いたことがある。婚約をしたあとに万が一にもそんなことがあれば、プライド伯爵家にとっては醜聞にしかならない。
パンベリー侯爵は噂通り誠実なようで、プライド伯爵からの提案をすんなり受け入れ、ロードが伯爵家にやって来ることが決まった。そうなると騒がしいのはナターシャである。まだ袖を通していないドレスもあるというのに、すぐさま行きつけの仕立て屋に向かい、ナターシャの年齢にはあまりそぐわない、流行のドレスや派手な宝石を買いに行ったようだ。
アシュリーは侍女と相談して、あまり派手すぎず、ナターシャを邪魔しない控えめなドレスを選んだ。もともとはアシュリーの婚約であるはずなのにと侍女たちは不満げであったが、アシュリーがそれがいいというので仕方なく従う。
大慌てのナターシャの隣で、アシュリーはいつも通り静かに過ごしていた。何をしたとて、最後に決めるのはロードであり、パンベリー侯爵、プライド伯爵である。アシュリーにできることはない。だとすれば、結婚前のつかの間の自由時間を有意義に過ごしたいと、アシュリーは刺繍や読書に励んでいた。
約束通り、一週間後、ロードはプライド伯爵家にやって来た。ロードは噂通り、見た目の美しい、すらっとした青年で、ナターシャは一目で虜になったようだ。
「はじめまして、わたくしナターシャ・プライドと申します。ロード様とお呼びしてもよろしいかしら?」
ナターシャが不躾に声をかけると、ロードは無表情にあいまいな返答をする。まだまだその美しさに翳りのないナターシャが声をかけたというのに、意外な反応である。アシュリーが内心驚いていると、ロードとしっかり目が合い、戸惑う。
ナターシャの勢いに負けてあいさつする暇もなく、アシュリーたちは中庭へと向かう。ロードの目の前をさも当然のようにナターシャが陣取るが、アシュリーは何も言わずに笑顔でナターシャの隣に腰かける。その隣に座ったシエルが、「出しゃばり」とつぶやいていたのを、アシュリーは聞こえないふりをした。
両親とシエルが離席すると、完全にナターシャのターンである。と、少なくともアシュリーは考えていたのだが。
「失礼ですが、アシュリー・プライド伯爵令嬢でよろしいでしょうか。先ほどはごあいさつできず、申し訳ない」
まさかロードから声をかけられるとは思わず、アシュリーは驚きながらも淑女として恥ずかしくない対応をする。隣でナターシャがおもしろくなさそうな顔をしているのを視界の端にとらえながら、ロードは公平な人なのかもしれないとアシュリーは考える。
しかし、やはりナターシャの勢いはすさまじく、すぐさま話題をかっさらっていった。ナターシャの反応を見るに、相当ロードを気に入ったようだ。
ナターシャとロードを観察しながら、アシュリーはある違和感を覚える。ナターシャは楽しそうにロードに話題を振っているが、ロードは一言も返していない。気のせいかと思い耳に神経を集中させるが、ロードは返事すらしていないようだ。
表情には出さずどういうことかと考えあぐねていると、ロードと目が合う。すぐにぱっと逸らすが、どうやらロードはナターシャの話にはまったく興味を示さず、なんなら聞いてすらいないことをアシュリーは理解した。
仮にロードがプライド伯爵家との婚約を嫌がったり、間違ってアシュリーと婚約したいと言ったりしたら、この義姉はどうなるのか。どうにかしてロードと縁を結ぼうと強硬手段に出ないとも限らない。アシュリーはこの先の未来を考え、気が重くなる。
そうこうしているうちに、ナターシャの話は佳境にきていたらしい。どうやらナターシャは、社交界でまだもてはやされていたときの話をして、自分がいかに価値のある人間かを示そうとしていたようだ。
「わたくし、よく子猫っぽいって言われるんですの」
社交界でナターシャが大いにもてはやされていたころ、たしかにそのように言われていたことがある。子猫のように愛らしく、かわいらしいという意味で、さらに甘え上手だったナターシャは、下位の貴族子息にはかなりモテていたようだ。本人は、高位の貴族子息と縁を結びたかったので、適当に好きにさせては求婚は断っていたようだが。
「ね、アシュリー?」
ナターシャに同意を求められ、アシュリーは「ええ」と静かに同意するしかない。たしかにナターシャは今でも愛らしくかわいらしいが、さすがに「子猫のよう」と言う貴族子息はいない。
完全無視を決め込んでいたロードが、「子猫」という単語に、ぴくりと反応した。
「子猫?」
「ええ。なんと言いますか、わたくしの無邪気なところが子猫みたいって。ちょっとひどいですわよね」
そう言いつつも、ナターシャは得意げである。何かフォローすべきだろうかとアシュリーが考えていると、ロードが口を開く。
「てっきり、一日中子猫のようにゴロゴロしているという意味かと思いました。お気づきかもしれませんが、大人の淑女に『子猫みたい』は大変な暴言ですよ」
ロードの返しに、ナターシャは席を立つとそのまま戻ってこなかった。気まずいままどうすべきか逡巡していると、先ほどまで無口だったロードが、アシュリーに話題を振ってくれる。
婚約をどう思うかや、パンベリー侯爵家に同居することになること、結婚式の希望などかなり具体的な質問に、アシュリーは失礼にならないように答える。
帰り際、あれだけはりきっていたナターシャは見送りには現れず、ロードはアシュリーと婚約をしたいと改めてプライド伯爵に告げ、プライド伯爵も了承した。
ロードが帰宅したあと、それとなくナターシャのことを父に聞いたが、アシュリーとロードはお似合いだったので自分が身を引くと言ったらしい。父には、高望みはしないので、自分を心から愛してくれる男性と結婚したいと言ったそうだ。父もようやくナターシャが結婚に前向きになったと喜んでいる。
中庭でのことを言うべきか迷ったが、父のうれしそうな顔を見ると何も言えず、この秘密は墓場まで持っていこうと固く決意したアシュリーなのであった。