手の熱
「そういえばずっと気になっていたんだがエマはどこだ?」
「急に友達が病気になったと言って、今日は友達の家に泊まるみたい」
ルーカスの耳が少し赤くなった気がした。
「その、最近仕事の方はどんなんだ?お前のことが上流貴族の間で噂になっているのを聞いたんだが」
「数年前からご令嬢の肖像画を中心にお仕事をもらえるようになってきたの。お見合い用の肖像画がほとんどなんだけど、なぜか私がかいた肖像画がお相手に気に入られやすいみたい」
「へぇ、そうなのか……仕事が軌道に乗って良かったな……その、見合いって言葉が出たから、気になったんだが……」
ルーカスは俯きがちで、耳を赤く染めながら言った。
「お前は、その、結婚なんかは考えているのか?」
ルーカスが少し言葉を詰まらせながら私に問いかけた。
「よく、考えたことなかったけど……いずれはしたいなと思っているわ。ご令嬢たちを見ていると、本当に結婚をすることって幸せなことだと思えてくるの。だから、私も、いつかは結婚して幸せな家庭を築きたいなって……」
なぜかルーカスが照れているので、こちらまで恥ずかしくなってしまい、私は手で顔を扇ぐ。
「そ、そうなんだな……そのーなんていうか、今結婚を考えてるやつがいたりするのか?」
ルーカスはこちらをチラリと見た。
「いないけれど……どうしてそんなこと聞くの?」
ルーカスは先ほどまでの表情と打って変わって、ニヤリとイタズラな笑みを浮かべた。
「いや、特に深い意味はないんだ。ただ、俺が戦争に行くまでお前に浮かれた話がなかったから、どうせ、今もいないんだろうなーと思ってな。少し気になったまでだ」
「そ、そんなこと……」
(ってあれ?確かに、恋愛という恋愛をしてこなかったわね……どうしましょ、結婚どころか、恋愛のれの字もないじゃない!?)
「って、私のことはよくて!!ルーカス、あなたはどうなの?戦争英雄になったんだし、縁談が舞うように来てるんじゃない?」
「何通かは、申し入れが来ていたが見ていない」
ルーカスは冷静に答えた。
「どうして?きっと、深窓のご令嬢たちからでしょ?勿体無いじゃない!」
「興味が無いだけだ……然るべき時が来たら結婚するよ」
そう言って、ルーカスは体にあわない小さなティーカップをすすった。
(まあ、そうよね。今は戦争から帰ってきてからすぐだもの。まだ心の整理もついてなさそうだったわ……英雄になったから、これから色んなご令嬢や貴族たちの社交界に呼ばれて、ルーカスの傷ついた心を癒やしてくれるような素敵な女性と結婚するはずよ)
(ってあれ、なんでこんなに心がそわそわするのかしら?)
「なあ、久しぶりに絵を見せてくれよ」
頭の中で色々と考えを巡らせている私にルーカスは思い立ったように声をかけた。
私は、恋愛に頭が侵食されたまま、ルーカスをアトリエに案内した。
「へぇーこの部屋も5年もたつと変わるな。5年前は部屋のほとんどが空いてたのに、今はキャンバスで埋め尽くされている」
ルーカスは興味津々といった様子で、アトリエに置いてある絵を一枚一枚眺めた。
あまりにルーカスが真剣に絵を見るので照れ臭い。
「そ、そんなに見なくても……」
「やっぱ、お前の絵、好きだなー」
ルーカスはポツリとつぶやいた。
「うまく言えないけど、絵の中で人が生きてるみたいで、今にも動き出しそうだ」
「そ、そんなに褒めなくても……」
私は素直なルーカスに弱いことがわかった。
ルーカスはたまに冗談を言ってからかうが、こういう真剣な目をしている時は、言葉に裏がない。
アトリエで真剣に絵を見ていたら夜が更けてきた。
「そろそろ帰るよ」と言って、ルーカスはジャケットを羽織った。
「え?泊まって行かないの?昔は夜遅くまで喋って泊まってたじゃない!」
「年頃の女の家に、俺なんかが泊まったら噂が立つだろ」
「何よ、紳士ぶっちゃって」
私は頬を膨らませた。
5年の間にルーカスだけが大人になったような気がして、気に食わない。
「はは!俺は、戦争の英雄で、紳士だからな!うっかり俺に惚れるなよ」
ルーカスは豪快に笑って、ポンと私の頭に手を置いた。
「ほ、惚れるわけないでしょ!あんたなんて、ただの幼馴染なんだから」
「ま、今はそれでいい」
ルーカスは昔のように意地悪な顔をしながら、パラパラと手を振って帰っていった。
その夜は、なかなか眠れなかった。
久しぶりに心を許した友達と話して、心が暖かくなった。
そして、頭に置かれたルーカスの大きな手から伝わる熱の感覚が離れなかった。
毎回、終わりどころに迷ってしまうんですよね。